見出し画像

男女関係 ジェンダー 第四話 性的エナジーとは

本日から、
性的エナジーについて
お話しして参ります。
はじめにお話しした通り、
この漲る躍動的なエネルギーを、
どのようにしたら適切なパワーに
変換して世の中に活かせるか、
これが、今回のテーマの
中心にあると思います。

性における適切とは
何かを問うこと。
適切に節度を保つには、
どのようなことに気付けばよいのか。
これらが主題としてあると思います。

今回は1万文字以上の内容なので、
お時間のある時に休憩しながら
じっくりお読みいただけれは幸いです。

Ⅰ.性的エナジーの捉え方

ⅰ)性欲の本質を検証する

 性欲といえば、私たちが視覚や聴覚、あるいは嗅覚や触覚などの何らかの刺激により性的興奮を覚える感覚です。しかし、それは一般に私たちの表層に生じている感覚に過ぎないのかもしれません。ですから、今回は少し詳しくこれら欲求の本質を検証していきましょう。

 三大欲求という言葉もあるように、一般的には食欲、睡眠、性欲など、基本的欲求に性欲が含まれていますが、性的なことに興味のない方もいらっしゃるので、本当に基本的と言えるのは、食べることと寝ることになるのでしょうか。

 そして、皆さんが忘れがちな欲求に、『呼吸』があります。日常生活で酸素が不足して息苦しくなることはほとんど経験しないので普通に生活している状態ではあまり気に留めないのですが、息を1分以上止めるだけでも大変なことなので、生理的に最も必要としているのは、実は呼吸欲求になります。

ですから、三大欲求は

「呼吸」「食欲」「睡眠」

となります。

 水分だけ取っていれば、食事も3日くらい食べなくとも平気でしょう。あと睡眠はどうでしょうか。睡眠は3日間不眠不休で働くと人間は、朦朧として必ずどこかで睡魔に襲われ眠ると言われるので、呼吸の次は睡眠でしょうか。でも、これも個人差がありますね。食事をすると眠くなることから、食事をしないでいると睡魔なんか来ないかもしれません。

 三度の飯より好きなものがあれば、欲求のモードも変わります。しかし性欲は、それが無くては死んでしまうような欲求ではないので、呼吸、睡眠、食事がある程度満たされた次の欲求となるでしょう。

ⅱ)そもそも基本的欲求とは

 ここで『マズローの欲求段階説』をもとに基本的欲求をみてみましょう。マズローは欲求を以下のように唱えました。

生理的欲求
安全欲求
社会的欲求
尊厳欲求
自己実現欲求

5段階と言われています。

 第一階層の「生理的欲求」は、生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、飲みたい、寝たいなど)。この欲求がある程度充たされると次の階層「安全欲求」を求めます。

 第二階層の「安全欲求」には、危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求が含まれます。この欲求がある程度充たされると次の階層「社会的欲求」を求めます。

 第三階層の「社会的欲求(帰属欲求)」は、集団に属したり、仲間が欲しくなったりします。この欲求が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなります。

 ここまでの欲求が、外的に充たされたいという思いから出てくる欲求といわれます。そして、次に芽生える欲求から、内的な心を充たしたいという段階へ移行していきます。

 第四階層の「尊厳欲求(承認欲求)」は、他者から認められたい、尊敬されたいなどの承認を求めます。ここからは外的なモノではなく、内的に心を充たしたい欲求に変わります。

 「尊厳欲求」がある程度充たされるとつぎの欲求に移行します。最後の第五階層の欲求は、「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)が生まれます。

これが基本的な『マズローの欲求段階』説です。

 そしてマズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表しました。それは「自己超越」という段階。「目的の遂行・達成だけを純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態だといいます。

 すばらしい…最終的なこの状態は、マガジン最後にお示しできるでしょう。

ⅲ)性欲はどの段階から発現するのか

 これまでマズローの提唱した基本的欲求の一般モデルをみてきましたが、では性欲はどの段階から生じるのでしょう。やはり生理的欲求はクリアーして、安全の欲求が満たされてからと考えるべきでしょうか。一般的にはそうだと思います。しかし異常なケースでは、危険を冒してまで性欲を満たそうとすることもあるでしょう。

