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ソケリッサ✖️ココルーム  このからだひとつで生きていく。存在の表現、仕事、そして、子どもの人たちへ。<後編>


6. 体、見られること、代わりのなさ

ア(アオキ裕キ) 自分の体の動きが衰えているのも感じるから、もっと動かなきゃと思いますね。でもスポーツクラブはちょっと違う。ジムでは目の前にニンジンぶらさげられている馬のように走ってる。そういうのが健康のためのアプローチとして確立されているような。
 そういう体の作り方、あり方というのは不自然な感じがします。やっぱり日常生活の中で動いて健康になっていくのが大事だと思うんだけど、今の世の中はどこか過剰になっているような。

か(上田假奈代) 何か分けてる。

ア 分けてる。いろんな日常の営みのなかで、体を使わざるを得ないというのが一番正しいような気がするんだけど。

か そういうアオキさんの視点が、最初に出てきた話の、路上でお尻出してるおじさんに注目しちゃう感性なんですよね。体というものが分断されてなくて、ひとりの日々の人生のなかでひと続きになっている。そういう体のこと、生き方をあおきさんは大事にされてるんだなあ。
「この体でこの人生を生きている」という。ひとりひとり、代われないからね、本当は。

ア だから「あなた、ここがダメだから直しなさい」とか、よく言うじゃないですか。でもそんな簡単なことじゃない。たとえば大食いの人だったら、そこに至る何らかの歴史があって、もしかしたら大食いをやめたとたんにストレスで倒れてしまうかもしれない。
 やっぱり人に何かを忠告するとか、人の何かを変えるというのは大きいことですよね。だから自分はメンバーの体の素材そのままを見せる。そこがすごく大事かな。

か 人に見せていくということを続けていくと、体って変わっていくものですか?

ア 本人が変えたいと思えば。体を変えたいという人もいるし、見栄えよくしようと髪の毛を切ってくる人もいます。

か それはやっぱり体を見せる、自分を見せるという機会があることによって、自分の中に意識が生まれるんですよね。逆にいうと意識化されなかったら、やっぱりなかなか変わらない。

ア そうですね。人に見せるというのはある意味、極限状態になるから。決められたことをやってるだけじゃなくて、自ら動かないといけない部分がいくつかあって。そういうのを繰り返していると、そこで出てくる動きや踊りには「日常」が出てくるんですよね。
 だから踊りの稽古も大事だけど、日常の捉え方が踊りに響いてくるというのはみんなすごく感じてると思いますね。無意識かもしれないけど。
 たとえば、人前で世界平和とか言ってる人が、日常では人の悪口とか言ってるとズレが出てきます。ふとした時に出てくる本心やリアルな体というのは絶対に日常なわけだから、そっちの強さをみんなも大事にし始める。それはちょっと感じますね。
 メンバーの平川さんのタバコのポイ捨て、まだ捨てる時もあるけど、前よりは減った。ちゃんと携帯灰皿持つようになってね。

か 人に見られるということもあるし、踊りの中で身体性が出ることにちょっと気がつくんですね。

ア 気がつく。別に自分が仕向けてるわけじゃなくて、それも踊りの力だと思う。

か 本人は自覚してるのかな。

ア どうですかねえ。あんまり自覚してないと思うけど。みんなにはそのままの素材でいてもらいたいから、あんまり哲学的なことはあえて話さない。


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2019年8月三角公園夏まつりにて ソケリッサ メンバー集合写真

7.  不確実とつきあう

か コロナ(*10)で出演の機会が減りましたよね、痛かったですね。

ア 痛いですね。ココルームや釜芸のみなさんはどうですか。

か ココルームはコロナでもずっと場を開いていたから。飲食業と宿泊業だから、時短営業にしたけど、行政の委託や制度での場ではないので閉めろと言われることもない。多くの居場所が閉まったから、むしろ閉められへん。ココルームは経済的にはお金の問題もあるし、庭もあって、隙間風も入るしということでずっと開けてました。
 釜芸はおじさんたちにオンラインは難しいですからココルームに来てもらい、遠方に住む人にはオンラインで、ハイブリッドにしたんです。

ア 来てる人たちの状況は?

