私の本当の部分 なでたかった
あれからどれくらい経ったかな。
段々と心から笑えるようになったし、前向きになった。
いつまでもこんな内容を書いてる暇はなくなってきた。
仕事も忙しくはなってきたし、今が一番「物事の本質」が分かってると思う。
ずっとそれを追い求めてきて、「人の心」も兼ね合わせて、自分はどうしたいのかなとか、どこに行くのかなとか。
そんなところも彼とのことで分かってきた部分もある。
どんな出来事も無駄ではないことを、身をもって実感している。そんなことを伝えていくのが、今の私の「すること」なんだから全て自分の為に起こった出来事であって、そのための「心の襞」なんだろう。
私は元々、白黒つけたがる。ハッキリしたい。右なのか左なのか。いいのか悪いのか。
私がこんなお仕事をし始めるしばらく前から、それは学んできた。人生の中で。
ハッキリしたいからそうしてるのに、そうするために自分を苦しめてる。
右を選べばいいのか左を選べばいいのか、決めることができなくてうずくまる。そうやって歩けなくなって「自分にはこっちしかない」と言い聞かせて進んでいく。
そして選べなかった方を選んでいる人を見て許せなくなる。
「自分は正しい」「間違ってなんかない」
その裏は「素直にそっちを選んだ人が羨ましい」だった。
そうやって憎しみのループにはまり、段々と石のように固くなる。
苦しんで、助けて欲しくて、でも言えなくて。
どん底に落ちた時、右でもない左でもない 、あやふやな道が現れた。
「どっちでもいい」
右に行ったら苦しい。左に行ったら悲しい。だったら宙ぶらりんで進んでもいい。
足の踏み場を探してるうちに、誰にも見えなかった隠れた道が現れるかもしれない。
休んでもいいし、逃げてもいいし、引き返して遠回りをしてもいい。なんだったらマンガでも読んで笑いながら、前を見ずに進んでもいい。
そして私は常に「中道」を行こうと思っている。物事を多角的に見ると、そうなってしまうからそれがいいと思っている。
でも時々「白黒」が現れて、どうするのかと決断を迫られる。そうしてこっちだと決めると、どんどん道が開けてくる。
これもすべて「中道」
あやふやを選んで、時には決断をする。「どっちか」ではない。これが本当の「中道」だと思っている。
その中道に従った結果、今の状態。
「私」が変わろうとしている。
何か服を脱いだのか、皮が剥けたのか。自分でも分かるくらい思考の有り様が変わってきている。
「本物と偽物」の違いもハッキリと分かるようになってきた。その人がどう成長するだろうだとか、このままだとどうなるかみたいなことも、根拠なく見えてきた。
それを試すかのように、様々な出来事。
段々と変わっていく人間関係。私の気持ちを確認させるように。
寂しいとも思い、明るい未来への希望も感じ、でもやっぱりぽっかりと空いたその部分を埋めてくれる人を探しているような気もする。
どうしたかったのかな。
二人で何かを作りたかった。それはホント。 理由も分からず「一緒にやりたいなあ」とオレンジ色のエネルギーのようなものが湧いてきた。
だからそうしたいと思った。
だけど実際は、「その時」どうしたかったんだろう。
以前から彼の肩甲骨の辺りに、畳まれた羽のようなものが付いてる気がしてた。
その羽を「広げればいいのに」と思って見てた。広げられないことが苦しそうに見えた。
触りたいと思ってた。
そっか。
その畳まれたままの羽を、なでたかったんだ。
言葉もいらなかった。私の立場とか、彼の立場とか、そんなのは目に入っていなかった。
彼の畳まれた羽を、ただなでて、少しでも広げられるようにしたかっただけだった。
一度だけ不意に触りそうになったことがある。
その時「いけない」と思った。
触るくらいどうってことはないんだけど、なぜか触っちゃいけない気がした。
もしそのまま触っていたら。なでていたら。
力加減が分からずに、もいでしまっていたかもしれない。
力の抜き方も分からないまま、触ってしまってはいけないから、離れることになったのかもしれない。
今も彼の羽は畳まれたままだろうか。
もしかしたら、もう大きく広げて羽ばたいているかもしれない。
もしそうだったら嬉しいな。
と せめてもの強がり。
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