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陽羽の夢見るコトモノは(6)

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(6)再会

伊織は両親の職業のことをあまり知らない。祖母に尋ねたこともあったが、よくわらない、とのことだった。何かしらの研究事業に携わっており、そのために北欧に拠点を構える機構に所属していることだけは、かろうじて知っていた。

伊織が両親の仕事についてあまり知らないことに同期するかのように、両親もまた伊織が何を目指してどのような生活を送っているかについては、無関心のようであった。過干渉よりはましかもしれなかったが、そこに寂しさがないかと問われれば「ない」と答える自信が、伊織にはなかった。

だから、大きなスーツケースを引いた両親が、伊織の暮らす街の小さな駅舎に現れた時、伊織はどのような表情をすればいいのかわからなかった。季節は晩夏、ヒグラシが懸命に鳴く中での再会となった。

「伊織! 元気だった?」
「おー、ちゃんと食べてるか、眠れてるか?」
「……うん、大丈夫だよ」

駅前の小さな喫茶店に入る。ここは祖母が時々連れてきてくれた店でもあった。なので、母親にとってもまた、懐かしい場所だった。

「ここは変わらないねぇ。ブレンドも相変わらずおいしいし」
「お義母さんは、ここがお気に入りだったもんな」

コーヒーカップが3つ並ぶ。しばらく、なんてことない世間話に無理くり花を咲かせていたが、ふと母親が真顔になってこう告げた。

「ねぇ、伊織。一緒に来ない?」
「え?」

伊織は言葉を失った。

「伊織に夢があることは知ってる。だけど、生活があるでしょう。まだあそこのコンビニでアルバイトしているんでしょう? いつまで続けられるかわからないし、保障だっていろいろ不安じゃない。今は元気かもしれないけど、元気なうちに夢が叶うかどうかなんて、わからないし」
「そうだよ、伊織。現実を見たほうがいいと思うんだ」
「現実……」

伊織はうつむいてしまった。ブレンドコーヒーがどんどん冷めていく。両親は伊織の目標に対して無関心なのではなく、否定的なのだと思い知った気がした。

「……相談って、そのこと?」

ようやく絞り出した伊織の声は、かすかに震えていた。

伊織が言葉を続けようとしたとき、喫茶店のドアがベルの音を立てて元気よく開かれた。

「あっちー。8月も終わるってのに、全然暑いね。ああ、ここエアコンいい感じ。助かったわー」
「エリーゼ、わたしクリームソーダがいい」
「私はコーラフロートにしよっと」

買い物帰りの陽羽とエリーゼが、偶然通りがかりにこの喫茶店にやってきたのだ。伊織は目を丸くした。彼女の存在に気付いた陽羽が、「あ!」と嬉しそうにぶんぶん手を振った。

「いおりー! 今日はいわしの梅しそフライだってー。わたしは梅を叩く担当。がんばるよ!」
「あ、伊織じゃん。どうしたの、いつも以上にシケた顔しちゃって――」

言いかけた、エリーゼの表情が硬くなった。陽羽はマイペースに何か追加オーダーしようと目論んでいる様子で、エリーゼの異変に気付いていない。

「ミックスサンド……いや夕飯が入らなくなっちゃうかな。うーん、いまはバナナな気分。ね、エリーゼ、パフェとサンデーってどう違うの?」
「……悪い、さっきの注文キャンセルで」
「えっ、なんで?」
「陽羽。クリームソーダはまたの機会にしよう」
「だからなんでっ」

陽羽は頬を膨らませようとしたが、深刻そうなエリーゼの表情に圧倒され、不安そうに「エリーゼ?」と彼女の着ていたシャツの裾を引っ張った。

「もしかして、あなた――」

口を開いたのは、伊織の母だった。母は陽羽をじっと見ると、にっこりと微笑んだ。

「5号ね。こんなところでまた会えるなんて」
「うるさい!」

叫んだのは、エリーゼだった。

「二度と陽羽を『5号』呼ばわりするな」

伊織はその光景を、ただ茫然と見ていることしかできなかった。

▽(7)につづく


よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。