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仏典をひらいて深海をうたう

 おしゃかさまは言った。
「みんな同じ」
 その後、龍樹さんは言った。
「すべては空」

 地球の70%は海で、うち95.5%が深海、その奥底は前人未到、宇宙に辿り着くよりも困難な領域という。経験することのできない真実。仏法における真理のように。

 八万四千の法門、と呼ばれるほど、おしゃかさまは数多の教えを説いたとされるが、日本に届いた大乗仏教の経典は、おしゃかさまが生きて語った言葉を後に弟子たちが綴った原始仏典とは異なる。後世の僧侶や学者が研究、注釈、翻訳するうち、深海を物語る詩は、各地、各時代の習俗や文化を纏った地上の言葉に掬い上げられ、あるときは広大無辺な世界への扉を、またあるときは歪な境界線で分断された版図を提示する。

 男でないものは、仏になることができない。

 女性は一度男性に生まれ変わって成仏する、と続くこの教えは大乗仏教経典の多くに記され、一般に「変成男子」とよばれる。インドで生まれ、中国を経由し、日本に辿りついた。仏教が伝来した6世紀、最初の僧となったのは三人の少女だった。そこから明治期に廃仏毀釈が起こるまでの間、仏教は、政治と宗教が互いに作用しあう本質そのままに、各時代ごとの統治機構や社会情勢と呼応しながら独自の深化を遂げるが、その過程において経典の記述は世俗一般の思考や価値観に受容され、内面化され、結果、歴史の教科書に載っている僧侶のほとんどすべてが男性になった。
 戦後の極端な政教分離がその本源を見えづらくしているが、男性を中心とした現在の社会、日本のジェンダーギャップは「変成男子」によって生まれ、今に至るところが少なくない。歪な分断は時を越えて弱者とマイノリティを生みだしている。

 人は誰しも生まれによって、性別によって、また自ら思い描く自分自身によってすら、その存在を規定することはできない。声を奪われ膝を折った痛みも、理解と中立を語って閉じられた眼も、その人のものではなく、ましてやその人自身でもない。仏教はうたっている。私たちは自由になれる。

 世界は、それぞれの時代を生きることでその担い手となったすべての名も無き一人ひとりが、「今」という接点においてどう向き合い振る舞うかによってかたち創られ、次の担い手へと手渡されていく。世界を覆う未知の海は、存在しない境界線に囲まれた不自由な昏がりか、はたまた無限の広がりを紡ぐ旋律か。続きは今、この身に委ねられている。


精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。