 レイプなどの性犯罪は、常に暴力的な背景が認められます。この関係性は言うまでもなく、圧倒的に男性が女性を犯すという[からだ]の力関係によるものが大きいでしょう。このような背景から、明らかに男女の性の欲求は、基本的に少しタイプ(タイプについては後ほど検証)が異なるものであると言えます。

 また、不倫関係では家庭の崩壊という危険をはらんでいても、それを承知で行うこともあります。そう考えると性欲は、かなり原初の段階の欲求かもしれません。日常が退屈で何らかの出会いを求めたり、あるいは現実逃避型の非日常に浸りたいなど、スリルや冒険的な要素をはらむ方が性欲が刺激されやすいのかもしれません。

 いずれにしろ、これも個々人の性格傾向や気質に大きく依存していることは否めません。安全安心を求める人が一般的には大多数です。このようなことを勘案すると、一般論として性欲の発現段階は、おそらく生理的生存欲求の次に来るものであろうと思います。

 そして「性欲」とは一般的に、安全欲求が満たされ、社会と従属の欲求の一つとして恋愛などの関係性のなかで次第に許容されていくのではないでしょうか。

 つまり性的欲求は、マズローの提唱する内的な欲求の最終段階に至るまでに、ほぼ発現するであろうと考えられます。そして、このモデルで考察できることは、性欲発現スペクトラムはかなりレンジが広いことが確認できます。

ⅳ)マズローの欲求をマッピングする

 では、これから少し視点を変えた解説をして参りましょう。

マズローの欲求段階は一般的に下図のようにヒエラルキー構造で説明されています。

画像1

このヒエラルキー構造を前回ご説明した「こころの立体モデル©」の『理の面』(基本四象限)にマッピングしてみましょう。

画像2

お示ししたように、「基本四象限」では「マズローの欲求4段階」までが、簡単に整理できます。

身体=生理的欲求に関与
社会=安全の欲求に関与
心理=所属の欲求に関与
精神=承認の欲求に関与

そしてここまでの欲求構造は、身体から精神まで発達段階に伴って回転していくことがお分かりでしょうか。

画像3

 さらに、マズローの欲求最後の自己実現は、これら欲求すべてを満たす、「自己」を確立していく前提でヒエラルキー構造の頂点に位置していました。これを敢えてマッピングすれば下の図のようになります。

画像4

すべての欲求は自己実現のためにあります。でも、考えれば当然のことですね。

<ひとことコラム> 欲求の五段階説は良く知られています。この段階的な表現はとてもよく社会構造を認識していると思います。ところで、はじめの解説では、第二段階を「安全の欲求」、第三段階を「社会的欲求(帰属)」として分けました。しかし、マッピングでは、第二段階「安全の欲求」が「社会」の領域に、第三段階の「社会的欲求(帰属)」が「心理」領域に入っています。この理由は、「社会」をどう捉えるかによって変わります。マズローの言う「安全欲求」とは、物理構造的なことが中心となります。安全が第一で、安心はそれに付随するものと考えると、まず、社会インフラや法の整備、給与システムなど経済を支える社会構造などの整備が必要です。四象限では、それらは全て「社会」と見做しています。したがって第二段階の「安全の欲求」は「社会」の領域になります。一方、第三段階の「社会的欲求」は、むしろ「帰属(所属)」欲求とあるように、心理的な社会とのつながりを言っています。ですから、マッピングでは「心理」領域に入ります。

