私的プロレススーパースター烈伝㉗BI砲
今回はジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんとのタッグチームであるBI砲のご紹介です。BI砲とは、1960年代後半から1970年代初頭にかけて日本プロレスで活動しました。「BI砲」の名称は、当時のプロ野球界で王貞治さんと長嶋茂雄さんのコンビが「ON砲」と呼ばれていたことから、馬場さんと猪木さんの頭文字を取って名付けられました。
1967年5月12日、岐阜大会でのワルドー・フォン・エリック&マイク・デビアス戦において、東京プロレスが崩壊し同月より日本プロレスに復帰したアントニオ猪木さんと、当時の団体エースであるジャイアント馬場とのタッグチームが実現。これが「BI砲」としての正式なチーム初結成でした。以降、日本プロレスの看板コンビとして活躍するようになっていきます。
このいきさつから察するに、出戻りの猪木さんは馬場さんの「下」的な位置づけとなり、BI砲の時には、主に猪木さんが相手の攻撃を受けて一発逆転から、馬場さんにつないでいくというスタイルが多かったように思います。
1967年10月31日、カウボーイ・ビル・ワット&ターザン・タイラーを破りインターナショナル・タッグ王座を獲得。BI砲は第9代のチャンピオン・チームとなります。日本プロレスのタッグにおけるフラッグシップ・タイトルだった同王座には、合計4回にわたって戴冠しました。
1971年12月7日、札幌での防衛戦において、ザ・ファンクスに敗れて王座から陥落したのを最後にコンビは消滅。以後、両者とも日本プロレスを離れ、独自の団体を旗揚げして袂を分かったため再結成は実現しませんでした。
しかし、1979年8月26日、日本武道館で行われたプロレス夢のオールスター戦にて、一夜限りの復活を果たしました(対戦相手はアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン)。これがBI砲の最後の結成となってしまいました。
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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。