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幸せに生きるために

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過去を過去にして、幸せに生きてゆけることを感じたものをnoteに。
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#世界

勁草であれ

強い雑草だったはず。 原点に還ろう。 そう、強い雑草だった。 また、始めよう。 いつまでも、勁草であれ。 いつから、エリート気取りになった? それでも構わない、流されなければ。 知らず知らず、心が全部すり変わっていないか。 あの頃の景色を忘れていないか。 もっと、心で感じるものを信じてもいい。 あの頃を思い出せば、また気付くだろう。 それまでエリート気取りを楽しめばいいよ。 何一つ責めたりしない。 好きなことをする。 眠りたいだけ眠る。 食べたいものを食べる。

参拝

神社などを参拝する際には、いろいろルールがあります。 自分は、あまり守りません。 理由は、二つほど。 1、神は身近なもので、人々を守り赦すためにあると言っても良い存在です。ルールで縛っているのは誰でしょう。決めた人や経緯があるのです。それらは、霊的なことからそうなった訳ではなく、人間の側が畏れて決めたり、誰かが優位性のために決めたりしたものです。神は人間に向かって、「平伏せ、讃えよ、崇めよ。」などとは言いません。 2、鳥居をくぐる時に、「真ん中を歩くな。」と言います。自分

象徴がいつしか権威へ変わる。

初めは、清らかな心を表したことだろう。 だけど、長い歴史の時間の中で変化してしまった。 神だとか仏だとか。 象徴は、感動を与えるほど厳かな方が良い。 造り手は、芸術家である。 そこの意味を乗せるのは文学家である。 いつしかそれらは、宗教となった。 生活の中で見出した凛とした芸術は、崇拝へと変わってしまった。 そして解釈は広まり、ついには現人神を祭り上げた。 人々は、その権力を目指し殺し合った。 宗教が、政治と密接に関わっている理由である。 象徴は、単なる象徴に過ぎ

地球の話し

本当に間違っている。 カルト政治に騙されて自殺する人々。 国際的な犯罪とも言えるこの騒動に加担している、日本の最高地位にある家。 その家から賞を受賞する犯罪者たち。 国の人々が自殺してゆくというのは、国そのものである人々が消えてゆくわけだから、国が破綻してゆく様であるということ。 確かに人口は増え過ぎてしまったかもしれない。 でもそれも、牽引してきた1%による労働者確保の政策の結果。 必要がなかくなったからと言って、このような所業が許されるわけがない。 血が通い、魂も心も

日本が変わらない。とか、、、

世界が変わらない。とか、、、 当然ですよね、支配されているのだから。 でも、もうすぐ支配を解くための動機が訪れるような気がしている。 究極の選択を前にして人は、どうするだろうか。 自分の意思で究極の選択肢を付け加える。 それしか、生き延びる術は無くなるだろう。 諦めて支配に降るか。 選択肢を増やし、依存せず生きるか。 そんな日が、目の前に迫ってきているように感じられる。

自己責任という言葉

“自己責任”という言葉は、解釈の仕方で意味が変わる。この言葉の意味を印象的に操作するようなロジックが拡散されている。 目的に到達させるために。 少しだけ何故そんな回りくどいことをするのか説明すると、目的が達成した際に、「みなさんがこう言って決めたでしょ。」と責任をなすりつけるためです。そう、自己責任でしょ。っていうため。わかりますかね?(笑) 依存しすぎないこと。という意味が強いのに、自己責任を求める政府は間違っているから改憲しよう。とか、自己責任という人は、〇〇だ。と

産まれた瞬間に、悟っている人はいない。

✨ 絵 まきこさん ✨ 神、人神、現人神、スピリチュアル、その他、、、 いろいろ世の中にはありますが、それらについての考えを書きます。 以前から宗教お断りとか、見たことないから信じていないとか、あれこれこうしろってケチなことを人を超えた存在が言うわけがないとか、散々言っていますが、補足とか見解の説明になればと思います。何度も言ってますが、否定しているのではなく、見てないからということです。例えば、目の前に現れたなら素直に信じます。ただ、ここでもう一つ誤解されたくないのです

“ライフライン“ カタカナ英語が与える危険

“ ライフライン “ 誰でも分かると思う。子供の時から日本語のように浸透して聞いている言葉だと思う。そして、ちゃんと意味や概念を理解しているだろう。 しかし、カタカナ英語になることで、奥深くに内包されている真理が見出せなくなっている。何となく学術的にとかビジネスっぽく『ライフラインとは、水道、電気、ガスなど生活に必要なインフラを指す。』と、言ったように表面的な意味で捉えてしまう。 そこにさらに“インフラ”である。では、『インフラとは、infrastructureであり、生活や

常識という洗脳

そもそも、社会に洗脳されている。常識という洗脳だ。だから、そこに蔓延る宗教にも洗脳されやすい。それに、気が付いていないのが一般的な「常識人」と自分で言ってしまうような人たち。 ここで言いたいのは、常識やお金(金融資本経済)の洗脳から解放され、それから見えることを分析して自分でその変化を感じて欲しいということ。 まず、この社会に洗脳されていることに気付くかどうかが第一段階となる。自分が暮らしている社会が平和であればあるほど洗脳されているとは思わないでしょう。 そこで考えるべき