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自分の気持ちに責任を取りすぎない。

統合失調症の姉との関係の中で、とても気楽になった考え方の一つとして、「自分の気持ちに責任を取りすぎないこと」というのがある。

この考え方は、エックハルト・トールさんというスピリチュアルリーダーの動画や本、それから瞑想を習ったり、神秘学を習ったりしているうちに私の中で納得したものだ。

ここでは感情を「集合意識から私の体へとやってきて、通り過ぎていくもの」として捉えている。

怒ろうと思って怒れないし、悲しもうと思って悲しめない。
それはいつも「どこかから」やってきている。
それを集合意識から、と考える。

そして私のお役目としては「ネガティブな感情が痛みとして私の体を今通り過ぎようとしているな」と気づいて見届けることだ。

それが癒しになり、解放になる。

でも、「これは”私だけの”感情」となると、解放することができない。

その感情を捕まえて、アイツのせいだとか、私がダメなんだとか、色々とこねくり回してしまう。

だから感情に対しての責任を自分で取りすぎなくていいと思うのだ。

「おお〜!またまた集合意識からイライラエネルギーが私を通り過ぎているぜ!!ならば見届けてやろうではないか〜!」

くらいの感覚で、感じて昇華していく。
その瞬間はもちろん気分悪いしめっちゃ力むけど、マックスまで力めばそのうち緩む。

緩んだ時には手放している。

力んでも手放せない時は、何度でも力めばいい。

こういうふうにしていると、どんな気持ちを感じていようと、必要以上に嫌悪したり責めたりすることがなくなる。

だって、自分だけのものじゃないし、どうしようもないやん、やれることやっとこ、って感じになる。

とはいえ、何の関係もない感情が自分を通り過ぎるなんてことはなくて、自分と共鳴した感情が自分を通り過ぎていく。

だからそれは私だけのものではないけれど、私のものでもある。
ややこしいけど、本質的なものはそのくらい曖昧だ。

で、これは私的には「集合意識への貢献」だと考えている。

集合意識は癒されたがっている。

傷ついたエネルギーが解放の出口を求めて、やってくるのだ。

この考え方から以前の記事も書いている。↓↓

よく、集合意識を味方につける、なんてフレーズを耳にするのだけど、これをやるとほんと味方になってくれてる感覚がある。

だから、私は自分が楽したいという下心満載で感情を受け止めて解放する。

どんなに孤独だろうと意識はみんなと繋がっている。

集合意識の貢献として自分の中から湧いてくる感情を見届けて、解放していると、そのつながり感は私の中でとても心強いものになっている。

姉と一緒にいることで感情的になりやすい分、こういう工夫を必要としたとも言えるけど、一人で背負いすぎずに生きるって、こういうところでも言えるかなと思う。

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