三日目 くら助がくら助たる所以
「侑弥(ゆきや)ー! ちょっと買い物頼まれてくれない?」
「……だるい」
ほぼ即答。雑誌を片手に俺はソファーに腰掛けていた。頭にある装備品はヘッドホン。それを首に引っ掛けて、キッチンで忙しそうにしている母さんを見やる。
「…母さん、金ー」
まるでダメ息子のように聞こえるが、必要経費のことだ。上着を羽織っていると、五百円玉が飛んでくる。
反射でキャッチすると、「豆腐、絹!」という注文。匂いと合わせて考えるに、今日の親父のつまみは湯豆腐らしい。
後で一口つついてやろう。そんなことを考えながら、俺は靴を履いて外に出た。
「………あ」
ヘッドホン、かけたままだったな。
***
スーパーに着くと、偶然にもくら助がいた。
ぼんやりとその姿を見つめる。どうやら俺には気づいていないらしく、ナス二袋を交互に見比べている。…傷の具合だな、十中八九。
このまま観察するのもアリ、今声をかけるのもアリ。
どちらにしろ、くら助が面白い反応見せることは必須。
(さて…)
…あ、くら助が移動した。
***
…結局レジまで来た。
その原因となった彼女の手元を見れば、華奢な腕にはあまる荷物の量。…どうやら本格的な買い出しだったらしい。
これは声のかけ所か。近づいて俺は横からビニール袋を奪った。
「音無、先輩…?」
くら助が目を見張って、ナスの袋を台の上に落とした。…つまりさっきのにらめっこは無意味。
俺は無言で袋にキャベツを突っ込んだ。…これもさっきにらめっこしてたやつ。
「…くら助」
「は、はい…!?」
「ナスよこして。代わりにこっち」
「あ…はい…」
そんな取って食いはしない。けどくら助の反応が面白いのであえてそのままにしておく。
緩みそうになる頬を、欠伸でかみ殺し。一言、くら助に投げる。
「行くよ」
「えぇ?」
……あ、今の声。
クルリと振り向いて、くら助にデコピン。
「痛あっ!」
「情けない声出すな。行くぞ」
「うう…はい…」
………俺も重症。
帰り道。
「………」
「………」
未だに警戒態勢のくら助をどうしようか、決めかねる。
別にこのままでもいいが、学校じゃあまり絡めないから話したい気もする。そもそも、くら助は俺と話し始める時は、必ず警戒しているし。
「…くら助」
結局話しかける俺。
「! …はい?」
平静なフリして、バレバレ。案の定、って感じ。
「くら助の今日の夕食、麻婆茄子にして」
「え…今日は茄子の揚げ浸しにしようって」
「それじゃうちと被る」
ふわり。
くら助の驚き方は特徴的だ。紙が風に乗るように、自然に変わる。
俺は三番目くらいにその表情が好き。だからよくそうさせてる。
「…先輩もですか?」
「うちは湯豆腐らしいけど」
「…全然違うじゃないですか」
「ジャンルが一緒」
「意味分からないです」
「分かれ」
横暴だ、という台詞は聞こえないふりをしてやる。代わりに首に掛けていたヘッドホンをくら助にかぶせてみた。…サイズが合わない。
「わっ…」
「ちょっと止まれ、くら助」
頭を掴んで、無理やり立ち止まらせる。何か言われるかと思ったが、多分珍しくおとなしかった。
サイズを調整して、くら助の頭が小さいことを知る。肩幅も小さいし、腕だって細い。そこまで考えると、途端に彼女が儚く見えるから困る。
「…これくらいか」
フォンの部分を軽く小突いたら、くら助がこちらを向いた。両手で確認するように抑えて、目を細める。
「…新鮮です。いつもイヤホンだから」
「ヘッドホンにしろ」
「持ち運びには少しきついですよ。……!」
笑顔からまた驚きに一転。俺が音楽を流したから。そして驚きから真剣な表情。
さて、世間はくら助のどこを見てクール、とか言ってんの?
「……あ。今の…二番のサビに入る直前、好きです」
「俺の推しソン」
「…ソン?」
「ソング」
「ああ…なるほど」
納得するとくら助はヘッドホンに意識を戻した。間奏が少し長めの曲だから、もう少しかかる。
曲が終わってくら助がまた歩き始めるまで、俺はくら助の持ち物で遊んでいた。
住宅街にりぃん…という音が響いた。
「……ありがとうございました、先輩」
「いい」
頭から外して返そうとするそれを、俺はそのまま押し返してくら助の首に掛けた。
「…え? でも…」
「似合ってる。家では絶対にそれで聴け」
「…じゃあ、遠慮なく?」
首を傾げて取ってつけたマークは、俺の言葉を上手く解釈できた証拠。口角が上がるのは流石に止められなかった。
「疑問符は却下」
「ありがとうございます、先輩」
…母さんの買い物引き受けて良かった。俺の好きなくら助の表情ベスト3が見れたから。
「…さっきの曲と同じアーティスト、まだあるからまた今度な」
「あ、それは気になります」
くら助の希望なんか聞いてない。その意味を込めて、後頭部を軽くはたく。…その顔はどうでもいい。
「何にやけてんの、くら助」
「いえ。ただ何となく、嬉しくなっただけです」
「…ふーん…」
敢えて深く聞かない。今は聞いても分からないし、くら助もその口振りじゃ説明はできない。
「また、明日な」
一音一句、くら助に言い聞かせるように言う。
「え? …あ、もう家の前…っ…」
やっぱり気づいてなかった。
何か言いたそうなくら助に背を向けて、俺は自分の帰り道をなぞった。きっと今くら助は、俺が二番目に好きな表情をしている。
(…さて)
「…絹豆腐、他にどこで買えるっけ?」
お菓子一つ分くれたら嬉しいです。