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娘が私にくれたもの

親というのは、わが子にはなるべくいつでも笑って、幸せでいてほしいと
思ってしまうもの。

人生で起こる困難や、失敗、痛みは、成長のために不可欠で、それゆえ起こることなのだとわかっていても尚、そう思わずにはいられない生き物なのだろう。

そして、遺伝子とかエネルギーというのはおそろしいもので、親本人も無自覚なまま握りしめている信念やパターンは、そのままわが子にももれなく受け継がれていたりする(怖)

振り返ってみると、今回の娘の受験期間は、いやというほどそれを突きつけられた時間だった。

前回の記事で書いた通り、娘の受験は予想を越える残念なものとなった。

この結果に残念感ややるせなさは
あるものの、実のところ私はそれほど驚かなかった。

彼女の性格を鑑み、そして日本の教育に対する免疫の低さを加えてみてみれば、高校入学時からこうなることは容易に想像できた。

なぜか? 恥ずかしながら高校生当時の自分にそっくりだったから(汗っ)

だからこそ、同じ思いをすることがないように、だけれどコントロールにならないよう心を砕き、

【どんなに心を砕いても、それはコントロールです・爆!】

↑に気づき、心底自分に失笑してからは、もう修行のように口をつぐみ、見守ることに徹してきた(つもり…汗・それでもダダ漏れることはあり、もうそれは人間だもの、と気づくたびに手放す の繰り返し)

志望校が決まってからは順調に成績も伸び始めたので、お、これは…と
思ったりしながら、美味しいごはんを作ることに専念。

が、最後の追込み期の冬休み、彼女に追込みの気配は感じられなかった。

ここまでがんばってきたのに!
あともうひと息なのに!

私的にはこの気持ちを自分で消化しながら見守ったこの時期がいちばん
しんどかった。

そして結果が出た。

本当のところはわからないけれど、私から見える彼女は、自分が追い込みきれなかった自分に気づき、その自分に言い訳するでもなく、

今はもう自分のやったことに対する結果を、受け止められているように見える。

そんな彼女を見て、この子はこの子の人生を自分の足で歩いていけるのだと言うことを、多分本当には初めて心の底から確信できた自分に気づき、(え? これまで信頼していると思っていたけど、違ったんかーい!?)と自分で自分につっこみを入れております(恥・笑)

娘よ、母さんに胆力というとてつもないプレゼントをありがとう。







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