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男女関係 ジェンダー 第一話 ジェンダーとは


はじめに

 あらためまして、今回から男女関係ジェンダーの問題に取り組んでいきます。

ⅰ) このマガジン連載の意図

 いつものように連載を始めるにあたり、その意図を少しだけお話したいと思います。

 今回は、素直に『性』(ジェンダー)の問題に対して、もう一度考え直す機会としてこのテーマを選びました。

 一言で『性』と言っても、様々な側面があります。

 今回、ここでお話していく『性』の問題とは、一つに「性風俗」あるいは『性的エナジー』の問題、そして、「ジェンダー」あるいは『性』そのものの特性の捉え方とでもいうのでしょうか、これら大きく2つの問題について触れる予定です。

 ここでは出来るだけ『男女関係』や『性』を『問題』と捉えず、お互いの立場を尊重し、真に相互主体的な関係性を認め合うための『命題』として取り扱おうと思います。

① 性風俗、性的エナジーの問題

 命題として捉えると宣言した矢先から、性風俗の事情などは、正直、問題と言わざるを得ない状況があります。

 様々なメディアで目を引くのは、昨今の性風俗の氾濫に対する見解ですが、これに対して私は、一概に否定する立場でもありませんし、肯定の立場でもありません。

 しかし現状をただ静観していてよいという状況でもないことは確かです。性風俗の他に、性犯罪や猥褻行為、セクハラなど、いつの世も『性』の命題は男女がいる限り存在し続けるでしょう。

 また、このような『性の氾濫』を示すまでもなく、人間の秘めたるエネルギーやパワーの源泉が、様々な性的欲求あるいは欲望の中に漲っているとも言えるでしょう。

 私は、これらのエネルギーやパワーを、できるだけ適切に差し向ける方向性を示すことができれば、新たな節度を保った文化が飛躍的に切り拓けると感じています。

 もちろん性的エナジーだけが、機動力の源泉ではないのですが、キーポイントとして、この漲る躍動的なエネルギーを、どうしたら適切なパワーに変換できるのか、これが今回のテーマの中心にあります。

 性における適切とは何かを問うこと。適切に節度を保つには、どのようなことに気づけばよいのか。そしてそもそも節度とは何か。これらが今回の主要な命題です。

 このテーマは 実に多くの背景が関与してくる命題でもあります。

 私たちは普段一般的に外観で男性、女性を判断しているわけですが、これらの背景には、個々人の性格、気質、価値観、倫理観、嗜好性、社会性、人格性、精神的段階、国の民度や集落や各家族集団の帰属文化的背景など、私たちが生活し、目に触れ耳にするあらゆる要因が関与してきます。

② 『性』そのもの
命題としてのジェンダー

 次にお話するのはジェンダーについての命題です。これは、また後ほど触れますが、セクシャルマイノリティーといわれるLGBTがあります。

 生物学的表現型は男性であるのに女性的指向をする、あるいは女性であるのに男性的指向をするなど、生物学的外面的性別と心理的内面的性格(性的嗜好)が一致していない場合、そこに外面的性内面的性不一致が生じ、本人も非常に違和感を持ちながら、程度の差はありますが本来の自分の性を表現できずに悩むことになります。

 一般的にはこれを『性同一性障害』として、現状では障害者、あるいは病気と診断していますが、ここではあえて病気や障害と捉えず、個々人の気質や性格の範囲としてお話を進めていきます。

 お話するうちに明らかになると思いますが、『性の同一性』を内面と外面の同一性の課題と捉えることで、マイノリティーから見えるそれぞれの境界線を意識でき、次世代の『男女関係』の糸口が見いだせる可能性があるのです。

 これらかお話しますが、『性』の側面には三つの要因があり、その三つの要因は、それぞれ4つの領域から構成されています。このうち最も意識されない領域があり、その検証に役立つのです。

 男性の女性化、あるいは女性の男性化など、このような傾向がなぜ生じるかは、まだはっきりしませんが、生物の中でもホルモンのバランスによって微妙に雌雄が分かれたり、雌雄同体で集団に雌が多くなると周囲の雌が雄に変化する集団内での現象や、ある爬虫類は温度の微妙な変化で雌雄に分化することも自然界には生じます。

