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心の奥深くで眠っている欠片が目覚めて、点と点が繋がり線になり一つの絵になるような感覚。


 


デッサンよりも0から何かを描く方が好きだった。
何かを写そうとする、評価しようとした瞬間に閉じこもってしまう感覚。
何を基盤に良し悪しを決めるのか、何を基準にすればいいのかとか、そんなことを考えながら物を見ると急につまらなくなったりする。
そこに在る既に美しいものを写した絵が綺麗でも、上手だねと言われたとしても"そのもの自体の素晴らしさの上に乗った小手先だけのもの"のように感じてしまって手が進まないなんてこともあった。
だからどこにもない"たった一つのもの"に惹かれてしまう。ここを知って入り込むと泥沼にハマっていくように抜け出せないのだと思う。
本当は絵も、写真も目に映っている映像の切り取りみたいなもので、二度と同じ描写にはならない。全てのものが有限の時間の中で過ごしている。コンピューターがログを残していくように膨大な量の足跡が残っていっているのだ。
『面白い』と思うものだけで会話したいと思うけど自由に表現しなさいと言われてどこへ行ったらいいのかわからなくなったときもあった。それを楽しむのか、不安に思うのかもそれぞれ違った。
無理にコメントをしなくたっていい、感想も"特になし"でいい。なんだか惹かれてしまう、これだけでいいと思っている。
奥深く知って見方が変わることも、好きなものが変わることもあるだろう。
でもどれだけ歳を重ねてもまだ残っていたのかと、全てフラッシュバックするときがある。心の奥深くで眠っている欠片が目覚めて、点と点が繋がり線になり一つの絵になるような感覚。
このためにその時に点を打ったのだと知る時に、それは完成する。
その絵が完成するまでにどのくらい時間がかかるかはわからないけど、その悦びの瞬間が好きだ。ただその瞬間のためにずっとずっと我慢し続けることは簡単なことじゃない。苦しいの連続だ。自分でも不思議に思うくらい自ら茨の道を選んでいると思う。でもだからって焦って踠いても"繋がる"ことはないのだとわかる。わかってしまう。目の前のことから動けなかったり、何も考えず何もしなければその瞬間からは遠のいてしまうのだろう。でも焦って早歩きになって、見える景色があることも知っている。
呼吸を止めて潜り続ける、泳いで泳いで苦しくなったら空へ向かう。そして酸素を沢山吸い込んでまた潜る。その繰り返し。泳いだ先には何があるだろう。『わからない、だけどもっと先へ行きたい』
たった一瞬、たった一言だ。
でもそれが僕を救ってくれていることを私は知っている。




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