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「苦しみ」から逃げる? 向き合ってみる?

今日も「ココロと苦しさとの付き合い方」をつらつらと。

人生のある時期、子供を持っている女性が苦手だった。
特定の誰、というわけではない。こうした人たちに嫌がらせを受けた、というわけでもない。ただなんとなく苦手だった。

私は結婚しているが子供はいない。
が、当時結婚しているのに子供のいない自分のことを「世の中に全く貢献していないゴミ人間」と思っていた。思い返すと笑えてしまうけど。

今や「自己肯定感」という言葉も定着した感じがあるけれど、当時の私はそんな言葉を知らなかった。自分を「ゴミ」と思っていたけれど、「自己肯定感が低い」という状態だと全く気づいていなかった。

「自己肯定感が低い」というのは、心の中で四六時中自分にダメ出ししてるようなもの。
心のなかにあるダメだしの声は普段は小さくて気づきにくい。が、子供を持っている女性を目の前にすると、大声になる。

はたから見れば、ただそこに成人女性がいるだけの話なのだが、私の心のなかでは「立派な人(相手)のなかにゴミ人間(私)がひとり」みたいな景色になっていた。私が見ていたのは、この「心の景色」のほうだった。

自分を否定する思いから逃げても。

「ゴミ人間」ではいたくなかったので、「ゴミ人間」でなくなるための努力もずいぶんした。その努力が実らなくて、さらなる苦しみが生まれたこともあった。

そうしているうちに「ゴミ人間」という思いから逃げてもラクにならないということが薄々わかり、「子供のいない私はゴミ人間」という自分自身に対する思いと向き合うことになった。

自分を「ゴミ人間」と決めつけていたのは、他の誰でもない私自身だったし、この思いが私を苦しめていたのは明らかだった。そして「子供のいない私はゴミ人間」という思いは、限りなく真実に近く思えるけれど、真実ではないということもわかっていたから。

もう、ずっと「ゴミ人間」でい続けてもいい。そうやって生きていってもいい..という自分への赦しといたわりのなかで「私はゴミ人間」という思いはゆっくり溶けていった。
それはとてもやさしい時間だった。私は本当にどれだけ自分を責め続けて傷ついていたのだろう。やさしさのなかで、驚くばかりだった。

ありのままの自分が、いまここにいることを全面的に赦す。
それは、どんな努力よりも、「苦しみからの解放」につながる。
そう、苦しみに向き合うことは、自分を赦すことへの一歩になるよ。

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。
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