か 釜ヶ崎の人たちですね、普段とあんまり変わらない印象。給付金を喜んでらっしゃいましたね。でも居場所が閉まってアルコールが増えたかもしれない。そんなに行動半径が広くないせいか、コロナ感染の話は聞こえてきません。彼らのこと、たくましいなあ、って思いましたよ。
 アオキさんはコロナの中でも前向きでしたよね。

ア 前向きになる大事さを感じましたよね。人は「守る」と苦しくなるんですよ。「進んでいく体」なんです、人って。前進するようにできてるんですよね、
 体は日々変化していくわけだから、同時に考え方も行動も進んでいくことが必要なんだなあって。

か そうですよ。私はずっと言ってたんです。「コロナで不確実でみんな大変だけど、私もココルームもこれまでずっと不確実だったから慣れてる!ここで、この経験をいかさなくてどうする」って。(笑)
 コロナの初期の頃、何人か、アート系の人と話して、とっても後ろ向きな人と、アオキさんのように「だからこそ」と勇気をもって語る人と、両方いましたね。
 コロナの初期、私はココルームを閉めないで、みんなと話し合うことが大事にしたい、と話したんです。きっと長引くだろうから、それをたった1人で考えるなんて無理だと思ったから、みんなと話し合いながら変わりゆく状況のなかで臨機応変に対応するしかないだろうと。心配だ、不安だ、と口に出しながらも、話そうとしていましたね。
 なんせ人は食べないと生きていけない。誰かの働きのおかげで生きられるわけだからと思うんですね。自分たちの働きは何だろうって、突き詰めましたね。

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釜ヶ崎芸術大学 釜ヶ崎の生きる知恵と技シリーズ ダンボールハウス作り

8.   体を置く場所は、装置ではなく路上

ア 自分自身も、個人の体でどこまで食べられるんだろうと考える機会になりましたね。やっぱりどこかで人に依存して生きてきた部分はあったし、今もあると思うんだけど、それが分断された時に個人の体の価値というのかな、その強靭さというのは常に磨いておかなければと強く感じましたね。

か それは体だけを指してるんじゃなくて?

ア 生き方とかね。人数が多い集団になればなるほど、1人ひとりの能力って発揮しなくなるじゃないですか。誰かに任せてしまったり。社会全体がそういう構造を作り出してると思う。それだから生きられる部分もあると思うんだけど、そこに依存してしまっている体というものをすごく感じます。
 だから集団でいても強靭な個人であることが大事かなあ。あと、個人がしっかり光って確立されていることが大事。それはこれからの社会の課題でもある。そう感じましたね。

か ホームレスの人と踊ろうと思ったあおきさん個人の思いが、こうして10数年、個人、個人の体というところに立ち返りながら歩いてきたから、けっこう多くの個人にいろんな影響を及ぼしましたね。

ア 流行の踊りをやってた時を振り返ると、なんてひどいことをしてきたんだろうと思うんですよ。流行の踊りには「型」があるから、その型に則した体のほうが覚えるのも上手くなるのも早いじゃないですか。たとえばすごく太ってたり手足が固かったりすると、それを矯正するところからスタートしなければいけなかったりする。「これをしないと上達しないから」と。そこでダンスをやめてしまった子をたくさん見てきたんですよね。
 今やってる踊りは誰でもできるし、自分の体を生かすことができる。まず自分の体に出会ってから踊りを楽しんで、そこから型があることに進んでいくという流れ。かつての自分がやっていた教え方の罪滅ぼしじゃないけど、申し訳なかったという気持ちはありますよ。
 特に舞台装置を設えられた空間でパフォーマンスをすると、ある意味、味方が集まるような感じでね、多少表現が悪かろうが、何かしら観た人は褒めて帰る。
その点、路上で表現するというのはすごくリアルなことで、通りすぎる人もいれば、立ち止まるけど少ししたらどこかへ行っちゃう人もいる。
 踊りというものが生まれた時、最初はそんな感じだったと思うんですよね。「みんな集まってくれ、今からやるぞ」というものじゃなくて、一人の衝動が湧き上がって体を動かして、それを観たり、途中でどこかへ行ったり、合流したり。
 そういうリアルさというのは絶対忘れちゃいけないと思う。作られた舞台が踊りのすべてじゃないと思うんだよね。

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2020年7月ソケリッサ!屋外稽古 代々木公園 写真:岡本千尋

9.  道は自分たちの後ろにある


か 釜ヶ崎の夏祭り(*11)でのソケリッサのダンス、圧倒的な熱量がありましたよね。東京から来たと聞いて、それだけでヤジも飛んだけど、三角公園の空間そのものが震えたように思いました。

