分かり合えないから、家族

 ひきこもりに関する相談を受けるようになり、月日が経過しました。私のところに相談に来られるのは殆どが母親。ひきこもる子どもをどうにかしたい、私がいる間は良いが、その後のことを考えると心配で、心配で・・。相談に来られる母親の悩みは共通しています。

 ひきこもる本人を支える家族を支えることが大事。そんな考えから、家族会が組織され、活動が行われています。また、ひきこもる状況を改善するために、本人と家族のコミュニケーションの仕方に焦点を当て、本人をどう理解したら良いか、より良いコミュニケーションを築くにはどうしたら良いのかを家族が学ぶ家族教室が、支援機関で実施されています。

 私もひきこもり支援を始めた当初、まだ日本に紹介されたばかりのクラフト(CRAFT:コミュニティ強化と家族訓練:Community Reinforcement and Family Training、認知行動療法の技法を応用したもの)の勉強をし、実際に何度か家族教室を開催しました。勿論、開催することに意味はあったのかもしれません。

客観的に見た場合、どのようなコミュニケーションが良いと考えられているのか、家族が知ることは無駄ではないように思いました。ただ、どうしても、気になったことがありました。

 それは、分かり合うことが大事だという根底に流れる発想、考え方です。思い出されるのは昭和の時代、映画「三丁目の夕日」で描かれた家族の風景。色々、大変なことはあっても、家族だから支え合う。家族だから支え合える。揉めて、喧嘩したとしても、最後は分かり合える。そんな古き良き日本の原風景を求めたい支援者側の心情が隠れているようで、嫌な気持ちになりました。

 家族なのに、息子、娘の気持ちが分からない、息子、娘が求めることができないことに悩む母親。息子、娘から関係を拒絶され、母親として子どもへの気持ちが離れた中で、家族であることだけを理由に、分かり合うことを求められ、それが嫌で家族会や家族教室、支援機関への相談を中断した母親たちを多く見てくる中で、家族に分かり合うことを求めること、そのことは支援なのか?と考えるようになりました。

 家族と言えばこういう形という、社会や、支援者が求める形、規範に、相談に来られた家族、母親を当てはめようとしている、適応させようとしている、そんなふうにも捉えられるように感じました。

 NHK「クローズアップ現代+」の取材を受けた際、私は「分かり合えないことを分かることが大事」と話しました(2020年12月9日、こもりびとの声をあなたに)。分かり合うことが大事なのではなく、分かり合えないことが大事。もっと言えば、分かり合えないことを受け入れた時、初めて人は相手のことを分かろうとするように感じました。家族だから分かり合えるではなく、分かり合えないから、家族。

 家族をどう捉え、考えるのか?支援技術の前に、そこが問われているように、私は思います。

 

 

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