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陽羽の夢見るコトモノは(8)

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(8)おまけ

最寄り駅の改札まで着いたところで、陽羽は伊織のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。

「遠くへ、って言ったけど、わたし、やっぱり家に帰る」
「陽羽、私には状況が全くわからないんです。私の親と陽羽は、知り合いなんですか?」

陽羽は、めずらしく目を伏せた。電車がホームに進入する音が聞こえてくる。

「どうせ逃げ切れない。だったら、一秒でも長く、いおりのことを覚えていたい」
「どういう意味ですか?」
「いおり、どうか『わかろうとしないで』聞いてほしいんだ」
「はい。でも、大切な話なら尚更、ここじゃなくて静かな場所にしましょうよ。……私の家とか」
「うん」

陽羽と伊織が帰宅すると、げっそり疲れた様子のエリーゼが、気力だけでイワシをさばいているところだった。彼女は暑さのせいだけではない汗を、額に浮かべている。

「エリーゼ、こんなときに無理はよしてください」
「ああ、おかえり」

エリーゼはそれでも作業の手を止めない。

「料理していたほうが気が紛れるんだよ。好きでやってるから、気にしないで」
「すみません」
「なんで伊織が謝るのよ」
「いや、うちの親が、よくわかりませんが、その、ご迷惑をおかけしたみたいで……」
「迷惑?」

言いかけた伊織の言葉を、エリーゼは遮った。

「迷惑なんてもんじゃないから、安心して」

もちろんこれは皮肉だ。伊織は何も言葉を返すことができなかった。

「伊織の両親、駅チカのビジネスホテルに泊まるらしいよ。会いたかったら来て、って言付かったわ」
「……そうですか」

やがていわしの梅しそフライができあがって、3人で食卓を囲む。しかし、いつもと違って張りつめた空気が漂っていた。

「いおり、じゃあ聞いて」

陽羽が思いきったように口を開いた。

「わたしはかみさまだけど、かみさまじゃない」

エリーゼは一瞬だけ箸を止めたが、陽羽の言葉をじっと待っている様子だった。

四大精霊しだいせいれい、って聞いたことある?」
「えっと……なにかの文献で読んだことがあります。地・水・風・火の四大元素の中に住んでいるという、それぞれを司る擬人的な自然霊で、霊でも人間でもなくて、そのどちらにも似た存在だった……と記憶しています」

思わぬ伊織の返答に、陽羽はもちろんエリーゼも舌を巻いた。

「そこまで知っているのなら話は早いわ。さすがは『擬神』の娘ね。こうした精霊の存在をドイツ語ではdingと呼んでいるの」
「ding、えっと、つまり『もの』ですか。それを提唱したのは確か、パラケルススでしたよね」

エリーゼは、伊織の知識量に観念して、ついにその単語を口にした。

「プロジェクト・パラケルスス」

それを聞いた陽羽の表情が、一気にこわばっていくのが伊織にはわかった。

「わたしは、そのプロジェクトの『おまけ』なんだ」

陽羽が、一生懸命に言葉を選んでいるのがわかったので、エリーゼも「おまけ」という表現を言い咎めるようなことはしなかった。

「地・水・風・火のどれにも属せない、人間ですらない、ただの人形」
「陽羽、陽羽はれっきとした神なのよ。あまり卑下しないで。神官の私の立場がない」
「ごめん、エリーゼ。でも、私は他の……四柱と違って何もできない。人間たちのしあわせを夢に見ることくらいしか」

それきり黙り込んでしまった陽羽とエリーゼに、伊織は「まず、食べましょう!」と努めて明るく声をかけた。

「食べましょう。とにかく、今はごはんの時間です。フライは揚げたてが一番です。美味しいものは美味しいうちに、みんなで一緒に食べましょう」
「いおり……」
「陽羽、話してくれたことはきっと、とても重要なことなんですよね。それで、そのプロジェクトには、私の両親が関わっていると」

陽羽は、泣きそうな顔でこくん、と頷いた。

「実は、冷凍庫にハーゲンダッツが隠れています。先月、残業代が結構ついたので、奮発しちゃいました。クッキー&クリームとバニラと抹茶です」

伊織が懸命に自分を励まそうとしてくれていることに、陽羽は小さな肩を震わせて、ぽろぽろ泣き出してしまった。

「え、あ、あれ、好きなフレーバーじゃなかったですか……?」
「いおりっ」

たまらず伊織に抱き着く陽羽。エリーゼも沈痛な面持ちで俯いていた。

▽(9)につづく


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