ア 釜ヶ崎の夏祭りみたいな場所は、自分の根源を奮い立たせるものでもあり、何とも言えない熱い感覚を呼び覚ます感じがしますね。リアルなんで、みんな。観てる人もね。一緒に踊ってるメンバーは面白がってる。

か 観る人も問われますね。

ア 踊りに限らず、アート全般が自分自身を問うものだと思うんですね。作品を観た人が自分と照らし合わせたり、知らなかった世の中を知ることも。
 それを演者である自分がコントロールすること自体、不可能だと思う。観てる人に「こう思ってくれ」とかはできなくて、追求しないようにしてます。
 ただただ自分の中で、「今回はこうしたから、次はこうしよう」「これをやったから、次はあれを」とステップアップしているだけ。それを観た人たちがどう思うかはわかりません。
 瞬間を切り取って観る人もいれば、過去からずーっと観てくれている人もいる。福祉的な視点で観る人もいれば、おじさんたちの日常を心配して観てる人もいる。そんな風にたくさんの観方が大事だと思う。

か ココルームも街の中で喫茶店のふりをしたきたのも日常です。芸術と日常のせめぎあいがありつつ、喫茶店として来た人を受け入れている。そのバランスが大事ですね。その根幹には、やっぱり「面白い」が好きなことかな。起きたことを面白がる。面白いことが起きるために、私の場合だと「場」をつくる。あおきさんだったらソケリッサを作ることですよね。面白いことを起こしていくこと自体が面白いことになっていくだろうと思う。
 そういう意味では、未知なことに取り組んでいると思うんですよ。そう、未知に取り組むこと自体も面白いんだよね。

ア そう思います。

か あらかじめ、「こうしたらこうなりますよ」みたいなことは、ようやらん。

か やる前からわかっているのは自分が面白くない。身体感覚に近いかも。だからよく「わけがわかんない」と言われる。私はわけがわかんないことが自分の性分として「面白い」と思っているんだなあ。
それに、「面白いと思う」という感覚も、だんだん磨かれていくような気がする。ソケリッサのメンバーもアオキさんに磨かれていきますよね。

ア そうですね。だから、継続が大事です。

か アオキさんが10数年、私ももう20年近くになるけど、最近よく言うのは「道は前じゃなくて後ろにあるよね」と。
自分がみんなと一緒に歩いてきたのが道になってるだけで、道ができるということが信じられたのは、これだけ続けてこられたから。
 そういう意味では、次、半歩出せば、いや1mmでも足を出せば、また後ろに道ができると今は信じられるようになった。それは続けられたおかげだと思いますね。

 
か 続けるためには、お金の問題がありますよね。表現とお金の関係もなかなか微妙。
釜芸は、参加費無料なんだけど、カンパ歓迎!なんです。
「お金を出せない貧乏な人のなかで、自分だけがお金を出すと浮いて見えるからいやだ」という考え方の人もいました。あるいは「こういう活動は行政から充分なサポートがあるからできているんだろう」と思われてしまったり。
 だから、釜芸ではその時にお金を持っていない人には耳触りが悪くなるかもしれないけど、「この活動は寄付によって支えられています。懐に余裕のある方は気持ちをお金にして置いていってください」と具体的な金額も含めて明確に言うようにしました。それからカンパ箱を透明にして、見える化したんです。
 箱を透明するまでに10数年かかっています。(笑)
「カンパください」と言うのが一番素直だろうと思い、そう言ってたけど、いざ箱を開けてみるとお金が入ってない。そんなことがずっと続いて、「伝える」ということについて考えました。実際、箱を透明にしてからいただく額が増えているんですよ。
 ココルームは「酔狂」なことをやっていて、黙っていたらお金はたぶんついてこない。だったら自分たちで伝えていくしかないんでしょうね。続けたいと思うのもこっちの勝手だから。
 でも最近、お金は後からついてくる部分もあるなあと思っているんです。面白いことを重ねていったら、応援したいと言ってくれる人や、お金がいるでしょうと言ってくださる人が現れるという印象もあります。

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ゲストハウスとカフェと庭 ココルームの庭。猫や鳥、人間もくつろぐ。

10.   死なない限りは転ぶことも大事

か コツコツ、コツコツですよね。お金だけじゃない、人間関係もそうですよね。正直、生活やそれぞれの状況、タイミング。人間関係も、関わる人が持っている人間関係によってもいろいろあって。 
ソケリッサのメンバーとアオキさんは、個人的な関係はどんな感じですか。

