『絵師・小粥』を紐解く
宗教家とは、何か。
この問いの答えの数は、宗教の数どころの話ではない。例えば仏教においては最低でも宗旨の数だけはあるだろう。個人的には、宗教に携わる者を自認する人の数だけあるような気がする。
仏画や曼荼羅を描く絵師、小粥さんは宗教家か。私の答えは「まごうことなき宗教家」だ。
「小粥展」
2023年2月末、個展でご一緒した。
会場は熊本駅のほど近く、浄土宗大宝山来迎院さま。副住職で書家の小川大心さん主催。来迎院さまにご縁の深い方々を中心に多くの方がお運びくださった。二日間に渡って行われた記念イベントも大盛況のうちに終了したが、今振り返ってもご参加くださった方々のあたたかいお力添えなくしては成り立たない企画だった。お蔭様とは、まさにこのこと。
会期が二日と短いため、イベントは両日行うことにした。1日目は小粥さんと私(codama)のトークイベント、2日目は小粥さんのライブペインティングと遇々による御念佛ライブ。そんなイベントの様子を動画におさめている。
1日目 対談 : 「ご先祖さまに胴上げされている」
同じ1985年生まれの二人の「信仰遍歴」を軸に、同時期の各々を振り返りつつ半生を語る前半。
今回の「小粥展」をベースに、小粥さんの制作にまつわるあれこれを紐解いていく後半。
絵画は当然、実物を前にしなければそれが何かを感じることは難しい(と私は思う)が、小粥さんの宗教感と、結果生み出される作品の関わりを知るうえで、興味深い時間だった。また、小粥さんという人の日常モードはとても明るく愉快なキャラクターで、お話しするのはシンプルに楽しい。それも、小粥さん風に言えば「流行りのコスメを語るかのように仏教について語る」ことができるという、得難い楽しさだ。
2日目 LIVE&PAINT : 小粥 × 遇々 「南無阿弥陀仏」
トークモードとは打って変わって、目の前の支持体に仏尊をお招きするための器と化す小粥さん。終盤、一気呵成に描かれる線によってあらわれる様子に、思わず手が合わさる。和紙をクレヨンが染めていく音の、えも言われぬ尊さ。
1時間、というタームだけを決めて、お互いに何をするかは特に打ち合わせることもなく臨んだライブ。演奏していた位置からは作品の様子が見えず、終了後、間近で目にした時は、震えた。
ご参加くださったみなさまからは「あっという間だった」という声を多く聞いた。動画を確認すると、確かにあっという間だった(主観です)。
「小粥展」を終えて
浄土真宗本願寺派の僧侶である私は、ご法要やご葬儀、その他のあらゆるお仏事は、この私一人のためのご縁であるとお聞きする。私の手があわさり、私の口からお念仏が出てくださる。それが遇々、これまたご縁によってその場をご一緒くださった方々のお念仏へと繋がっていく、かもしれない、のだと。
この度の「小粥展」は、まさにこの私のためのご縁だった。
称名
※ 「小粥展」の告知の際に書いた記事。概要はこちらから。
精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。