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幸せに生きるために

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過去を過去にして、幸せに生きてゆけることを感じたものをnoteに。
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勁草であれ

強い雑草だったはず。 原点に還ろう。 そう、強い雑草だった。 また、始めよう。 いつまでも、勁草であれ。 いつから、エリート気取りになった? それでも構わない、流されなければ。 知らず知らず、心が全部すり変わっていないか。 あの頃の景色を忘れていないか。 もっと、心で感じるものを信じてもいい。 あの頃を思い出せば、また気付くだろう。 それまでエリート気取りを楽しめばいいよ。 何一つ責めたりしない。 好きなことをする。 眠りたいだけ眠る。 食べたいものを食べる。

地球専用 MATRIX BODY

肉体は、老いてゆく。 (滅んでゆく。) しかし精神は、然程変化することはない。 (何故なら、魂は変えようがない。) 身体という器が、この世界で生きる必要な事を覚えてゆくに過ぎない。 それをまるで大人と言ったり、知識階層の基準を設けたりする。 生まれた瞬間に決まっているのは、死に向かい始めたということだけなのに。 いつか必ず死ぬ。 その時に向かって生き始める。 前半は、物、色、金を追いかけるゲーム。 埋め込まれた本能が発動し、趣向に走る。 後半は死を待つ時間まで、築き

呪詛

過去 支配のため 仕掛けられた 言葉 祭事 そういう物事に絡められている状態が多い。 その呪縛は、大きく強まっていく。 何となく知られているだけの、 その風習 その常識 根源は何? 俺に対する最大の呪詛は、約1200年前の始祖にある。 今も一族を苦しめている。 先代たちは、時を横臥した者、争いを繰り返した者、一族で血に血を洗う者、今もなおその影響を及ぼしている。 常識? 風習? そんなもの、ちゃんちゃらおかしい。 俺は、それらを作ってきた全ての先代たちへ

寝言は寝て言え。とか、世迷言を言うな。とか、夢は語るな。なんて、昔はよく言われたものだ。 そんなの無視して、実現しようとしまいと、夢は語るべきだ。 大いに語り、空想し合う方が良い。 そのうちの何かは実現するかもしれない。 だけど、語る相手は選んだ方が良いかもね。

参拝

神社などを参拝する際には、いろいろルールがあります。 自分は、あまり守りません。 理由は、二つほど。 1、神は身近なもので、人々を守り赦すためにあると言っても良い存在です。ルールで縛っているのは誰でしょう。決めた人や経緯があるのです。それらは、霊的なことからそうなった訳ではなく、人間の側が畏れて決めたり、誰かが優位性のために決めたりしたものです。神は人間に向かって、「平伏せ、讃えよ、崇めよ。」などとは言いません。 2、鳥居をくぐる時に、「真ん中を歩くな。」と言います。自分

宗教観

下の写真は、香港の有名な黄大仙廟です。数年前に撮影したものです。地元の方も多いですが、観光地にもなっていますね。(ただの余談です💦) さて生家は、神社です。大きい神社ではなく、先祖代々引き継いでいる小さな武家神社で、神社の収入は多くはなく、それだけでは成り立たない程度です。歴史的には古く、ちょっとした有名な神社と比べてもそれ以上なほど、由緒はしっかりしています。今でも、その歴史を知る方や、その系統の方などがお参りに来ます。歴史上、一時的に公から姿を消した神社です。武家所有の

Time is money, but money is not life.

人生っていうのは、時間のことだよね。 時間っていうのは、人生のことだよね。 お金は、時間でも人生でもないよね。 人間にとって1番大切なものがお金っていう時代に、誰がしたんだろうね。 お金と向き合ってる人は、それがしたいんだからそれでも良いじゃない。 だけど気付いた時に、お金が無くても大丈夫っていうことを覚えておいたら良いよ。 絶望しても良いけど、まだ他にもドアがあることを忘れなければ良いよ。 お金に支配されているなんていうのは、本当に虚構なんだから。

何故こんな時代になったのか?

簡単なことだ。 1800年代に書かれた事柄すら、もう人々は知らない。 『キリストや仏陀が本当に存在したのか、またその何を知っているというのか。』 『教育とは、暗誦と服従とを意味する。』 『大衆には、宗教が必要なのだ。』 『人々は、その盲信により神として祭り上げる。』 『30年もしないうちに、英雄から殺戮者へと心象を変えてしまう。』 群衆心理 ギュスターヴ・ル・ボン こんな時代になったのは、 人々が大衆のままであり、支配者に偶像を求める余りコントロールされている

象徴がいつしか権威へ変わる。

初めは、清らかな心を表したことだろう。 だけど、長い歴史の時間の中で変化してしまった。 神だとか仏だとか。 象徴は、感動を与えるほど厳かな方が良い。 造り手は、芸術家である。 そこの意味を乗せるのは文学家である。 いつしかそれらは、宗教となった。 生活の中で見出した凛とした芸術は、崇拝へと変わってしまった。 そして解釈は広まり、ついには現人神を祭り上げた。 人々は、その権力を目指し殺し合った。 宗教が、政治と密接に関わっている理由である。 象徴は、単なる象徴に過ぎ

世界の全てを知った時

あなたならどうなりますか? 絶望? 希望? 脱力? 解脱? 達観? あなたは、全てを知ったわけではない。 あなたは、知りたいですか? その覚悟が、ありますか? いずれ多くの人が目にすることでしょう。 そして、思い知ることでしょう。 たった一つの真実と己というものを

無宗教であること

無宗教というのは、実はすごく悩ましい。 人間というのは、善とか悪とか何かにつけて分けたがる訳です。 そういう判断をするための蓄積というかバックボーンが無宗教である場合、全部自分思考が基礎となります。 何か正しいと思えることに依存したら楽です。 政治、宗教、スピ、学校教育、常識、親、その他の教えてくれることに従うなら楽なのです。 だけど、そんな人生を良しと思っていない。 だからと言って、過去のものを全て否定しているわけではないし、全ての考え方を自分で生み出している訳でもな

地球の話し

本当に間違っている。 カルト政治に騙されて自殺する人々。 国際的な犯罪とも言えるこの騒動に加担している、日本の最高地位にある家。 その家から賞を受賞する犯罪者たち。 国の人々が自殺してゆくというのは、国そのものである人々が消えてゆくわけだから、国が破綻してゆく様であるということ。 確かに人口は増え過ぎてしまったかもしれない。 でもそれも、牽引してきた1%による労働者確保の政策の結果。 必要がなかくなったからと言って、このような所業が許されるわけがない。 血が通い、魂も心も

日本が変わらない。とか、、、

世界が変わらない。とか、、、 当然ですよね、支配されているのだから。 でも、もうすぐ支配を解くための動機が訪れるような気がしている。 究極の選択を前にして人は、どうするだろうか。 自分の意思で究極の選択肢を付け加える。 それしか、生き延びる術は無くなるだろう。 諦めて支配に降るか。 選択肢を増やし、依存せず生きるか。 そんな日が、目の前に迫ってきているように感じられる。

自己責任という言葉

“自己責任”という言葉は、解釈の仕方で意味が変わる。この言葉の意味を印象的に操作するようなロジックが拡散されている。 目的に到達させるために。 少しだけ何故そんな回りくどいことをするのか説明すると、目的が達成した際に、「みなさんがこう言って決めたでしょ。」と責任をなすりつけるためです。そう、自己責任でしょ。っていうため。わかりますかね?(笑) 依存しすぎないこと。という意味が強いのに、自己責任を求める政府は間違っているから改憲しよう。とか、自己責任という人は、〇〇だ。と