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私の思う、美しい人


自分がそうしたいと思うよりも
誰かが悲しんだりしない方を選ぶ
誰かが喜んでくれる顔を浮かべて選ぶ

どこまでいっても人がいてくれるありきの私を最近好きになれてきた気がします。
"自分勝手に"とか"もっとわがままでいいんだよ"と言ってもらってもどうすればいいのかわからないってことないですか?
潜在的に自分がその正体を理解するとか、見ようとするとか、"意識"しないとそこには辿り着けなくて、よくある負のループはまさにそれだと思う。
人それぞれ持っている向き不向きもそう。
苦手意識を持ちながら取り組むことにモチベーションなんて生まれるわけなくて、むしろ不安しかないまましょうがなく"やらなきゃいけない"って思ってる人より、"どうすれば自分の得意に持ち込めるか"を考えている人の方が器用でポジティブだ。
所謂"仕事のできる人"というのは決まった成功パターンを自分で理解しているのだと思う。
自分がもし働いてもらう側だったら圧倒的に後者を採用するだろう。
この人不器用そうだけど、人間味があって好きだなとかも全然あるだろうし、本当はこれだけでいいのかもしれないんだけどね。



"思考することが苦手"という人は意外と多いのかなと思う。
それは"考えるのめんどくさ"なのか、傾聴力の問題なのか、意識のないところに没頭した逃避がしたいのか、理解したくないのか。
私はむしろきっと好きなので、言葉が好きだし、答えのないことをいつまでも語れたりするのが好き。
そこから生まれるぶわっとしたものは新鮮だからだ。
このぶわっとしたものを共有できたりなんかしたら、最高ですよね。。。
そういうところからアイデアが生まれたりして、自分の頭の中も整理されていく。
人とコミュニケーションをすると生まれるギャップに長年振り回されながら今も自分のことに思考を深めている。
というとなんだか堅いけど、"苦手なこと"、"好きなこと"が区別できるだけでとても生きやすくなった。
やらなくていいこと、やりたいこと、やった方がいいこともたまにはある。
もっとその人に踏み込みたいか、そうでないかも大切だ。
出会った人全員に同じ熱量で話しても意味がないというか、結局は"聞く体勢"がある人、持ってくれる人に話さないと伝わらないの方が合ってるのかな。
それを瞬時に察しながら、ちゃんと目を見て、恐れることなく自分の言葉を持っている人はとても芯が厚くて深い。
ちょっとやそっとの波風じゃびくともしない体幹力。
まさに幹の部分がしなやかで、美しい。
美しい人ってそういう人なんじゃないかなって思う。
外見や周りからの言葉をフィルターにかけて、実際に自分の目で見たものだけを"真実"として受け入れる。
"手に入れることはできるけど、今の自分に必要だろうか"がシンプルに一番強い。幹の養分。


"目の前の世界をもっと広げなさい"
見えないところまで自分だけが見えていればいい。
その世界が自分の中に在ることにいつでも胸を張れるように、養分を沢山吸って吐いて、美しい人で在りたいと思う。


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裸足が好きです

白よりの藍

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