なんにもなくていいことへの憧れその2ー② まだまだ暖かく楽しかった素晴らしい時間

当時大人にとっては、とくに母にとってはネズミに齧られた穴がある家、夕飯のお片付けの最中やその後だろうと人の事情など一切関係なくいつだってお構い無しにネズミの現れる家、そのようにあからさまに古く狭い木造住宅というものは住みやすいものではなかったと思う。

しかし当時子どもだった私にとっては古かろうがなんだろうがそこで暮らした時間が楽しく素晴らしいものだったので何も不満など感じたことはなかったと思う。


ネズミとの出来事も、
古い木造の家屋も、
居間の青いカーペットも、
急勾配の階段も、
二段ベッドを置いたら人が一人通るくらいのスペースしか残らなかった狭い子ども部屋も、
子ども部屋の隅にあった本棚代わりにしていた小さな棚も、
ベランダに敷いてあった青いプラスチックのすのこのような形のものも、
その上にダンボールで秘密基地を作ったことも、
二階の寝室のグレージュ色したカーペットも、
その部屋でたくさんお絵描きをしたことも、
おもちゃの野菜とおもちゃの包丁でお料理のおままごとをしたことも、
私に買い与えられたぬいぐるみちゃん達も、
寝室の窓から見えた駐車場や砂利や自然も、
台所の食器棚の横にあった大きな漬物用の入れ物も、
大きくて緑色したレモンティーの缶も、
そして私は台所で母が優しい表情でエプロンをつけてご飯を作っていたその姿を見るのを大好きだったことも、

そのすべてを思い出す度にその記憶に温度が一緒に乗っかるように暖かく感じ、そして可視化できるかのような錯覚を感じるほどに強く眩しく記憶に残っている。


住んでいる建物そのものは狭かったが、家には庭がありその庭にはレモンの木やブドウの棚柵があり、季節になればもぎたての巨峰を母が洗って食べさせてくれた。大きくて甘くてとても美味しかった。


ある時、収穫せずに残されたままのブドウが勝手に熟されていたのか、その匂いに誘われたどこかの巣からやってきた大量のスズメバチがぶんぶんと葡萄のまわりを飛んでいたことがあった。

しかしブドウを食べすぎて腹が重くなったのか熟されたブドウに酔っ払ったのか、スズメバチの動きがどこか鈍くなり飛び方もゆっくりと飛ぶように変わっていき、ぶんぶんと威勢のいい羽音もいつの間にかブーンブーンとしたゆったりとしたものになっていた。


そしてブドウに群がっていた数十匹のスズメバチをあの男が定規でたたき落とすのを部屋の中から眺めていた。

もしも家の庭がスズメバチにとっての餌場として認識されてしまったらその後スズメバチが巣に戻ってもまた頻繁に飛来するかもしれない。もしくは家の壁などに巣を作られてしまうかもしれない。

スズメバチは定規で一匹残らず地面に叩き落とされた。
その後に庭の地面を見たら遠目で見ていたよりも想像以上に大きなスズメバチがたくさん転がっていた。

大量に飛んでいたスズメバチを怖いと思ったが、弱りながらもまだ少しだけ体を動かすスズメバチの姿を見て可哀想に思ったことも覚えている。


だからといってそんなことを言ってられないことはわかるけどね。
もしも私がスズメバチに追いかけられて噛まれそうになるか刺されそうになって、しかも威嚇の時間をこえてついに相手が刺すぞと態勢をとった時に逃げられそうにもなかったらやはり叩き落とすかはたくかなにかしらの手段をとるだろうし。

そうやってある程度自然の残された場所にあった家の周りでは様々な虫や生き物を見たものである。


家の敷地内には専用の駐車場があった。家の前ではなく家にくっついた状態で元から備わっていたものだ。
駐車場はコンクリートでできていてなだらかな坂になっていた。駐車場と家の前の砂利の狭間に大きくて黒い蟻がたくさんいたことを覚えている。
家の隣には林があったのでそこの土や砂にある巣から家のブドウやなにかしらの甘い匂いに誘われてやってきていたんだろう。


ザ・虫天国。子どもの頃はそれがまた楽しかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?