両親からの贈り物「感受性」

はじめまして。なにか役に立つことでも発信出来たらよいのですが、そうした貢献は日々のお仕事でしていくつもりです。

普段、人のお話を聞いて受け止める機会が多いのですが、私自身の心の声(cocolonokoe)に関しては自分でも聞いてあげることができていない状態に前々から気づいていました。

そのせいで生きるのが辛くなることがあったなぁ。

消えたくなることもあったねぇ。。

両親からもらった「感受性の高さ」というプレゼントの扱いに、大人になればなるほど悩まされている気がします。厄介なものをもらってしまった、なんてことはいいたくない。でも…という感じ。

しかし、この贈り物は贈られている人とそうでない人がいると思います。

また贈られたことに気づいている人と、気づいていない人もいると思っていて、私は気づいた人間💡

気づいていても受け取るつもりのない人、などもいる中で、

私はこれ受け取る=個性を認めて生きたいと思う。

noteが、自分自身を認め、許し、好きになり、受け入れる場所・時間になればいいなと。