 「自己」は、必ず身体を持ち社会と関り、みんな家族の一員で心理的に所属して、精神や意志を持っています。

 さて・・・ここで終わっては、今までの平面的な理解で終わってしまいますので、こんどは立体的に把握して参りましょう。また<あたま>を使っていきましょう。

Ⅱ.マズローの欲求モデルの立体的把握

ⅰ)「こころの立体モデル©」の欲求理解

 もはや世間は3Dとヴィジュアル時代、思考回路も立体を意識して参りましょう。

では、マズローの欲求モデルを前回お示しした「こころの立体モデル©」に組み入れていきましょう。

画像5

 上図は『理の面』にマッピングし、生理、安全、所属愛、承認などのキーワード立体モデル上に示されています。

 そして、前回ご説明したように、これらの欲求は本来、赤『感の面』に関与するものでした。

 なので、欲求を『感の面』に組み直すと下のようになります。

<ひとことコラム> マッピングした場所は、立体モデル上の重なる部分にも関与する「トポロジー」的、あるいは「パイリング」的な構造を持っています。トポロジーはいろいろな解釈ができますが、ここでは、透視できる部分の領域に関連する事柄があることを示し、パイリングは、印刷技術などで積み重ねることなので、その重なりに関与があるという意味です。そして、これは立体を意識しているので、立体をイメージすると、レイヤーが意識されそれぞれは、単なる重なりではなく方向性を持っていることが分かります。

画像6

 前回お示しした『感の面』の四象限は、感情や欲求のエネルギーを示し、手前の象限から活力、気力、知力、体力となっていました。

 マズローの②安全欲求と③の一部「所属の欲求」がひとつの「活力の象限」に入り、内的な心を示す「愛の欲求」③’として内面に配されます。④「承認欲求」認知に関する「知力」に配しています。

 ここから、五つの欲求とも解釈できます。

 では、この立体モデルで「自己」はどこにあるのでしょうか。これはこの節の最後にお示しするとして、性欲の正体をお示ししておきましょう。

ⅱ)性欲と自己実現の正体

 さらに詳しくは第六話でお話できると思いますが、ここでは単純に性欲を「生理的欲求」の一つとして考えてみましょう。

 立体モデルを還元して、平面的な解釈として見てみましょう。

画像7

 このように、身体的な欲求となります。つまり、ヒエラルキー構造ではなく、生理的な欲求の一部とみなせば、他の三つの欲求があってもなくても関係ありません。

 そして、日本語はうまくできていて、身体は「身」という字と「体」という字の二つで熟語になっていますね。

 女性が男性に対し、

「体が目的だったのね」

というときは、単に性(セックス)の対象にされたと感じたときです。自身の社会性や人間性もまったく無視され単に体だけだと思ったときです。

 男性が「身勝手」に「性的欲求」を満たす行為は、それも一つの「自己実現」かもしれません。これはまさに「中心」の「自己」が関与しています。

 先ほどもご説明したように「自己実現」の領域は中心でした。

 これは、矛盾しているように感じます。では、マズローが言っていた「自己実現」とは一体なんでしょうか。

 立体モデルにこの「身」と「体」を投影してみると、「自己実現」の本当の意味が理解できます。

『基本四象限』の四つの語彙は、八つに分けてマッピングすることができます。

画像8

 これは日本語の独特な味わいです。互いに『理の面』を境に「公人性」と「私人性」で分かれています。

画像12

「身」の後ろには「理」が隠れて見えなくなっています。

画像9

 まさに「身勝手」というのは、中心に「身」があるのですが、その中心の「奥」の見えないところに「理」(ことわり)があります。

これを確認できるように、構造を動画でご覧ください。

※ 八文字については第六話で詳細な解説を致します。「体」だけではなく周囲の「会」「社」「心」「精」「神」への生理的欲求やネガティブな欲望も見えてきます。

 これは自然の摂理や道理、あるいは公に認められている公理などを示す領域です。「理」のアスペクト※は、「内面」「公人性」「集団」「内部」を指しています。

※アスペクトとは、八つのそれぞれのパートが持つ位置。「体」の場合は、「外面」「公人性」「個々人」「内部/外部」を持つことになります。「社」の場合、「外面」「私人性」「集団」「内部/外部」となります。

 対する「身」は、「外面」「私人性」「個々人」「内部」を指しています。マズローの「自己実現」とは、「理」に向かう方向性だったのです。

 つまり「公」に向けて開かれた「自己」を意味します。

 「保身」に回るという言葉がありますが、まさに「自分の事しか考えない」のは「私人性」に閉ざされた方向性です。

 「理」に向かい、周囲と調和を図りながら「自己実現」を目指す。それが本来の人間に与えられた社会性のはずです。立体モデルの「自己」とはまさに「我が身」という言葉通り六角形の中心にあり、その目指すべき方向性は「公」に開かれています。

