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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#55 デイビーボーイ・スミス

今回は「ブリティッシュ・ブルドッグ」の異名で一世風靡したデイビーボーイ・スミス選手のご紹介です。

スミス選手は、1978年イギリスでプロレスラーとしてデビュー。当時15歳だったそうです。その後従兄弟でもあるダイナマイト・キッド選手の後を追う形でカナダのカルガリーへ渡り、スタンピード・レスリングにて活動します。

1983年11月、新日本プロレスに初来日。ザ・バンピード(TheVampiedo)なる覆面レスラーとして、NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦に出場しましたが、試合直前に自らマスクを脱ぎ捨て正体を明かします。

スミス選手はジュニアヘビー級離れしたパワーファイターで、当時の実際の体重は103kgでジュニアヘビー級のリミットである220ポンド(99.8kg)を超えていました。

カナダではヘビー級の選手として活動し、1984年11月には、キッドと共に全日本プロレスへ電撃移籍。ウェイト・アップを図って日本でもヘビー級に転向し、更にパワーに磨きをかけました。なお、全日本マットでは従兄弟という設定のジョニー・スミス選手ともタッグチームを組んでいます。なお、ジョニー選手とは血縁関係はありません。

1985年にキッド選手とともにWWF入りし、ブリティッシュ・ブルドッグス(The British Bulldogs)のチーム名で活躍しました。

1988年末にWWFを離脱し、翌年より全日本プロレスに復帰しますが、スミス選手が突然に他団体との契約をしてしまい、チームは空中分解。これはキッド選手も聞いていなかったそうです。

1990年、シングルプレイヤーとしてWWFと再契約。1992年8月29日には地元イギリスのウェンブリー・スタジアムに8万人の観客を集めて開催されたサマースラムにおいて、ブレット・ハートを破りインターコンチネンタル王座を獲得しています。

いったんスミス選手はWWFを離れますが、1994年より復帰し、1997年にはハート・ファウンデーションに加わっています。モントリオール事件以降WCWに移籍ましたが、1999年にヒールとしてWWFに復帰。WWFには2000年まで所属していました。

スミス選手は、2002年5月17日にカルガリーの自宅で心臓発作を起こし、39歳で死去。ステロイド剤投与とドラッグの影響だといわれています。

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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。