ア あんまり日常に入らないようにしてるかな。踊りが見えなくなると怖いかなと思う。もっと踊りでつながって、踊りの力を引き出したい。最大限に信用したい。
 あと、芸術全般に言えることなんだけど、芸術はその人を勇気づける力もあれば、逆に傷つける力もあると思うんですよね。だからその人の個人的なところに入り込んでしまうと、「助けてあげたい」とか、そういうのが強く出てしまって、自分が作品を作る時に強度が薄れていくのを感じてしまう。
 だから時には作品内でメンバーの個人的な部分に傷を与えることもあるかもしれない。避けるのではなく、そうじゃなきゃいけないとも思う。
 それに、個人のところまで入っていくと、自分の許容量がパンクしてしまうんで。今のところはこんな感じですね。

か 私、実は案外、個人のところを引き受けちゃいますね。話を聞くという形で。その人の視野が狭くなろうとしているのであれば、風通しをよくするとか、自分の中に閉じこもりそうになっていたら風をいれるとか。その人が自分の弱みを話してくれるようになるんですね。でも、そうなると、人の弱みを知っていく。そうすると人が離れていくということもわかっているけど、その人が自分を開くためのステップだから。

ア 自分もワークショップを中心に活動していたら、そうしてたかもしれないな。あとはもう少しサポートしてくれるスタッフがいれば、考え方も変わるかもしれない。
 死なない限りは転ぶことも大事な気がしてるんですよね。嫌になってやめてしまうことも、実は大事な感じがしていて。もしかしたら数年後に戻ってくるかもしれない。それも含めて見せられたら、というのがひとつありますね。自分たちの活動として。

か 本を書くんですね?

ア 「こんなことがあり、彼がやめてしまって、6年後に戻ってきた」とか。

か ココルームも同じですね。二度と来るか、と言って出て行った人が、何ヶ月か何年かして、戻ってきてくれる。
大喧嘩しても時間が経ては会える。私もすでに言いたいこと言ってるから、再会のときは気持ちはすっきりしてるんですよね。だから、はっきり言うことは、再会のために必要なのね。

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ソケぶつ ことばでおどれ板

11.  来てもらいたいから、正直に話す


か はっきり言うことのひとつに、臭いのことがあるんですよね。臭うおじさんに「お風呂に入って着替えてきてね」って言うんですよ。我慢を続けていたら来てもらいたくなくなってくる。「来ないで」と言うんじゃなくて、来てもらいたいから、言うんですよね。野宿生活の人と踊るとなったら、臭いのこと、あったでしょう、アオキさん。

ア 2006年ぐらいの最初の稽古とかに来てたメンバーはみんなほぼ路上だったんで、全員臭いましたね。スタジオの他の利用者から苦情が出て、使っていた場所があっという間に使えなくなって。
 だけど自分は好奇心が強いから、どれぐらい風呂に入らなかったらこんなに臭くなるのかなとか、そこに興味をもつんです。
 きっと原始時代って、みんなこんなんじゃなかったのかなとか。臭いがしない今のほうが異常かもしれない。一緒に踊りながら体を合わせても臭いがしない今のほうが異常かもしれない。臭うことってある意味大事な刺激というか。みんなフレッシュな石鹸の匂いしかしないのは、逆に怖いような気持ちがありますね。
 世の中っていろんなことが過剰になっていくじゃないですか。

か じゃあ「お風呂に入って、着替えてきて」は言わないんですか?

ア 言いますよ。「ちょっと、足臭いっすね」とか「消臭スプレー持ってきてと言われたんで、かけまーす」とか。そうしないと(稽古に)使ってるところに苦情がきちゃうんで。
 臭いって慣れちゃってわからないから、自分の臭いはわからない。そうやって言うことで「自分は臭いんだな」と自覚できるようなことは必要かもしれないですね。

か 消臭スプレー欠かせませんよね。(笑)靴を脱がないといけない場所での釜芸は、消臭スプレーと雑巾を置いときます。

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2020年7月ソケリッサ!屋外稽古 代々木公園 写真:岡本千尋


12.  波にのり、でも地道に


か 映画の中で「彼女が欲しいから生活保護を抜ける。ソケリッサをやめて新聞配達をする」と言ってた平川さん、どうなったんですか。

ア 実際に稽古に来なかったのは1ヶ月ぐらいかな。すぐ戻ってきた。僕らはやめたのも気付かなかったぐらいで。(笑) 
 そういう波はすごく大事だと思いますけどね。平坦にコツコツとやってるのがいいように見えちゃうかもしれないけど、こういうことがあってこそ、人間がどんどん豊かになっていくことだと思うし。

か アオキさんは大きい波を済ませたから、今コツコツとやってるんですね?

