『数字の象形』《おとぎばなし》「12」(1386文字)
前回「11」で語ったように、双対であることを意識できる次元が、十の位の「1」じゃった。
「12」は、一の位に「2」があることによって、「我」と「汝 」の関係性が最終段階を示す象形であることがわかるのじゃ。
「2」のときにも語ったように、「2」は、もともと二元の始まりを示す意じゃった。
そこに十の位の「1」、つまり双対であることを認識する次元が顕れることによって、「12」により本質的に四つの常態が在ることが察知できるようになるのじゃ。
すなわち、「我」に対しての「他」と「我」に対しての「汝」の四つの関係じゃ。
仏教のことばに「ガタピシ」という語彙がある。
これは、建物や家具などのつくりが悪かったり、扱いが乱暴なときに、きしむ音を表現したり、人間関係や組織の成り立ちが円滑でないさまをいう言葉じゃ。
「我他彼此」と書く。
簡単に、「彼此」とは「あちらとこちら」という意味じゃ
つまり、「我他彼此」とは、自分と他人を分け隔て、あちらとこちらの繋がりを遠のけた心の様子を言っておるのじゃ。そのような気持ちで人付き合いをしていくとどうなるか。
しょっちゅう他人と衝突し、争い、いがみ合うことになるじゃろう。
そうじゃ。おそらく表面的な語彙の意味合いはそのようなことじゃが、実は、これにはもっと深い意味があるのじゃ。
いつも、わしらのこころの中に生じていることじゃから、まったく知る由もないのじゃが、つまり、これが四つの常態を意図しておる。
「我」に「他」があるように、「彼」にも「此」があるということをいっておるのじゃ。
お彼岸という言葉を知っておるじゃろう。これは悟りの世界のことを言っておる。そして此岸とはこの世のことじゃ。
わしらはこの世の世界の自分をみる、もう一つの目があって、それによりはじめて「我」に還るのじゃ。これを見定めるためには、もう一つの目を見出す必要があるのじゃ。
それは、「彼岸」と「此岸」を見つめる存在。それが「汝」の目なのじゃ。
つまり「我他彼此」は、それぞれ「我」「他」「彼」「此」の順で意識の変遷を解いておるのじゃ。
「我」は「他」と対にある。そして「彼」は「汝」のこと。あの世の悟りを知っておる、「汝」の姿を、自分の似姿として知ること。それができるようになると、最終的に本当の「この世」に戻ることを解いておるのじゃ。
彼岸に居わす「汝」の存在を知ることが「我」を見出すことなのじゃ。
つまり「我」「他」「汝」「我」、漢字で書くと「我」は同じように見えるが、「汝」を通して見る「我」は「我」から「我」に変容する。
その変容を示す段階が「12」の数の象形に顕れておるのじゃ。
さて、この象形は最終次元段階の次なる「13」で最後となるじゃが、いったい神はわしらに何を伝えようとしておるのか、その理由が次の「13」で明らかになるじゃろう。
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