写真を撮ること
10月に始めた「宣材写真はじめました」で、今月と来月も出展させてもらえることになりましたヽ(^o^)丿
11月23日(土・祝)10:30~16:00 於:レンタルスペース「epic」
12月5日(木)10:30~16:00 於:レンタルスペース「epic」
金額設定と内容が妥当なのか?と来年からは調整しようと思っていますが、撮影内容が気に入っていただけたら、多分...お得です。
とはいえ、世の中にはいろんな媒体で「撮ります」「格安で」「モニター価格」の情報が流れている昨今
↑この方を見習いたい〜。
相手の要望と見合っているかどうか、どこまで合わせられるか、自分の個性が死なないかどうか、いろいろ考えてしまいます。
写真家かカメラマンか?
「写真が撮れる」と伝えると大抵【商業カメラマン】を想定いただくので、撮影を頼まれたら期待される写真は「記録写真」、笑顔の「集合写真」。
式場カメラマンの経験上、撮り方にはある程度マニュアルがあります。そのマナーを守ってシャッターを切っていればアルバムに仕上げて総額30万〜50万というのが提携写真室の価格帯です。
写真家もカメラマンも英語では Photographer
写真家にはお作法はあるようでありません。表現したい世界をカメラというツールを使って再現、表現するので、見る人によっては面白みがない角度で撮る事が多いです。
「なぜそこ/それを撮る?」と何度聞かれたことか。
写真家としての面白い目線を面白がってくれて「撮って欲しい」という仕事を受けてきましたが、2度目はほとんどありません。
需要と供給が合わないからです。
プリントを売る、作品集を売る
ギャラリーと契約するか、国内外の展示会のコンペに出品して展示したものを、ゲストに購入してもらう。プリント数を限定にしたり(版画と同じ考え方)特殊なプリント方法を使うなどして、個性を出すのが今の主流です。
フィルムに限らず、デジタルや映像も上手に組み合わせたものが現代アートとして価値が認められることもあれば、
微細なプラチナプリントを提供し続けて価値を見いだされることもあります。
憧れの井津建郎さんのプラチナプリント。大判カメラでその場の空気を再現しているのが衝撃的で、忘れられません。
自分がカメラマンになりきれない理由
例えば友人と・ツレと泊りがけの旅に出かけます。いわゆる記念写真(観光スポットでピースする、美味しいお店のメニューを撮る)を撮ります。でも、自分の作品撮りもします。場合によってはデジタルとフィルム両方で抑えます。二度と撮れないと困るのでおさえとおさえのおさえを撮ります。
時間がかかります。同行者はときによってイライラします。
さらに、作品撮りした写真はなかなか公開しません(最近は若干ヤケ気味にインスタに出しまくってますけど)。なぜなら二次利用される可能性があるので、自分の作品の価値を下げないために、ひっそりこっそりネタをコレクションしているからです。
令和時代に写真家で生き残るには
特殊な場所で撮る、誰も真似できないようなカットを撮る、秘境を撮る、驚きのある・びっくりするような写真はほぼ誰かがすでに撮っています。
すでに「◯◯写真家」「◯◯写真と言えば◯◯さん」というステージにいる人は別格ですが。
私のようなクラシックスタイル・古い考え方で特に秀でた「なにか」が見い出せない写真家は「趣味です」と伝えるしか生き残れないのかもしれません。または カメラマン として需要に答えていくしか。
タダで無料で画像が流れているのに
自分が欲しい画像はほぼネット上を探せば出てきます。その莫大な情報量にいち個人の人差し指1本では立ち向かえないのかもしれません。
でもなんで撮るのか?
撮りたくなったら撮れる自分で居続けたいからです。iPhoneでも、フィルムカメラでも、デジカメでも。だって、美しい1枚が撮れたらものすごく自分が幸せだからです。
その画像(あえて写真と呼ばず画像と呼ぶのもクラシックスタイルのこだわりです)を見ただれかが「いいな〜」と思ってくれたならさらにうれしい。
サポートありがとうございます! 私に書くことの喜びを感じさせてくれて 心から感謝します。大切に使わせて頂きます(^-^)」