生きた証を継ぐって

これまで特に社会に何かを残す、ということも考えず勝手に生きてきたのですが、歳を重ねると(特に子を持つ親の身になると)これから先の自分の存在意味をぼやーーっと考えてみたくなる感じします。

たとえば、子供や自己の成長、(お金は無いけど)ココロ豊かに暮らし生きた証の意志を継げないか、、、とか。

生きた証を継ぐってどういうことなのかと考えると(子も含めて)他者の人生の一部に関わるということかもしれません。

他者の人生の一部に関わるには、生き様が分かるような言葉を尽くし(または言葉を尽くせない非言語の造物を残し)感じて訴えかけるようなモノ。

これをあらゆるメディアや家族ほか周りの人たちに「そういえば、こういう人いた」と認識してもらうモノを残していくほか、ないのかもしれません。

このnoteにしても、毎日投稿することで、その時代に生きた証とするメディアの役割を果たしてもらいましょう。



こんな拙い記事を最後まで読んでいただいたあなたにも感謝します。今日もありがとうです。






※そもそも、「生きた証」を残そうと思う(死んだ後でも承認欲求を満たそうとする)こと自体、人の欲深さが現れることなのかも。



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