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ジコチューと言われるとき

「自己中だ。」「自分のことばっかり考えている。」「もっと他の人を優先して。」
と言われたことがある。

自己中。確かに、思い当たる節はある。自分がやりたいと思ったことはやりたい性格だし、仕事などでは自分を優先してしまって、悪かったな、と後から気づくことがある。そんな時は、ひそやかにフォローしてもらっていたり、「こうした方がいいよ。」とアドバイスを頂いたり。
ありがたいな、とつくづく思う。そして、私も全体を見回して行動したいと、心を新たにするのだ。

冒頭の言葉をどんな場所で言われたのかを振り返ってみると、最終的に私はその場を去っている。要するに、私には合わない環境や場で言われていたのだ。
別の言い方をすると、私はその場の人間関係や雰囲気、空気感、暗黙のルール、などなどに合わせたり、理解したりができなかったのである。
もっと言うと、その場の空気を支配している人々の傘下におさまれなかったのだ。
もちろん、私なりにではあるが、その場に馴染もうと努力した結果、である。

しかしながら、「ジコチューだ。」と言われている時、言っている人の『もっと私たちに合わせなさいよ。』『私たちの役に立ちなさいよ。』という心の声まで聞こえたような気がした。
自分たちに合わせられない者はジコチューだなんて、なんだかおかしくはないか。そう思った。

偏った考えかもしれないけれど、他者に向かって「自己中だ。」なんて滅多に言うことではない。そんなふうに言うのは、その集団で異分子とされた人へのレッテル付けではないかと思う。

だから、ジコチューなんて言われて心を痛めている人がいたら、ちょっと考えてみて欲しい。
この場所は、自分にとって居心地の良い場所なのだろうか?
この場所は、私を尊重しているだろうか?

お互いを尊重して、許しあえる場に身を置きたいし、そのような場を作ってゆけるようになれたらと思う。

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