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無重力、な、わたし、を終えて(に)

こんにちは
こんばんは
木村です。

舞台を作る上で、毎回何かチャレンジを置いています。
今回は恐れ多くもオーディションなるものを大々的にさせていただきました。
キャストが全員で11名。
その中で8名が初めましての方という今までにない配分での座組みとなりました。

基本的に僕は顔合わせの時に脚本はあまり書き上げていません。
多くのイメージをもって、一緒にやる人たちの空気を見て書いていきます。

初めましてのメンバーにはすごく心配をかけただろうなと今考えると恐ろしいです。
ただ、本当にメンバーに恵まれており、みんな最後まで信じてついて来てくれたので無事幕を挙げ、お客様へ届ける事ができたのだなと
ありがたいことだなと
そう思っています。

2年ぶりの公演ということで、一際思い入れが強い作品となりました。
明日香という役の1番初めのモノローグは

もしも、世界が、あお、ならば、、、

という2018年11月に発表した作品の一節で
後半にあるモノローグでは

ネリネの曲線

という2019年11月に発表した作品の一節でした。
この作品のどこかにコロナ禍に入る前の活動の片鱗を残したかったのだと思います。

また、ネリネの曲線という作品の最後のセリフが

私は、私たちは、大きく息を吸って
また、今日という一日に挑んでいく
優しいスピードだけど、着実に
あと100年も、生きられないのだから

と綴っており、あと100年も生きられないのだから、少しでも前を向いて生きていこうというメッセージを投げているのですが、「無重力、な、わたし、」では

100年、生きてね

という、明日香という人が新しく得た、命という重力に対して、まだ100年生きられる希望というか、可能性、みたいなものを提示しています。

何が言いたいかというと、僕にとって作品というのは、自分の人生のようなもので、どこかで連立しており、どこか未熟で、まだまだハッピーエンドを描くには早いのかなと考えたりしています。

あとこの先の人生でどのくらいの作品を発表できるかわかりませんが、もっと人間として熟した時に最高にパッピーエンドな作品を創作したいなと思います。

…つづく


もしも、世界が、あお、ならば、、、

わたしは、今日も、変わらずに 家から会社へ向かっている 
駅のホームでは、数センチ先の世界で 鉄の塊が、 
ものすごいスピードで駆け抜けていく 
わたしは、ヘッドフォンの中の空間に身を寄せて 
ベンチに座って視界に入る世界以外を遮断している 
 
わたしの後ろで どこかの誰かが 
愛を育んでいても 
哀しみに浸っていても 
銃の引き金を引いていたとしても 
わたしは、ホームに入ってくる鉄の塊が 
わたしを運んでくれる馬車にかわるのを 
ヘッドフォンの中の空間で なんとなく、感じて、、、 

当たり前の毎日を、くりかえし 

わたしは、あお、が、すき 

そんな、わたしの、当たり前のこと 
でも、 もし、 
もしも、世界が、 
世界中が、あおいろに染まっていたならば 
わたしは、 あお、が、 好きに、なったのだろうか、、、 

当たり前が、当たり前じゃなくなる 
そんな、ある、1日の、おはなし。

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