画像10

 この「公」に開かれている方向性をもって、「性」的エナジーを開放することが求められます。この事例や根拠については、今後更なる検証が必要でしょう。また、性的衝動や性的快楽という、いわば欲求の原初的な部分にフォーカスを当て、ただ単にそれを抑圧するだけでは「性」の欲求を「公」に開放することはできません。

 中心から湧きいずる「性」の開放。これは改めて取り組むべき「命題」だと思います。その時に必ず関与する自己の「己」の作用については、また触れたいと思います。

Ⅲ.性のタイプと『理性』との関連

 性的エナジーを検証するには、犯罪に至る動機や背景を見ていく必要があります。今後も必要があれば検証していきますが、軽犯罪で女性のスカートの中の写真を取るなどして捕まるケースから、満員電車での痴漢行為、あるいは性的凶悪犯罪に至るまで、その動機は大部分が似通っています。

 それは性衝動に駆られて行為に及ぶというパターンが殆どだろうと考えられますが、このときに『理性』を使い、自らの衝動を自制し行為に歯止めをかける必要があるはずです。しかし、どういうわけかこの歯止めがかからずタガが外れてしまうようです。男性が女性を犯すことについても、『理性』の歯止めがかからないというのがまず大きな原因であることに間違いありません。

 ここで、アメリカの倫理学者・心理学者のキャロル・ギリガンが倫理的知性について研究をした結果についてご紹介しましょう。発達心理学の倫理的知性では、男性のタイプと女性のタイプとして、傾向がことなることを示しています。

画像11

 男性のタイプは、自主性、正義、権利に基づき、エージェンシー(自立性)を保ち規則に従う傾向を持つといわれています。一方、女性のタイプは、関係性、思いやり、責任感に基づき、コミュニオン(共同性、交流性、感応性)を保ち関係に従う傾向を持つといいます。男性は見る。女性は触れる。男性は個人(主義)へ、女性は関係性へと向かうといいます。
 ギリガンの好きな言葉に次のようなものがあります。

小さな男の子と女の子が遊んでいる。

男の子は言う「海賊ごっこをしようよ!」
女の子は言う「お隣さんごっこをしましょう。」

男の子「いやだ!海賊ごっこがいい」
女の子「それなら、お隣さん同士に住んでいる海賊ごっこをしましょう」

 ここでもう一つエピソードを紹介しましょう。

 『男の子は、野球などの試合をやっているとき、女の子がそばにいるのを嫌がる。なぜなら、このとき二つの性のタイプが、ひどく、ときにはおかしなほど衝突するからだ。たとえば、男の子が三振して、アウトになる。そこで、彼はくやしくて泣き出してしまったとしよう。他の男の子たちは、彼が泣き止むまで、別に何もしない。それは、規則は規則であり、その規則とは三振すればアウト、というものだからだ。しかし、もし女子がそこにいれば、大体、こういうだろう。「いいじゃない、もう一回、やらせてあげなさいよ!」女の子は男の子が泣くのを見て、助けてあげたい、関係したい、癒してあげたいと思う。だが、これが他の男の子たちには頭にくる。彼らは、野球の試合によって、規則と男性の理論の世界への入門儀式(イニシエーション)を行っているからだ。ギリガンによれば、男の子は、規則を保つためには感情を傷つけても仕方ない、と考えるが、女の子たちは感情を傷つけないためには、規則を破っても仕方がない、と考える。』

ⅰ)病気の少年と病気の少女

 セクシャルな問題に入る前に、一般的に理解されているこのような性のタイプが、たとえば不健全で病的になるような場合は、どのような傾向が生じるのでしょうか。

 上記のように、健全な男性性は、原則的には、自立性、強さ、独立性、自由などに向かう傾向があります。しかし、不健全な男性性は、これらのポジティブな性質が過剰になるか、または不足することがあります。

 自立性は、疎外感に変化し、強さは、支配欲に変わり、独立性は、関係に対してあるいは、何かに強く関わることに対する病的な恐怖に変化し、自由に対する欲求は、破壊に対する欲求に変化します。病的な男性性は、原則的に自由によって超越するのではなく、破壊と恐怖によって支配しようとします。

