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考えるな、観よ。

ウィトゲンシュタインは言う。これはそのまま「考えない」の意味ではなく、言葉は発した側と受け取り側で意味合いが異なるので、その「使用」(使われ方)を見よう。という話。

以前書いた[「トレッタ!」=「スキップ」の破壊指示]では、YouTubeや動画配信サービスの動画と動画の間に出てくるCMの「skip」を子供が「トレッタ」と言って、次のシーンを激しく要求し、それが最初は何の事か分からなかったけど、そういえば玩具で遊んでる時に、分解して(壊して)しまった時も「トレタ」と同じ表現してることに注目した。

つまり、「取れたぞー」=「映像壊れたぞー」の意味。これは普段、家族で共に過ごしているから、気づく(分かる)ことで、他者では理解不能だと思う。

言葉の意味を共通認識する(近づける)ためには、同じような環境や時間を過ごすことも必要なのかなと。でも、ほとんどの人は同じ境遇ではないのだから、異なることがあたり前なので、その当たり前を踏まえて、使われ方を探ろう。(または探ることに注目しよう)と。

そしたら、お客様に対しても、組織でも、プライベートでも、接し方が変わってくるかもしれない。。



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