陽羽の夢見るコトモノは(7)
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(7)困惑
喫茶店にいた客の視線が、エリーゼに集中する。エリーゼは気まずそうに、「ふん」と吐き捨てるように言った。
「ごごう……?」
陽羽が不思議そうな顔でエリーゼを見る。エリーゼは、「なんでもない」と陽羽に言い聞かせるように言ったきり、黙ってしまった。その場に、ぎくしゃくとした空気が流れる。
「そう。今は名前があるのね」
沈黙を破ったのは、伊織の母親だった。伊織は困惑しつつ、率直に疑問を投げかけた。
「お母さん、陽羽を知っているの?」
「もちろんよ」
「どうして……」
その問いには答えず、母親は陽羽に歩み寄ろうとした。その前に立ちはだかるのは、もちろんエリーゼである。
「陽羽に近づくな」
「随分な口の利き方ね、自分の立場をわきまえているとは思えないくらい」
「なんとでも言いな。私は陽羽を護るためならどんな誹りも受ける」
「あらやだ。まるで私が5号に危害を加えようとでもしているみたいな言い方じゃない」
「『5号』と呼ぶなと言ったはずよ」
「たかが神官さん、ずいぶんと出世なさったのね」
エリーゼと母親のにらみ合いが続く。父親はコーヒーカップをいじっており、全く加勢しようとしない。陽羽はぽかんとして様子をうかがっている。伊織と言えば、なぜか泣きそうになっていた。
久々に再会した両親と、その知り合いらしいエリーゼがいがみ合っている。大切な人と大好きな存在とが諍いを起こす。それは、伊織にとって掛け値なしに悲しいことだった。
「……やめてください」
ようやく絞り出した伊織の言葉が、これだった。
「事情はよくわかりませんが、やめてください。ここ、喫茶店ですよ? エリーゼ、お母さん、ケンカなら他所でやりましょう。そうだ、私のアパートの近くの公園に行きませんか? あそこなら多少声を荒らげても迷惑にはならないし――」
「いおり」
陽羽に名前を呼ばれて、伊織はハッとした。
「いおり、泣かないで」
「えっ」
自分でも驚いたことに、なんと伊織は泣いていたのだ。悲しいという感情が、素直に伊織の涙腺を流れたのだ。
「いおりが泣くと、わたしも悲しいよ」
「陽羽……。ごめんなさい」
「謝らないで。そうじゃなくて、ね、わたしとっても嫌な予感がするから、ここから逃げよう」
「えっ?」
陽羽はスキップでもするかのように、軽やかに飛び跳ねて伊織の手を掴むと、「エリーゼ、ありがと」と告げて喫茶店を飛び出した。
「ちょっと、陽羽!?」
「いわしの梅しそフライは、いつか必ず作ろうね」
「どこへ行くんですかっ」
「どこにしようかなー」
「どこに行くにせよ、いったん帰りましょう」
去っていく陽羽と伊織の姿が完全に見えなくなってから、エリーゼは口を開いた。
「実証実験の期間はとっくに過ぎたはずよ。なんで今更あんたたち『擬神』が、私たちに関わろうとするのよ」
「あら、嫌ね。ただの偶然じゃない。そもそも伊織は、私たちの娘なのよ。そちらこそ、ずいぶんと自由を謳歌しているようで何よりだわ」
「見逃しなさい、陽羽のことは」
「願いを請う立場の発言とはとても思えないわねぇ」
その場でエリーゼと伊織の母親の応酬を聞いていた父親が、飲み終えたコーヒーカップをカツンと指で弾いた。
「まぁママ、いいんじゃない? お目こぼし、ってやつで」
「そう? そうね。別に積極的に面倒なことをしなくてもいいかもね」
「そうだよ。今はバケーションなんだから。今後、伊織に関わらないことを条件として飲んでくれるなら、『初期化』はしないでおく」
父親がエリーゼを見る。その視線の冷たさに、しかし、エリーゼは一歩も退かなかった。
▽(8)につづく
よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。