 一方健全な女性性は、原則的には、流れ、関係、思いやり、憐れみなどに向かう傾向があります。しかし、不健全な女性性は、それらのなかにおぼれてしまうようになります。

 関係性の中にあるのではなく、関係性の中で迷子になり、自己を他との交流のなかにおくのではなく、自己を見失い、その関係性に支配されてしまう。結びつきではなく、融合であり、流れの状態ではなく、パニックの状態になり、交流ではなく、溶融(メルトダウン)を起こすようになります。不健全な女性性は、結びつきのなかの豊かさを見るのではなく、融合の中のカオス(混沌)を見ることになるといいます。

 異なったタイプとして、少年も少女も、3から4の倫理の発達段階を通過して成長していきます。たとえば、

自己中心的段階
自民族・集団中心的段階
世界中心的段階
統合的段階

のようにです。しかし、これらの経過は、それぞれの異なったタイプが、異なった論理を通じて発達していきます。

 ギリガンによれば、第4段階、つまり統合的段階ではじめて、私たちの中の男性のタイプと女性のタイプが統合されるのだといいます。これは、この段階の個人が、男性性、女性性の区別を失い、中性的で無性別的になるということではなく、それぞれの個人が内部に持つ男性性の様態(モード)と女性性の様態(モード)により馴染むようになるのだといいます。

 つまり、簡単に言えば、お互いをより理解できるようになるという<あたま>で分かったつもりになるのではなく、お互いの性への納得や得心といった(こころ)に響くようになることが常態化することだと思います。

 私の個人的な見解では、男性は『理の面』のモードが強く、女性は『感の面』のモードが強い傾向があるということです。

ⅱ)『理性』『知性』『感性』と
『三つの側面』

 ここで、『三つの側面(アスペクト)』と『理性』『知性』『感性』についてお話しをしておきましょう。(『霊性』については最終段階でお話ししましょう)

 『理性』とは『理の面』を観察(サーチ)する能力であり、『知性』は『知の面』をサーチする能力(パワーあるいはパフォーマンス)であり、『感性』は『感の面』をサーチする力(エネルギー)です。全体をサーチするには、中心を軸とした回転の動きが必要になります。それぞれのアスペクトには、その軸を貫く力が存在します。

 今までご紹介した「こころの立体モデル©」を思い浮かべながら想像してみてください。

『感の面』の中心を垂直に降りる力は、
重力のフォースに似ています。
フォースは『理の面』を支配します。
『理の面』の中心を垂直に穿つ力は、
概念を作り出す私たちのパワーです。
パワーは『知の面』を支配します。
『知の面』の中心を垂直に穿つ力は、
光や音のエネルギーです。
エネルギーは『感の面』を支配します。

 『理性』は、『知性』のパワーを借りて、『感性』を『悟性』に引き上げます。これは、私たちが生まれたときはそれほど強くなかった『感性』が、様々な障壁や重荷に打ち勝てるだけの能力を身に付けられたという段階です。私たちの身の回りには、様々なフォースがあります。(なんだか急にスターウォーズの世界に迷い込んだような話しで申し訳ありませんが…)

 フォースとは、簡単に言えば、私たちに無くてはならないものですが、あるがために重労働になるという代物です。それは重力そのものであり、私たちは、この重力に順応してきたと同時に厄介なものとして、時としてそれに立ち向かわなければなりません。

 暗黒面のフォースは、私たちの様々な行いに対しこの労働を増やすベクトルに向く行動です。これがすなわち、恐怖や不信などネガティブな感情に相俟って力を強めてしまいます。まったくスターウォーズでスカイウォーカーの師匠ヨーダが言ったことと同様に、この力を私たちは克服していかなければならないのです。

 結論から申し上げれば、『悟性』とは「人格」を映す鏡であり、判断の極致であり、それはその能力自体がフォースを纏っています。男性が、この力を生かすには、女性と協力をしなければなりません。

