なんにもなくていいことへの憧れその2ー① 古い家ですごした時間のまだ暖かかった家庭の楽しい思い出

家庭が崩壊したのは私が小学五年生の頃だったが、そこまでおちていくにはもちろん段階があった。

私が幼い頃、5歳まで住んでいた家は古い二階建ての木造住宅だった。いつからかドブネズミがお風呂の下の壁を齧り穴を開けついには台所までやってくるようになり母を半狂乱させたものである。

幼かった私は黒く大きな素早いその小動物を目で追うのがやっとだったが、母からしたら好奇心いっぱいの子どもがうっかり触ろうとして噛まれたりしたら大変なわけである。とはいえ逃げ走り回るドブネズミの速さったら、、たかだか4〜5歳の幼い子どもが追いかけて触れる速度ではなかったね。さっきも言ったが目で追うのがやっと。


ネズミそのものというよりは人が寝静まった夜にこっそり台所に現れて食べ物の入っている箱やケースを齧っておこる食の汚染や、雑菌やバイ菌などからおこる感染症などそういった心配が大きかったと思う。多分。


私はあの大きなネズミはただネズミというそれだけの認識しかなかったのでとくに恐怖もなく、ただ母の慌てようを見ると触ってはいけないんだな、とそう感じていただけだった。


今となっては笑い話だったりちょっと怖い話になるのだが、
その古い家に住んでいた頃、夜中にトイレに起きてきて手を洗おうと蛇口をひねろうとしたらあきらかに違うものをつかんだ感触があった。
電気をつけなかったのでわからなかったが、ふいにつかまれ硬直したまま暴れることのないその生き物を両手でつかんでお風呂場の下の穴に逃がしたことがあった。


当時の私はそれを絶対に母に知られてはいけないことだと思いその焦りから石鹸で手を何度も何度も洗い、その後に石鹸そのものも水で流しながら洗い、さらに石鹸を泡立てて蛇口を洗い、シンク横の野菜などを切るスペースも泡だらけにして水で流していたのだが、その途中で母が起きて階段を降りてきた。
階段は台所の真横にあったので、降りてくる最中で水の音は聞こえてしまう。

そこらじゅうを水で洗い流している私を見て、何かあったの?大丈夫?と母から声をかけられた覚えがある。うん、となるべく平静を装って返事をしたら、そう?と優しく返事をしてくれた。

何かがあったのかもしれないがそこまで騒ぐほどのことでもないのかな?と母は思ったのかもしれない。小さな子どもがちょっとした何かの失敗をしてそこらを水で洗っているとそう思ったのかもしれない。
ネズミを見る度に半狂乱していた母を思い出し私の心臓はばくばくとしていたが、それ以上何か聞かれることもなく母はまた階段を上がり寝室へ戻って行った。



ちなみに大人になった今でもネズミとのあの出来事は母に話していない。母に、というか家族の誰にも話していない。
知ったらどんな反応をするのだろうか?このまま言うつもりもないので母は知らないままだけど、その方がいいだろうな。
これは家族には内緒で、友達との間では私の鉄板ネタ、ネタというかれっきとした事実の出来事なのだが、笑い話にしている。



それくらいの頻度でドブネズミが現れる家。しかも古い。床の近いあたりの壁に穴を開けたネズミ。
食事を作っている最中だろうが、お片付けの最中だろうがお構い無しに好きな時に現れるネズミ。しかもでかい。
時には一回り二回りほど小さなサイズのネズミを連れて現れたネズミ。その度に半狂乱になってネズミを追い出す母。
下町といえど東京で着物の着付けの先生をしていた祖母の元に産まれた母にとってはなかなかな強烈な体験だったと思う。

とはいえ、ボロい家だろうがなんだろうが子どもにとっては気がついた時にはその家でうまれ楽しい時間を過ごしていたので何一つ不満はなかった。そして私の人生の中で最も暖かく穏やかな時間を過ごせたのはあの古い家に住んでいた時だった。


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