 必ずしも人間にそれが当てはまるものではありませんが、環境の影響が少なからずあることは事実でしょう。

 そして、このような環境の影響も去ることながら、現状の性の命題を見立てる糸口として、セクシャルマイノリティーの方々の様々な心境を知ることで、一般的な性の見立てと違った角度から内面の『性の境界』、つまりサイコ‐セクシャル‐ラインをより鮮明に意識することができるのです。

③ サイコ‐セクシャル‐ラインの
アウトライン

 私が、サイコ‐セクシャル‐ラインを重要視しているのは、『こころ』の中心軸を担うものであると考えているからです。

ラインの意味:ここではケン・ウィルバーの著書「インテグラルスピリチュアリティ」(p14)にある「ライン」の定義に準じています。ラインとは、知性の領域における様々な学びのカテゴリーを示します。例えば、モラル感覚、感情制御能力、人間関係(コミュニケーション能力)、認知能力、音楽的センスや運動能力、数学、語学、芸術などの発達のラインがあるといいます。ある人は理論的思考が非常に発達しているが、感情的には未発達、ある人は非常に認知能力に優れている(非常に頭はよい)が、倫理的には未発達(卑劣で冷酷である)など、基本的に発達する感覚や能力のことをラインと呼んでいます。ハワード・ガードナーにより「多重知性」の概念が提唱されてから知られるようになりました。

 心理の構造にとっては、この軸がさまざまな『物事を判断する』判断材料や基準になっています。また、この構造を理解することにより、先ほど性同一性であまり意識されなかった領域の関与が明らかになります。
 
 「私たちの判断の要素は、どんなことに影響しているのでしょうか?」

 このような漠然とした問いかけは、ある意味混乱を招くと思いますが、私たちが普段当たり前と思っていることに対して、もう一度本当にそれが当たり前なことかを考えさせてくれるのが、習慣や慣習という枠からはずれたマイノリティーの存在であろうと思います。

 マイノリティーも含めて、異文化コミュニケーションの最も身近なことが男女の関係であり、それから生まれる恋愛や愛の連鎖から人が生まれ育まれる事実を考えれば、これ以上深遠なテーマはないと思います。

 この広範な範囲を、これからご説明する「こころの立体モデル©」を参考に考えて参りたいと思います。

 前置きが長くなりましたが、これから本題に入ることに致しましょう。はじめに基本的な言葉の定義を確認しておきます。

ⅱ) ジェンダーの定義

 性の命題に関して、ジェンダーやセクシュアリティーという言葉が使われることがあります。まず、ジェンダーとはどのような経緯で使用されているのでしょうか。

 ウィキによると、語源はラテン語: "genus"(産む、種族、起源)で、共通の語源を持つ言葉として"gene"(遺伝子)、"genital"(生殖の)、フランス語: genre(ジャンル)などがあり、「生まれついての種類」という意味から転じて、『性別』のことを指すようになったとされています。

 この生物学的性のイメージを基にして、20世紀初頭には、"gender"はフランス語などにおける有性名詞(男性名詞や女性名詞)の性による分類ないし分類クラスをさす文法的な用語として用いられるようになりました。

 そして、1950年代から1960年代にかけ、アメリカの心理学者・性科学者ジョン・マネー John Money、精神科医ロバート・ストラー Robert Stoller らが、身体的な性別とは異なる非典型的な状態の性分化疾患(=注釈:性のありかたの病態的解釈と考えてよいでしょう)の研究において、その当事者に生物学的性別とは別個に存在する男性または女性としての自己意識、性別の同一性があり、診断などの臨床上の必要性から「性の自己意識・自己認知(性同一性)」との定義で “gender” を用いたとされています。

 その後、1960年代後半から “gender identity” としても用いられ、以後、医学・性科学では “gender (identity)” は「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の定義で用いられていますが、後にご説明する社会学において定義される意味とは少し異なっているようです。

 その経緯は、1970年代より、一部の社会科学の分野において"gender"は生物学的性よりもむしろ社会的性の意味で用いられるようになりましたが、1970年代の時点では、"gender"と"sex"をどのような意味で用いるかについての合意は存在していませんでした。

 たとえば1974年版の"Masculine/Feminine or Human"というフェミニストの本においては、「生得的なgender」と「学習されたsex role(性的役割)」という現代とは逆の定義がみられています。