 そして『慈悲』とは「倫理」であり、思考の極致であり、それはその能力自体がパワーを纏っています。女性は、この力を生かすためには、男性と協力しなければなりません。

 この要になるのが、確実性のラインであり、お互いが協力できるようにエネルギーを注いでいく行いです。確実性のラインとは、安定感をもって日々日常の生活一つひとつと丁寧に接し、自らの心に小さな約束をし、恐れを克服し自分も他人も傷つけず一歩一歩精進する力の源であり、それは『義』を為し感謝の心を以て不信不義を厭離し、最終的にはそのような弁別もなくただ『知の面』を照らす光となる軸です。

※ このような解説は、単に理想を申し上げているような書き方ですが、これは、「こころの立体モデル©」にマッピングした言葉から自然に紡がれたものです。ラインについてもこれからマッピングしていきます。

 お互いのタイプの統合的段階とは、『知の面』が成熟することであり、『理の面』に力を与える女性的な『感の面』の状態と、男性的な『理の面』の段階が倫理的発達段階を規定していくともいえるでしょう。

 最後に、『霊性』とは、『理の面』『感の面』『知の面』をサーチする能力そのものが『霊性』の力の一部であると考えています。

 それは、回転の力、物事を新たな方向に誘(いざな)い巡りを与える力です。『三つの側面』の『四つの象限』すべてをサーチし纏め上げる、それが『霊性』でありその本質は、回転、巡る力であるといえます。

Ⅳ.性的エナジーの正体

 今回の男女関係ジェンダーについては、かなり広範な領域を含むお話しになることは『はじめに』でも触れました。そして『性』の問題の核心は、常に内部の感覚的な刺激と関連しているのは、誰でも察しが付くでしょう。このような感覚の原初はどこからくるものなのか、そして、その刺激とは何と呼応しているのか、その源は何に関与するのか、私なりの見解を申し上げておきましょう。

ⅰ)性的刺激の原初[からだ]の反応

 これについても、様々な解釈ができると思われますが、最も基本的な発想は、種の保存欲求とでもいうのでしょうか、子孫を残していくという原初的な欲求が存在するのだ、という説です。

 これは、確かに頷けます。女性は排卵日に近くなると性的欲求が増し、気分が変調しますし、男性も、俗に溜まってくると性欲が増すことも経験します。

 医学的に言えば、これらの刺激はある種の性ホルモンによって促される変調であることが分かっています。この事実は性欲がホルモンの影響を受けているという証拠で、動物でも同様のことが言われており、発情期があり、ホルモンの影響を受けていることは確認されています。

 このような[からだ]の説明は、否定しようがありません。実際にそのような反応が起こることは事実ですから。しかしこのような説明は、いささか認識が浅いとでも言うのでしょうか。体の反応的な説明で、ともすれば単に[からだ]の反応で欲求が出現するという反応的セックスの解釈に留まってしまいます。

 哺乳類の中でも『知性』を持つ人間として、動物にはない、人間としての『セクシュアリティ』あるいは『ジェンダー』を根拠にした解釈も必要でしょう。

 <あたま>の性的パワーと(こころ)の性的エナジーの存在も忘れてはなりません。

ⅱ)(こころ)と<あたま>の反応

 女性が男性に求める態度として結構上位に上がるのが、『誠実さ』そして『尊敬できる人』や『価値観の合う人』などがあります。そしてまた、女性は堅実で現実的な一面もあり、個々人の気質にもよりますが、『経済的な力』も上位にあがります。

 これは、しっかりとした検証はありませんが、イケ面のビンボー人と、ブサイクなリッチマンでは、若干でもブサイクなリッチマンに軍配が上がるという報告もあります。また、逆に子供のことを考えると、ブサイクだとかわいそうだから…とイケ面を好む方もいるようです。

 いずれにしてもこれらの傾向は、個々人の気質が当然あるのですが、熟年離婚の原因を見ると、性格や価値観の不一致、性生活の問題、あるいは不倫やDV、会社人間で家庭を顧みずに崩壊するなど、長期的にはイケ面やブサイクなど外面的な問題より、内面の問題が大きく関わるといえます。

 (こころ)の問題は、誠実さや正直、優しさなど、圧倒的にこころの安定性を求めていることがわかりますし、<あたま>の問題も経済的な安定性を重視してまていす。これは当然といえば当然の帰結でしょう。