ア まだ波に呑まれまくり。まだ小さい子どもが2人いるし、ソケリッサもコロナで思うようにいかないことがいろいろあるし。金銭的なことも、将来は何も見えない見えない状態は変わらない。それを自分が真面目に捉えちゃったら気持ちが落ちるばかりだと思う。
 でもね、おじさんたちや家族といることで楽しくできたりもする。ものの考え方の転換になっているかもしれないし、踊りの力とかも感じますよね。

か ソケリッサのメンバーには子どもがいない人が多いんですか?

ア 今まで会った人のなかには(子どもは)いなかったかな。奥さんがいたけど別れたという人はいるけど。今のところ。

か 彼らはそういう意味では子どもをもたなかった、もてなかった人生の中で、今、ソケリッサであおきさんの子どもに触れてるんですよね。

ア みんな、すごくよくしてくれます。

か 「みんなの子ども」になりつつあるんでしょうね。

ア お金ないのにプレゼント買ってきたり。100円均一に行ってね。うれしいです。

か うちの子も「みんなのこども」。娘がちょっと外に出て帰ってくると掌にお金。聞くと、野宿のおじさんからもらった、っていうことがよくあったわ。

ア もともとそうなんじゃないですかね、きっと。いろんな人の子どもが自分の子どもでもある。

か アオキさんも私もそうだけど、みんなに子育てに関わってもらって、みんなで育ててもらっている。これほどの人生の喜びはあるやろか、と。今の世の中であまりない子育てをさせてもらっているというのは面白いし、ありがたい。

ア これからもどうなるかわからないですからね。

か わからない、わからない。そういう意味ではもーっと先に、子どもの人たちに何かを手渡せるといいですよね。

(おわり)

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2018年 大阪市西成区通称三角公園 釜ヶ崎夏祭りにて 釜芸✖️ソケリッサ

注釈

*10 コロナ
新型コロナウイルス感染症。2020年1月16日に日本国内で初の新型コロナウイルス陽性感染者が報告される。以降、感染者は増え続け、同年4月7日に当時の安部総理大臣が緊急事態宣言を東京、大阪など7都道府県に発出。その後も小康状態を挟みながら感染は拡大。2021年4月よりワクチン接種が開始されたが、同4月現在も収束の兆しは見られない。


*11 釜ヶ崎の夏祭り
毎年8月13日〜15日に、釜ヶ崎の三角公園で開かれる催し。2020年で49回目。(2020年は慰霊祭のみ)お盆で仕事のない労働者釜ヶ崎に戻ってくることから夏祭りが行われた。現在も炊き出し、慰霊祭(釜ヶ崎で亡くなった人の名前が読みあげられる)、ステージなどが行われる。

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プロフィール
アオキ裕キ(振付家)

兵庫県出身。テーマパーク、タレントのバックダンサー業などを経て 2001年NY留学時にテロと遭遇。帰国後、自身の根底を追求。「今を生きる身体から生まれる踊り」を求め2005年路上生活経験者と集い、ダンスグループ「新人Hソケリッサ!」を開始。コニカミノルタソーシャルデザインアワード2016グランプリ受賞。

上田假奈代(詩人・詩業家)

1969年奈良県吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。「ことばを人生の味方に」と活動する。2003年大阪・新世界で喫茶店のふりをした拠点アートNPO「ココルーム」をたちあげ、2008年西成・釜ヶ崎に移転。2012年まちを大学にみたてた「釜ヶ崎芸術大学」、2016年「ゲストハウスとカフェと庭ココルーム」開設。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。 2014年度 文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞。 2021年から堺アーツカウンシルPD。


編集 社納葉子

助成:大阪市、公益財団法人 福武財団

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ココルームの日々

現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています

ありがとうございます!
地域に根ざしながら、さまざまな人々とであい、表現とまなびあいの場をつくるココルーム。暮らし、仕事、関係性をみつめ、そして社会と接続する場として活動しています。であいがたくさん生まれるよう、喫茶店のふりをしています。