見出し画像

芦沢さんとぼく 第12話 寄り添うこと

 泣いた。大人になって初めて泣いたのかもしれない。自宅に帰ってからも、ずっと今日の出来事を振り返っていた。私は相談に来た優さんを見た時に、昔の自分を重ねていた。学校に行きたくなかった自分。輪の中に入れず。両親から何で行かないのか?と何度も聞かれ、自分でも何でなのか分からないから、黙っていると、怒られ・・。そんな過去の記憶が蘇り、話を聞くのが嫌だなと正直、思った。
 
 お母さんに部屋から出てもらい、優さん一人になった時、話を聞くのが嫌だと思ったのに、私だったら、話が聞ける、私だったら、優さんの気持ちが分かる、私だったら・・という気持ちが強く出てくるようになった。優さんに話しかけた。自分のことも話してみた。でも、優さんは話してくれなかった。話してくれないことを受け、居たたまれなくなった。早くこの場から離れたい衝動に駆られた。部屋の外に待つお母さんを呼び、次の予定を確認し、面談を終了した。

 芦沢さんから、話をする時に優さんのことを考えていましたか?と聞かれ、私は自分のことしか考えていなかったと思った。自分、自分、自分・・。最初から最後まで優さんはそこには居なかった。優さんが話をしない、できないのは当たり前だと思った。

 ボッーとしながら、出勤すると、芦沢さんは既に事務室におり、パソコンに向き合い、仕事をしていた。

 「おはようございます」

 「おはよう。田中さん、仕事の前にごめん。昨日、相談に来た新田さん。次長とも話をして、私が一緒に入ることになったから。私がお母さんの担当をするので、田中さんは本人の担当をしてください」

 「はい。分かりました。芦沢さん?」

 「はい」

 「今日、哲也さんの面談があると思いますが、私は遠慮させて頂いても良いですか?」

 「体調でも悪いですか?」

 「体調は問題ないです」

 「何か理由はありますか?」

 「何となく・・・」

 「そうですか。・・今日の哲也さんの面談、何も話さず、哲也さんの横に座っていてもらって良いですか?」

 「何も話さなくて良いんですか?」

 「気持ちが乗らないのであれば、無理しても良くないでしょうから。ただ、ちょっと見ていてもらいますか、私と哲也さんとの面談」
 
 「・・はい」
 
 「それなら、参加できそうですか?」
 
 「はい」
 
 「哲也さんには私から説明するので、そのように対応してください」
 
 「分かりました」
 
 何が始まるんだろう?何で芦沢さんは哲也さんの横に座るように私に言ったのだろう?

 哲也さんは予定通りに来た。面談室に案内し、私が哲也さんの横に座ると、いつもと違う行動を私が取ったため、哲也さんはキョトンとした表情で、私を見つめていた。
 
 「哲也さん、スイマセン。いつもと違う座り方をしてしまい。私が田中さんにそこに座ってほしいとお願いをしました。田中さんは昨年度からこの仕事につき始め、今年4月から2年目になります。少しずつでも、力をつけていかなければなりません。話を聞くには相手がどのように感じるのかを知ることが大事になります。そのため、いつもは話を聞く位置に座っていますが、今日は話す側の位置に座り、話す人がどのように感じるのかを体験してもらおうと思いました。哲也さんは普段通り、お話をして頂いて大丈夫です。田中さんが話す側に座ったからと言って、田中さんが何か話すことはありません。いつもと違い、気になるかもしれませんが、ご協力頂けると有り難いです。」
 
 「分かりました」
 
 「よろしくお願いします」

 何が始まるのだろう?私は落ち着かなかった。でも、座ってみると、いつもと景色が違っていることに気づいた。今日は哲也さんではなく、芦沢さん、芦沢さんと哲也さんのやり取りを見れば良いのかなと思った。

