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定型発達の人の普通が、発達障がいの人の普通ではない。


普通は〇〇だから、常識的に考えて〇〇だから!

その言葉に頭を抱えたり、辛い思いをされたりしている発達障がいの方は多いものです。

その投げかけらた言葉の上には、

見えない糸が垂れ下がっていることを

頭の片隅にいれておくだけで、

少し気持ちも楽になるかもしれません。

たしかに言われた方は理解に苦しんだり、むっとしたりするかもしれませんね。とくに発達障がいの方は言葉を受け止めすぎて、反芻ループに陥る傾向がありますので(⌒-⌒; )

しかし、その言葉は、長年形成された価値観により、あやつられて発していると考えてみると視野が広くなります。


そもそも、平均的にある程度要領よくマルチタスクをこなし、かつ力の抜きかたを知っている定型発達の方と、得意不得意の凹凸が顕著で、常に120パーの力で気を張って疲れやすい発達障がいの方では、普通の基準も違うもの^ ^

〜〜

自分の日常は、世界の誰かの非日常。

自分の普通は、誰かの特殊。

自分の常識は、誰かの非常識。

自分の平凡は、誰かの貴重。

〜〜

なかなか受け流せないのも、発達障がいの方アルアルです。

そんなときは、いったん軽く受け止めてみてください。

そして、

その人なりの価値観の糸がぶら下がっているんだなあ。

そりゃ、考え方が違って当然だよね。

そうやって新しい思考のシールドをインプットしてみてください^ ^

もし、よろしければあたたかいご支援を宜しくお願い致します(๑˃̵ᴗ˂̵)