なにもなくてもいいことへの憧れその3 不穏の始まり

今となってもあの男が家を新しく建て替えるという提案に母の信用をどうやって得たのかはわからない。

あの男は当時は建築設計士だったので時々家で図面を書いていたのを見たことがある。ただ、たくさんの量をこなしていたようにも見えずずっと働いていたような覚えもない。図面と向き合うのは時々で、あとは忙しそうにしている母とは反対に、あの男は家にいる時はゴロゴロしていたことが多かった。

そしてあの男は夜遅くになるとほとんどは外出していた。麻雀に行ってきた、とかそんな話ばかりを聞いた記憶がある。

家庭があってもただ自分の好きなように遊び歩き、家庭を顧みることもせず、稼いだお金が家庭のものという認識はなかったと思う。妻がいても幼い子どもが二人いても、あの男にとっては自分のお金は自分だけのもの。遊びたい額だけ使ってその余りを家に入れればいい、その程度の感覚だっただろう。

それがはっきりとわかる出来事があった。
私が小学一年生〜二年生の頃まで家の建て替えのために一時期アパートに住んでいたのだが、しばらくあの男を見かけなかったことがあった。
家にいないことなんて頻繁にあったのでそれについてはなんとも思わなかったが。


しばらく経った頃、家に帰ってきたあの男からハワイに行ってたんだよ、と聞かされてその頭どうなってんの?と呆れた記憶がある。
母にも相談することもなく一人で勝手に旅行、しかも海外へ旅行に行っていたのである。
その頃にはすでにうちにはお金がない、とよく母から聞いていたので、私はただひたすらにあの男に呆れはてた記憶がある。あいつまじでなんなの?


そしてあの男は旅行先から持ち帰ってきた物を自慢そうに家族に見せたのだが、それは薬莢だった。
薬莢。銃に入れて使うあの弾丸の薬莢。


この国には銃刀法違反というものがあるので、猟師の資格を持った人でなければ目の前で実際に薬莢を目にしたことのある人の方が少ないのではないかと思う。
そういう物騒なものをあの男は家族全員の前で自慢そうに見せたのだ。
あの瞬間に七歳の幼い子どもだった私にとってはっきりとあの男が反面教師になった。


信用ならないちゃらんぽらんな男、麻雀をした帰りに時々家に寄るだけの男、そんな認識の存在としか思わなくなった。

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