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2024年の「若者のすべて」

9月も中旬を迎えようとしているのに、今年は夏の終わる気配を全く感じない。今日、私の住む地域の最高気温は34度で、朝、窓を開けるとむわっと熱波に襲われた。

しかし、一方では日が暮れてくると涼しい風が吹くようにもなり、秋が近づいていることを実感している。きっと多くの人がその瞬間を「早く!」「早く!」と待っているように思う。今年は特に。

夏の終わり。それはちょうど8月のお盆を過ぎたあたりからのことを、そういうのだと思う。そして、この時期に入ると決まって私はフジファブリックの「若者のすべて」を聴くようになる。

この習慣はいつから始まったのか。
ふりかえってみると、X(旧Twitter)を使い始めて数年が経ち、「今日はフジファブリック志村正彦の誕生日」だとか「彼の命日だ」というツイートを目にするようになってからなので、最近始まったことではない。

フジファブリックは私と同世代のロックバンドで、志村とは同学年にあたる。彼らがデビューした2004年、私は学生気分が抜け切れていない社会人として生きていて、音楽を聴く時間は圧倒的に減っていたが、ロックフェスに行きはじめ、音楽雑誌やラジオで新曲のチェックは一応していた。

ライブを一度だけとあるフェス会場で遠目で観たような気がしている。そして、きっかけはすっかり忘れてしまったけれど、2ndアルバム『FAB BOX』を買った。聴いてみた正直な感想は「これを「かっこいい」と言ってよいものなのか…いや変だよな…でも、変は失礼だから…個性的な音楽だな…だけどなんか癖になるよな…」

しかし、中毒性の高いバンドの音楽性よりも、メンバーが同世代ということが、彼らに興味と親近感を持った一番の理由だった。自分より年上のロックバンドの曲しか聴く気がなかった私が、同世代のロックバンドのアルバムを手に取ったのは、おそらく彼らが人生で初めてだと思う。

「若者のすべて」が発売された2007年、私は社会人として超絶忙しい日々を送っており、休日は家に引きこもってネットサーフィンすることが増えた。その流れで「若者のすべて」のMVを観たのだ。フジファブリックがミディアムバラード。びっくりした。彼らもこういう曲を出すんだ!やるじゃん(なぜか上から目線)!すっかり気に入ってしまい、くり返しくり返し、MVを観た。でも、何でこの歌詞で「若者のすべて」なのか?が、当時の私にはくり返し聴いてもわからなかった。


2009年12月、志村正彦が急逝した。志村が29歳のときだ。

ネットニュースで知り、息を呑んだ。「え…?なんかアルバム出してて、いや…ライブ、していなかったっけ…何より、私と同学年の人間に突然こういうことが起きてしまうなんて…そんなことってあるんだ。。。」
受け入れがたい事実の重さに、このニュースは私にとって軽いトラウマのようなものになってしまった。

数日後、カウントダウンジャパンのステージで奥田民生が志村を悼み「茜色の夕日」を歌いながら号泣したというのを知った。


2024年8月4日。私は東京・有明ガーデンシアターに向かった。活動休止を発表したフジファブリックのライブを観るためだ。

志村が亡くなってからも、フジファブリックは3人(Gt&Vo 山内総一郎、Bass 加藤慎一、Key 金澤ダイスケ)でバンドを続けていることは知っていた。熱心に聴くことはなくなってしまっても、私があの頃のフジファブリックを志村を忘れずにいたのは、間違いなく3人がフジファブリックを守り続けていたからだ。

「解散しないバンド」と宣言し活動していることは知っていたけど、バンドも20年続けば、気持ちに変化が起きても仕方がないと思う。でも、件の発表があってから、私はずっと猛烈な寂しさに囚われていたので、その理由を確かめたくて焦ってチケットを取ったのだ。

フジファブリックのデビュー20周年を記念し「THE BEST MOMENT」と銘打ち行われたこの日のライブでは、志村の歌声とギター、実際の彼の映像を流しながら、3人が演奏するシーンがあった。始まる前、それまでマイクスタンドの前にいた山内は、志村に場所を譲るかのようにエフェクターボードごとかつての定位置に移動した。

マイクスタンドの前には誰もいない。でも、巨大なスクリーンにバッと4人が映ったとき、ちゃんとそこには志村がいた。今から15年以上も前に私が観たフジファブリックがあることが私は嬉しいのか?悲しいのか?とにかく混乱し、涙が止まらなかった。ライブの演出だとわかっていても、今が何年の何月で、自分が何歳なのかもわからなくなってしまった。

そして、だんだん実感してしまうのだ。

「若者のすべて」が志村の歌で披露されたときに思った。志村だけが若者のままで、フジファブリックのメンバーと私は年を取った。もうみんな40代だ。夕方5時のチャイムがなんだか胸に響くことはあるけど、「運命」なんて便利なものでぼんやりさせてる時間も心の余裕もないことを知ってて、途切れた夢の続きをとり戻したくなっても、とり戻せないこともあるんだってわかっている。

でも、若者のときに経験した人生の躓きが物語のはじまりになって、道が開けることもあるんだよな。ないかな ないよな なんてね って思っていても、まいったな まいったな 話すことに迷うな って、ときが来るんだ。若者であること。ただそれだけで今の私には希望に思える。

志村は歌詞を書いたとき、今の私のような加齢した中年の心境を自分もいずれ味わう想像なんて…してなかっただろう。遠い未来のことなど考える暇もなく、音楽に専念していたんだろう。私だってそう。目の前のことで精一杯だった。


誰もいないマイクスタンドの前、スクリーンに映る志村と彼の声を聴きながら、改めて志村はもういないのだと痛感する。そこで初めて彼の死を受け入れたように思う。


毎年8月の終わりになると、決まって「若者のすべて」を聴き、その流れで志村在籍時のフジファブリックの曲をひたすら聴き続けていたが、今年は例年以上に特別な思いで「若者のすべて」を聴くようになり、山内くんが歌うフジファブリックの曲も前向きに聴くようになった。

2025年の2月でバンドは一旦活動に区切りをつける。その前にもう一度、フジファブリックのライブを観に行けたらいいなと思う。

青春だった、私にとって志村正彦という人は。そして、「若者のすべて」を締め括る最後のフレーズが、今、志村からのメッセージのように聴こえて仕方がない。

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

「若者のすべて」フジファブリック







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