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「温故知新」は学びの原点

おなたの座右の銘は何ですか?と問われるシーンに遭遇することがあります。

社会人となり、自身の「お守り」のように持っていれば良いのですが、とっさに尋ねられると、「愚鈍な自分をさらけ出すのでは無いか?」と、何だか肩肘を張ってしまいそうになりませんか。

そもそも座右の銘とは何なのか?

インターネットで調べてみた所、次のような事が書いてありました。

「座右の銘」の語源は「右に置く紙」
 まず「座右」とは「自分が座ったときの右側」の事。
次に「銘」とは石や器に歴史上の人物の言葉を記したもので、現代で言う「紙」のようなもの。
昔の皇帝など位の高い人は、「銘」に自分が尊敬する過去の人の言葉を記し、自分の右側に置いていたと言われているそうだ。皇帝にとっての「右側」というのは、自分がもっとも信頼する補佐役などを座らせる場所だった。
この事から「自分にとって重要な右側に置くほど、大切な言葉」という意味で「座右の銘」と言われるようになったとされている。
皇帝が言葉で冷静を保ったことが由来
「座右の銘」がいつから使われるようになった言葉なのか、という事については明らかではないが、昔の皇帝は「座右の銘」を持つことで冷静さを欠く事なく過ごしたと言われている。
現代の「座右の銘」も、自分が自分らしくいるため、あるいは自分が目指す方角へ向かうために冷静さを必要としている多くの人が胸に掲げている。

つまり、
「座右の銘」とは自分を律する格言
「座右の銘」とは、自分の心を律するための「格言」。「格言」とは人間の真理や生き方、戒めなどを簡潔に表した言葉なのである。
日々を生きていく上で、自分が「忘れてはならない」と思っている事や「こうでありたい」と感じている格言を、自分の「座右の銘」とする事で、毎日を揺るがず有意義に過ごすための指針としている。
                (引用 https://biz.trans-suite.jp/15674#i-2 )

流行病が世界を襲い、時代背景がガラリと変容し、生活様式まで変化しなければならない時に、こういった「言葉の力」を必要とするのでは無いでしょうか。
 宗教的な表現かもしれませんが、「言霊」(ことだま)と言った言葉もあるように、先祖が培った「知性」が今の私たちのこころを支えてくれているとさえ思えます。

まさに今こそ「温故知新」といった格言が、我々のこころに響く時だと思うのです。

先祖が大切にしてきた文化や風習は、現代の日本において、大切にされてい無いように思います。
「非科学的」「古臭い」「ダサい」などと言い、新しい事に目を向けたからこそ戦後の日本の繁栄があったのも事実。
 イノベーティブに製品開発し、自動車や通信等、多種多様な分野で世界をリードしてきた事は、誇るべき事だと思います。

 一方で、「神道」といった考え方や言葉は最近では、耳にしなくなりました。
しかし、初詣の「あけましておめでとうございます。」や、食事の時に手を合せて「いただきます。」といった風習は絶えていません。
日本の文化には長きにわたる歴史があります。

こんな時だからこそ、この情報網や簡単に書籍が手に取れる環境を活かし、先人が歩いてきた道に振り返ってみたいと思いました。

ここ数日の学び得た事として

アイザック・ニュートンの話し
 1661年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学する。身分は給費生(授業料免除の替わりに大学の雑用をする)だった。もちろんふつうの学生もいるわけで、こうしたことがニュートンの暗い性格をさらに暗くしたともいわれている。几帳面な性格なので、当時こまめにつけていた出納簿(小遣い帳)なども残っている。それによって、トランプで負けてお金を取られたこと、逆に級友にお金を貸したこと(利息を取っていた?)なども明らかになっている。もちろん、工具や薬剤なども購入している。
 大学3年生(1663年)のころから、ニュートンは独自の勉強・研究を始めたようである。既に光学への言及も始まる(自分の目を使って危ない人体実験もしている)。数学の本格的な勉強もこの頃からで、翌年にはもう当時のトップレベルに達している。
 ちょうどこの頃イギリスでペストが大流行する。大学も1665年8月に閉鎖される。ニュートンが大学を卒業したのは、その年の1月。ニュートンは1665年6月から1667年3月まで故郷のリンカーシャーに避難することになる(正確には、1666年3月末から、ペスト再発で大学が再閉鎖される1666年6月末まで一時ケンブリッジに戻っていたらしい)。
 この故郷にいた1年半が「驚異の年」といわれている期間である。ふつうの人なら、学校が閉鎖されれば喜んで遊びほうけるところである。ニュートンももちろん大学が閉鎖されて喜んだであろうが、それは自分の自由な時間、すなわち研究・思索に没頭する時間が確保できたからである。
(引用 https://www.s-yamaga.jp/nanimono/sonota/newton.htm )

トーマス・エジソンの話し
 1880年 京都の竹フィラメントを用いて、白熱電球の長寿命化
京都の石清水八幡宮の竹を用いて、この発明が成功し事は、先日のセミナーで初めて知り驚いた
(引用 http://www.iwashimizu.or.jp/story/kj.php?seq=15&category=0 )

教科書に出てきたニュートンが、当時ヨーロッパの人口の3割から4割の方が亡くなるという相当なパンデミックの時に後世に残る研究をした事。このパンデミックの原因となったペストが日本人の北里柴三郎医師によって原因菌が突き止められた事。など興味深い学びが得られました。

私に何ができるのか?
はっきりとした事は、到底わからないけれど、こんな時代になってしまった。。。
と、嘆いていないで「今できる事」を精一杯やってやろうと思います!

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