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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#56 工藤めぐみ

今回は、邪道姫の二つ名で引退後もゼロワンなどで、健在ぶりを示している工藤めぐみ選手のご紹介です。

工藤選手は、高校1年の1986年、全日本女子プロレスに入門します。同年8月8日にデビュー。同期にアジャ・コング、バイソン木村、前田薫らがいます。

当初は同期生の中で最も強かったのですが、1988年3月24日の豊田真奈美戦を最後に、同年4月9日に全女を退団します。

その後、保育士の助手に転身したが、1990年3月10日のFMW後楽園ホール大会に、全女時代同期だった豊田記代(後のコンバット豊田)選手・天田麗文選手と共に、乱入という形で参戦し現役復帰します。

復帰後はFMWの女子プロレスを活性化させた立役者となります。抜群のルックスを誇り、FMW参戦当初はヒールレスラーだったのですが、後にベビーフェイスに転向します。


そして、プロレス週刊誌において、男子レスラーを押しのけ、女子プロレスラーとして初の単独表紙を飾るなど、プロレス界随一のアイドルレスラーとして大仁田厚と共にトップに君臨して人気レスラーになりました。

二つ名の邪道姫の由来ですが、そのはじまりは、1996年5月5日に豊田選手とともに行ったデスマッチでした。

この試合を皮切りに過激なプロレスの舞台に飛び込み、大仁田さんの引退後はその代わりとなるように新生FMWの屋台骨を支え、『邪道姫』の通称で呼ばれるようになったのです。


工藤選手自身初の本格的なデスマッチとなった1996年の試合は、女性としては史上初の有刺鉄線デスマッチであっただけでなく、ロープの代用としての有刺鉄線を感電させたうえで、そこに爆薬を装着した、いわゆる『電流爆破デスマッチ』でした。 

女性レスラーとしては前代未聞であったこの過激なデスマッチは、国外においても『史上初の女性によるハードコア・レスリング』として記録されることが多々あります。

このことから、デスマッチ路線に突入したのはその経歴のごく晩期に過ぎないにもかかわらず、国外にあっては『デスマッチの工藤』や『ハードコアの工藤』、『ハードコアの女王』などとしてその名が現われやすいのでしょう。


結婚引退後は解説や、タレント活動などを行なってきましたが、2015年、「超花火プロレス」エグゼクティブプロデューサーに就任し、その縁から2020年7月、プロレスリングZERO1のゼネラルマネージャーに就任して、再びプロレス界と関わりをもつようになりました。

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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。