 しかし同著の1978年の版ではこの定義が逆転しており、1980年までに、大半のフェミニスト(=注釈:女性権利主張者)は"gender"を「社会・文化的に形成された性」、"sex"を「生物学的な性」として使用するようになったようです。

 このように、社会科学の分野においてジェンダーという用語が社会・文化的性別のこととして用いられ始めたのは比較的最近のことで、ジョーン・W・スコットの著書『ジェンダーと歴史学』によれば、近年、欧米の社会学において、"gender"という用語はほとんど(7割程度)の場合、「女性」と同義で使用されているとしています。(例:"gender and development" 女性とその経済力向上)。

 セクシュアリティーの定義については、次回解説をして参ります。

ⅲ) 生物学的性と性的少数者

 私たちは、男性、女性という二つの生物学的特性を持っています。これらは、あくまでも哺乳類などの動物としての人間の生物学的な外面的特性を示していますが、この他に医学的には半陰陽など、外面的な特性ではなく機能的な分類も存在します。この分類も非常に興味深いのですが、今回詳細には触れません。

「生物学的性(sex)」とは、ロングマン現代英英辞典によれば、「the fact of being male or female(男性または女性であることの事実)」と説明され、「male(男性)」は「子供を産まない性」、「female(女性)」は「子供を産む性」と定義されています。

 また一方で、このような外面的機能的な特性の他に、性同一障害などの分類にあるように、内面的な性に対する特性もあります。このような特性を持っている少数の方々に対し、最近では「性的少数者」として「LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)」などと言われています。

 ここで使われるトランスジェンダーは広義の意味で、ニューハーフ(はるな愛さん)、女装家(ミッツマングローブさん)などが含まれます。同性愛者は、女性がレズビアンで、男性がゲイという認識が一般的ですが、基本的にゲイとは、両性の同性愛者全般を指します。

ⅳ) 個性と表現の自由

 フェミニズムや男性性、女性性といわれているものは、おおよそ上記に掲げた個々人の性格、気質、価値観、倫理観、嗜好性、社会性、人格性、精神的段階、国の民度や集落や各家族集団の帰属文化的背景など広範な領域が背後にあるのです。私たちは普段それら背後にある要因にあまり意識を向けていません。

 『佐藤かよ』さんなど、内面と外面の性の不一致をカミングアウトして活動されている方もいらっしゃいます。彼は彼女として活動を始めたわけですが、彼女の講演を聞くと、私たちの想像する世界とは全く異なる社会の障壁が存在していることに気が付きます。

 バイトをしようと思っても、給料を払い込むための口座が開設できないために、現金手渡しが最重要条件というのも、一般的には想像もできない障壁です。給料の金額とかではなく、それ以前の問題で社会から排他的な存在として認識されていることで、その結果自分自身も責めてしまう。このように、ほとんどの方が気付かない些細な問題も生じます。

 表現の自由ということを考えれば、内的な性の命題は表現をする自由性に向かって開かれていて良いはずです。少し変わった趣味ですね、という範囲から、事実、性転換手術までする方もいます。

 内面の命題は、外面以上に、本人の生活の質に直結してくることが多く、表現できない不自由さ、あるいはそのような社会の雰囲気にのまれ、自分本来の気質を隠し葬り去ることができればそれで良いのでしょうか。このテーマは、また後ほど、お話して参りましょう。

ⅴ) サイコ-セクシャル-ライン
精神性と性の気質

 精神性と性の関連について、はじめに問い始めたのがフロイトでした。精神性に投影された様々なコンプレックスを、性をモチーフにして検証していきました。

 これらの内面の性、外面の性、それらを支える様々な要因が精神性や気質とどのように関連しているのか、これに答えるには、精神や「性」について共通の理解をもつ必要があります。

 今回は、このような命題提起に止めますが、その共通理解の物差しとして今後、「こころの立体モデル©」を利用しながら見立てて参りたいと思います。『性』の命題を少しずつ整理して参りましょう。

 このモデルには、様々なラインが存在します。その一つひとつがどのように性の命題と関わるのかを解説して参ります。

 そして次回は、セクシュアリティーの定義を中心に、東洋医学的陰陽の関係から男女関係の解説を試みて参ります。

第二話 セクシュアリティと陰陽

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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