 性的エナジーは、基本的生理的欲求を満たすことを掲げましたが、その中で、食欲や呼吸、睡眠がそのまま、直接的に『性』の問題に直結することもあります。相性という文字が示すように、食の問題では、食事の食べ方やマナーから嗜好性、食にありつけるかという経済的な安定性にも関与します。

 呼吸は、匂いに敏感な方もいて、実は匂いで好きになったという人も結構いるようです。また過去の記憶とも関与が深く誠実さなどが思考のセンスにも影響します。

 そして睡眠は、安心感や共感的な安らぎなどの影響を受け、(こころ)の安定、<あたま>のリラックスができるのか、など様々な要因について好き嫌い快不快を判断しています。

 男性については、視覚的な外面的要素に傾向があるようです。最近では、無理目の高嶺の花よりポッチャリ系あるいはデブ系でも安らぎを求める傾向もあり、より内面指向になっていることが伺えます。しかし、癒されたいという欲求は昔からあり、お姉さんタイプや母性タイプなど、男性にとっては定番かもしれません。 

ⅲ)中心という存在

 上記のような個々の気質が大きく関わる問題は、ある程度の指向性もありますが、それこそ様々な要素があり、その多くは外面あるいは外部の問題に過ぎません。これまで冗長に過ぎたかもしれませんが、『ジェンダー』を深く捉えるには、実は以上の問題は全く関係がありません。

 実に長々とお話したのは、あまりにも外部の関心が<あたま>と(こころ)をいっぱいにしてしまっている現在の『男女関係』を示したかったからです。

 実は「恋愛」などは、他人を愛する問題に見えますが、じつは、性的エナジーの基は、自分を愛する、つまり『自己愛』の問題に行きつくのです。

 『自己愛』というと、あまりいい言葉ではない印象があります。精神病理にも『自己愛性パーソナリティー障害』として、ナルシストで自己中心的、特権意識や差別感が強く他人に対して尊大で傲慢な態度を取る傾向があります。

 しかし、これは重要な視点なのですが、本来の適性な『自己愛』を獲得すると、それは性のコントロールも可能であり、安定性のある男性性、あるいは女性性を発揮できるようになるのです。

 それを私は『自愛』と呼んでいます。

 本来の自分も、そして他人も含めて考えられる「こころ」です。人は基本的に自分に接するようにしか他人にも接することができません。『自愛』の「こころ」が芽生えれば、慈しみ愛する慈愛が生じます。

 キーワードは、『中心という存在』です。

 仏教でも、密教あるいはタントラ哲学のような性的エナジーを説いたものもあります。男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す無上瑜伽の行もありました。

 男性名詞であるため男尊として表される方便と、女性名詞であるため女尊として表される智慧(般若)が交わることによって生じる、仏神も多数登場した経緯があります。

 無上瑜伽タントラの理解が分かれていた初期の段階では、修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、あるいは象徴的な意味を持つ諸尊の交合の姿から発想して、女尊との性的瑜伽を実際の性行為として実行することがあったとされています。

 これらの行は、実際のセックスではなく、内部の女性性と男性性の和合と調和への方法を示しており、むしろ現代の『ジェンダー』あるいは『セクシュアリティ』の領域に入る内容であろうと思われます。

『性的エナジー』とは、性の領域を満たすチカラであると言えます。それは、以前お話した『性』という「語彙」の意味を改めて思い出していただくとよいでしょう。

『性』とは、可能性のように不確定性や、一定の解釈に幅を持たせるような捉え方ができる語彙です。また、心を生かすという重要な役割もありました。

男女の恋愛は、小説でも『燃え上がるような恋』として表現されることがあります。このように、中心から湧き上がる力、これが『性』の本性であり、また、その力があるがゆえに、私たちは生きる底力を与えられているのです。


 さて次回は、このような底力を持つ性的エナジーのコントロールとして、今回の性的エナジーの正体を認識し、実際に性欲をどう適切にコントロールするかをお話しする予定です。

第五話『性的エナジーのコントロール』


長文を最後までお読みいただき
誠にありがとうございました。

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んで頂いたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことです!マガジン内のコンテンツに興味のある方はフォローもよろしくお願いします。