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難民の子どもたちと遊び想うこと

わたしの住む街に、難民の方々が仮住まいをしている施設があります。

数年前から、そこに住む家族の子どもたち(5歳から12歳ぐらい)と、週に一度、一緒に遊んでいます。

相棒の肝っ玉母さん・ウルリケと、午後3時間ほど子どもたちの相手をして、絵を描いたり、パズルをしたり、レゴブロックなどで遊んで、一緒の時を過ごしています。


コロナ渦中は、もちろん中断。
去年の夏、やっと再開したものの、年末から、オミクロン株の脅威が増してきたため、再び中断。


4月半ばに再び出向いたときには、ウクライナから避難してきた家族の子どもたちが数名ほど加わっていました。


アフガニスタンから難を逃れてきた家族の子どもたちも増えました。
アフガニスタンは、去年の8月に、タリバンが政権を握ってからというもの、特に女性への圧力が強まり、各種の制限が課せられ、行動の自由が狭められていると聞きます。


アフガニスタンなどイスラム圏出身の女性の多くは、こちらの施設でも、頭部をスカーフなどの布で覆い、腕や足などの肌が見えないように身なりを整えています。


まだまだ、子どもにみえる13~14歳の少女も同様の服装です。
どんな猛暑の時にも、これは変わりません。
時々、こちらの方が、苦しくなってしまうほどで。。。


つい最近、この施設に来た子どもたちは、当然ですが、ドイツ語がまだまだ理解できません。
英語ができる子どもは、ほとんどいないので、意思の疎通が難しいときもあります。


その中で、アフガニスタン出身の14歳の少女は、英語が少しできるので、お話しすることができます。

I go eye doctor today.

そうか、
今日は、眼科医に行ってきた。
ということだな。

こんな具合です。


彼女は、英語ができるせいか、ドイツ語の習得も早いのです。
こんなとき、教育のありがたさや、学ぶ意欲の力の素晴らしさを、しみじみと感じます。



女の子はとくに、絵を描くのが好き。
わたしたち大人が、絵の具、水、色鉛筆、紙などの画材を用意するだけで、子どもたちは、それぞれ、好きなものを描き始めます。

ことばは要りません。


どの子どもも、真剣な表情ですが、とっても楽しそう。

ある女の子は、この絵だけ描いて、何も言わずに帰っていきました。


「この絵は、お母さんにプレゼントする」と話してくれた女の子もいます。



絵を描きながら、


人は、まだことばにならない
意識化できていないもの

を表現していくそうです。



辛いこと、苦しいこと、悲しいこと。。。

心にある様々な想いを、

色にして、形にして、

アウトプットしていく。


そうして、

心の中うずまいている感情を

浄化していけるのかもしれません。


人生には、ただでさえ、苦しみ、悲しみなどの心の痛みが、伴うものです。


それに加えて、戦争・紛争や民族迫害によって、自国を追われた人々の苦難は、いかばかりかと。。。



選択肢が極めて少ない状況でも、運命の荒波を泳ぎながら、苦境を乗り越えていかれる家族もあります。


つい最近、遊ぶ会に来ているA君のお母さんと、立ち話しをした時のことです。近況を聞くと、やっと、住居が見つかり、近々、施設を出ることになったと。


家族7人が、狭い一部屋で6年間!も生活してきたという話には、ただただ、頭が下がるおもいです。



こんな時、自由、尊厳ということを考えずにはいられません。




戦争のような非常事態ではない日常でも、人間としての自由や尊厳が、傷つけられたり、奪われていないか、目を見開いて、しっかりと観ていきたい。
そんなふうにも想います。



そして、どの子どもたちにも、

しっかり育って!

とエールをおくりたいのです。


Reiko


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