 「それではお話をしていきたいと思います。哲也さん、今日話しておきたいことはありますか?」
 
 「僕は今日、買い物に行ったんです」
 
 「買い物?」
 
 「はい。そしたら、店員に嫌なことを言われました」
 
 「店員に嫌なこと・・哲也さんはどこに、何を買いに行ったの?」
 
 「電気屋さんに、スマホを買いに行きました」
 
 「スマホ?今、使っているものがあるけど、新しくしようと思ったの?」
 
 「はい。機種変更しようと思いました」
 
 「そう。そうしたら・・」
 
 「そうしたら、できないと言われました」
 
 「できないと言われた理由は何だったんだろう?」
 
 「とにかくできないと言われました」
 
 「それでは納得できないよね」
 
 「納得できません。だから、何でですか?何でですか?と言っていたら、沢山の店員が出てきて、部屋に連れていかれました」
 
 「その後はどうなりましたか?」
 
 「偉い人が来て、もううちに来ないでくれと言われました」
 
 「そう。哲也さんは今、どんな気持ちなんだろう?」
 
 「ぶん殴ってやりたい気持ちです」
 
 「そういう気持ちなんだね。そのお店のこと、どうしようと思っていますか?」
 
 「また、行って文句言って、もし同じことを言ってきたらぶん殴ってやろうと思います」
 
 「ぶん殴るか・・」
 
 「芦沢さん、僕、間違っていますか?」
 
 「間違っている?どこがだろう?」
 
 「僕、むかついているんです」
 
 「そうだね。むかつくよね」
 
 「だから、殴ってやりたいです」
 
 「哲也さんの話を聞いて、芦沢さんが感じたことを伝えて良いかな?」
 
 「はい」
 
 「芦沢さん、良かったなと思ったんだ」
 
 「どういうことですか?」
 
 「哲也さんは機種変更をしようと思った。それを何の理由もなく断られた。それに対して哲也さんが納得できない。その通りだね。芦沢さんも納得できない。納得できないから、店員に聞いたら、今後は部屋につれていかれ、もう来るなと言われれば、腹も立つよね」

 「そうです。腹がたちました。だから・・」

 「だから、ぶっ倒したい気持ちにもなる。そうだね。そうだと思う。でも、哲也さんはその行動を取らなかった。それが良かったなと芦沢さんは思った」

 「どういうことですか?」

 「理由があっても、殴ってしまえば、殴った方が悪くなってしまう。哲也さんには怒る理由があるのに、殴ったら、殴ったことで非がなかった哲也さんが悪者になってしまう。そうならなくて良かったなと思った」

 「殴ってはダメですか?」

 「殴ったら、ダメだと思うよ。今回、殴らずに済ますことができたのであれば、今後もそれでいった方が良いよね。だって、哲也さんにとって大事なのは喧嘩することではなく、機種変更をすること。違う電気屋さんで目的を果たした方が良いと思うよ」

 「でも、納得できないんです」

 「そうだね。納得はできないね。芦沢さんも納得はできない。だから、気にはなる。でも、そこで止まってしまうと、大事な機種変更ができなくなってしまうように感じるな」

 「機種変更を先にした方が良いですか?」

 「機種変更を先にしてみようよ。哲也さんが殴るのを止められたのは何か理由があるのかな?」

 「そんなことをやっても、仕方がないと思ったから」

 「そうか、そう思えたんですね。すごいな」

 「芦沢さん、僕、すごいですか?」

 「すごいと思うな。なかなかできないことだと私は思うよ」

 「であれば、僕、機種変更してきます」

 「そうしよう。では、次の面談日は機種変更をした後にしよう」

 「はい。ありがとうございます」

 「ありがとうございます」

 哲也さんは話し終わると、元気に部屋から出て行った。

 「お疲れ様でした。田中さん」

 「お疲れ様でした」

 「哲也さんの隣に座ってみて、何か感じましたか?」

 「哲也さんの目線に近いところから、話を見ていて、話を聞いてもらえていると哲也さんは感じながら、話をしているように感じました」

 「どんなところでそれを感じましたか?」

 「哲也さんが芦沢さんの話に対して、「でも」とか「だって」と言うこともなく、スムーズに話が進んでいたので、そう感じました」

 「そうですか。あと感じたことはありますか?」

 「芦沢さんはどこまでは分かって、どこからは分からないというところをしっかり哲也さんに話していると思いました」

 「他にはどうだろう?」

 「芦沢さんが自分の気持ちなどを話す時には、哲也さんの話があった上で話している。哲也さんの話に対して反応しているように感じました」

 「寄り添うという言葉があると思います。でも、寄り添うといった場合、それが何を意味しているのかは人によって違うように感じます。田中さんなりに、自分にとっての寄り添い方を考えてみてください。田中さん、お疲れ様でした」
 
 「お疲れ様でした」

 事務処理を終え、職場を出ると、外は薄暗くなっていた。イヤホンを耳につけ、歩きながら、寄り添うって何だろう?寄り添うって・・と念仏のように私は唱えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?