たねを植える
1 道のり
どっこい、生きてる。
大阪市西成区通称・釜ヶ崎。
この地名に、眉をひそめる人たちもいる。
ここに来た人が知り合いから「あんなとこに行くの、やめたら」と言われた、というのは、よく聞く。
直接そんな風に言われないのは、わたしはすでに釜ヶ崎の人として、見られているからだろうか。関わりはじめて18年になる。
大阪メトロの動物園前駅のホームはタイルの壁で、どこかひんやりした質感で、蛍光灯もほの暗い。駅の2番出口から地上に出る。釜ヶ崎の端っこにある動物園前二番街にある「ココルーム」に向かう。
商店街のアーケードの柱にあるスピーカーから昭和歌謡がながれ、この5年余りで急増したカラオケ居酒屋から大きな歌声が聞こえてくる。
駅から4〜5分で、ココルームにたどり着く。
玄関前はバザーの品物とチラシで、ごちゃごちゃとしている。
となりの扉は「本間にブックカフェ」で、これもココルームが運営している。この扉から入れば、年代物のカウンターとたくさんの本、運がよければ、日替わり店長に迎え入れられる。ここでは、店長とおしゃべりをすると、店長はあなたのために本を選び、あなたはその本を贈り物として持ち帰る。
ごちゃごちゃしている方の扉から入ると、細長い空間に、キッチンやピアノ、テーブルがあり、フロントらしいブースもある。これもカフェ。
その奥にまたキッチンがあり、その向かいには、畳敷きの小上がり。大きなテーブルがあり、本や雑誌、みかんやお菓子が置いてある。
さらに奥があり、テラスのようなスペースがあり、その向こうに、すこしジャングルめいた庭が広がっている。
商店街から歩いてきたら、あまりの野生の空気に、すこしびっくりする。
運が良ければ、赤いハンモックが揺れている。
奥には、昨年、のべ700人がスコップで掘った井戸がある。
建物は3階建て。10室ほどあり、全部で35ベッド。トイレやシャワールームは共用で、エレベーターはない。廊下や階段には、ところせましと描きこまれ、なにかが展示されている。釜ヶ崎のもと労働者の独特な絵やオブジェ、書などもあるし、詩人の谷川俊太郎さんがこの宿のために書き下ろした詩人の部屋、美術家の森村泰昌さんがプロデュースした部屋もある。
2 ココルームはドーナッツの穴
「ココルーム」とは何か。
文化芸術を主たる活動とするNPO法人である。
文化芸術が特定の場所と人に由来するものではなく、いまを生きるわたしたちのものとして考えたい。表現と社会の関わりを通してなにが見いだせるのか、を実践研究する。
2003年、大阪・新世界フェスティバルゲート(2007年閉鎖)で、喫茶店のふりからはじまった「であいと表現の場」。
その後、2008年に西成の動物園前一番街に拠点を移し、ひきつづき、喫茶店のふりをつづけた。
釜ヶ崎の人たちの高齢化を感じて、2012年から、釜ヶ崎芸術大学を運営する。釜ヶ崎のまちを大学に見立てた。「学びあいたい人がいれば、そこが大学」。校舎もない。参加は無料(懐に余裕がある人にはカンパをお願いしている)。気前のよい運営方針なのは、この街には生活保護やアルミ缶拾いで生計をたてている野宿生活、わずかな年金暮らしの人が多いから。助成金の採択をうけて、やっと運用できる事業なので、近年、助成金の獲得に苦労を感じている。
さらに2016年、二番街に引越し、ゲストハウスのふりが加わった。
さきほど記述した店内のようすは、ゲストハウスのもので、1階はカフェ、ゲストキッチン、庭、2階3階は宿泊者専用フロアとなる。
そして、ともかく、さまざまな人たちが出たり入ったりする。
年齢や性別、国籍、職業、専門性も多岐にわたる。病気やアディクション、障がいを持つ方、家出人、野宿生活者、難民、表現者など。
生きることは表現すること。
だから、であってしまった人たちと関わりあう。
とはいえ、工夫は必要だ。
1 問題解決しようなんて、思わない。
2 おもしろいところに着目し、それを伝える、表す。
3 白黒つけたりしない。正しさにこだわらない。でも、正直に。
4 時間を信じる。ほがらかに。
「ココルームはドーナッツの穴」というのは、さまざまな人たちがいてくれるから存在する、ということの現れである。
3 コロちゃんと釜ヶ崎、そして明日
いまは2020年4月。コロちゃんーコロナウイルスの猛威によって、世界はその数ヶ月前とはまったく違ってしまった。
釜ヶ崎のおじさんが「コロちゃん」と呼ぶので、そう呼んでいる。
釜ヶ崎の人たちは高齢で持病持ちでお酒やタバコが大好きなので、コロちゃんとの相性はよさそうだ。ただ、結核日本一なので、感染症についてはしぶとく取り組んできた経緯はある。それに、ひとり暮らしで、出歩かなければ、あんがい拡散防止な生活をしているかもしれない。医療従事者、ヘルパー、ディサービス、弁当宅配業などの支援側の人たちが、通勤や消毒、防護に気をつかっている状態がつづいている。
釜ヶ崎のおじさんたちは、以前と変わらないようにもみえる。
「明日どうなるかわからん」という人生を、ずっと生きてきたからか。
ココルームはこの4月、宿泊業カフェ業が95%減収となってしまいそうで、閉めるという決断にはならない。その決断がよいのかどうか、いまはわからない。
どうせなら、「明日どうなるかわからん」という人たちの生きる街で、今日できることをやっていきたい。
遠くを心配するよりも。
今日もていねいに、ほがらかに。
4 つづく日々、つづくnote
このテキストは、ココルームを設立した上田假奈代が書いた。
現在も代表理事をつとめている。
設立当初からのスタッフはいない。
かつて、ココルームのミッションをスタッフたちと話し合ったが、だれも同じミッションではなかった。それも、この組織のおもしろさだ。
それぞれの物語を語る。
ココルームで働く、関わるとは いくつもの物語が交錯し、不確実な未来へつながっていく。
これからつづけていくnoteは、ココルームのスタッフや関わる人が署名しながら、書いていく。コロちゃんのなか、ココルームはこれまでやっていないことにも挑戦する。ぶち当たるだろう。
どんな花が咲くだろう。
今夜、わたしは、たねを植えた。
やがて、土をやぶって芽はでるだろう。
きっと、その芽は、ふるえるように柔らかい。
2020年4月7日 満月 22:01 上田假奈代
現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています