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The Land of Mindfulness on my mind, Plum Village (2019.1.9)

わたしの変容は、ガラガラガラーッと一気に、という感じではなく、じわぁーっと起きていて、気がついたら、モノの見え方が変わっていた、という感じらしい。


タイのプラムヴィレッジで過ごした10日間、マインドフルネスのシャワーを浴び続けた。

here and now


happiness

何度、この言葉を聴き、歌っただろう。
(歌う瞑想がたくさんあり、一日になんどもいろんな歌を歌っていた)

breathe
relax
smile
enjoy
free

などなどの言葉たちも。

お遊戯のように振りつきで歌うのが、はじめは照れくさかったけれど、100人ものブラザー、シスターたち(僧、尼僧)、アジア各国からの400人もの参加者たちが、みんなやっているのを見ているうちに、だんだんそれが普通になってきた。

なんてピースフル。
完全に洗脳される。。。


まだ暗いうちに起きて、座る瞑想をし、緑のなかで歩く瞑想をしているうちに、朝日が昇る。

皆で食べる瞑想をして、お皿を洗うまでは沈黙の時間。
(食事はベトナム風?ベジ。めちゃおいしくて食べすぎ)

働く瞑想をして(わたしたちのグループはトイレ掃除)
法話を聴き
また食べる瞑想をして
トータル・リラクゼーションというヨガニードラのような微睡の瞑想で、深く深くリラックスする(大概寝る)
(食べて、寝て、幸せねえ。幸せってとてもシンプルでしょ?と、シスター・オプラは言っていた)


歌う瞑想
法話
ダルマシェアリング(ファミリーグループでのシェア)
食べる瞑想
法話/座る瞑想、等
就寝

だいたいこんな予定の毎日(起床は4時半、就寝は22時ごろ)。


起きている間は、15分毎にチャイムが鳴り、音が鳴っている間は、やっていたことを止め、呼吸に戻る。
止まって、身体を、心を、休ませてあげる。

法話のときにも、いつも微笑みがある。


合間には、Lazy dayという日があり、この日は自由行動。
ブラザー、シスターにお茶に招いてもらったり、お散歩に行ったり。とても気を配ってくれる。そしていつも笑いがある。

ナイトパフォーマンス(各国の演芸大会?)の日は、趣向を凝らし、いつにもましてユーモアあふれる時間だった(シスターが、Buddha bless you! って)。日本サンガでシュールなパフォーマンスをしたのもよい思い出。


ここでの生活を楽しんで、盛り上げようとしている僧侶たちの姿は、まぶしく、ほほえましい。

その実、厳しい戒律もやっぱりあるらしく、それをを守る人たちだからこその、ゆるぎなさの上にあるおだやかさなのだろう。

僧と尼僧が共に修行するのは、世界でもプラムヴィレッジだけだそう。男女が平等に、共に暮らしをつくっていく姿は美しい(性愛よりも、もっと深い関係性を結ぶ。とはいえ若い男女が多く、誰かに恋をすることもある。それは自然なこと。だけど自分のなかで、その執着が15%位であるようにとどめておくとのこと)。

なんてピースフル。

お化粧をしないで過ごすのも、普通になる(滞在中は、たまにお化粧している人を見ると、あ、この人のまぶたは青い、というように見えたりする)。

15分毎のチャイムで自分に気づきを向けるのも、手を合わせ、微笑むことも、次第に普通に。

僧院として仏陀の教えを学べることはもちろん
自然のなかで、朝日を眺め、夕陽を愛でるのも
ゆっくりと味わって食べることも
環境を気遣い、物や情報が少ない暮らしをするのも
できるだけ、マインドフルに、と配慮しあうことも
リラックスすることも
ここではデフォルトなのだ。

理想郷のようなこの場所。

プラムヴィレッジという場所が、
現実に、この世界に、確かに存在する。

Thay(ティク・ナット・ハン師)は、ベトナムに帰られてここにはもういなかったけれど、その愛が場を包んでいて、その愛を皆が体現していた。


Thayのスピリットは、あなたの呼吸のなかにいる、とあるシスターが言っていたように。

途中、体調を崩したときには、日本サンガの皆さんのやさしさがしみた。差しだされた手を、受けとっていいんだ。

具合はよくなってきたけど、まだ体力が戻らなかったので、リトリート後の一日をバンコクで過ごすのはやめて、もう一泊プラムヴィレッジで過ごすことにした。そして、このエクストラの一日半は、これもまた素晴らしいギフトだった。

8日間のリトリートを、ゆっくりと自分のなかになじませていくこともできたように思うし、ボディワークを愛する身としては、このときに受けたブラザー・サンライト(日本人僧侶の方。彼のおかげでこの滞在はとても楽しく、充実したものになった)による超瞑想的野口体操は、衝撃的だった。次の来日時にぜひやってほしいとお願いしてしまった。

日光兄さん、通訳でお世話になったソーヤー海くん、ほかの皆さんと、農園作業を手伝わせてもらったり、お茶をしたり、ゆっくりと過ごした、そんな時間の一瞬一瞬もいとおしい。


最後のランチのときに
「現実とのギャップが大きくて、これをどうやって続けていいのか分からない。」という声が、若い人からよく聞こえてくる、ということが話題になった。

プラムヴィレッジも現実なんだよ。と海くんは言った。

ひとりひとりの想いが、現実をつくっている。

わたしが日常を過ごす日本という場所もそう。
これが普通、これが大切、こうあるべき、という一人ひとりの想いが、この現実をつくっている。
そしてそれは、幻想かもしれない。このことを、日本の地を離れて、ありありと感じた。

プラムヴィレッジも,一年もいれば日常になる。それは日本にいるのと本質的には変わらない、ということを日光兄さんは言っていた。

(これについてのさらに深いお話は、海くんのRadio Activeで聴けるということ。楽しみだ。http://tokyourbanpermaculture.blogspot.com/…/la…/RadioActive)

そう、きっと、どこにいても、何を自分のなかに持っているか、なのだと思う。

どこにいようと、「今ここ」を我が家とできるか。


帰国した翌日から仕事が始まったのだけど、この最後の語らいのおかげもあって、ふんわりと馴染んでいったように思う。これまでの自分のふるまいは、マインドフルじゃなかったな、という気づきとともに。

1月6日に気功の練習会があり、最初に年末年始にどう過ごしたかを皆が一言ずつシェアしたとき、わたしは「しあわせです~」と言っていた。
それまでのわたしなら、そうそう口にしなかった言葉だ。自分でも驚く。

happiness is so simple, right?

帰国して数日経った今、あの10日間で、ここ数年の葛藤や、そのなかでもいろいろと大切なものを失った去年、硬くかたまってしまっていた心と身体が、少しずつゆるみ、ほどかれていったのだ、と気がつく。

とてつもない、大きな癒しが、実は起きていた(いつも気づくのが遅いんです)。

この10日間は、わたしには、今このタイミングで、本当に必要なことだったのだと思う。

本を読むのでは分からなかった。日本での一日体験でも分からなかった。その環境に、全身で浸る体験によって、細胞ひとつひとつにしみ込んでいった。


変容、なんていうと大げさな感じがするけれど、そういってもいいんじゃないか、と思う。

ブラザー・ファップトゥラック(法択、別名ポテト)は、リラックスしていないと、マインドフルにはなれない、と言っていた。

リラックスと愛がなければ集中ではない、とタイ・トゥートゥアンは言った。

シスター・アナベルは、
Relax, Concentration, Contemplation, Insight
(リラックス、集中、深く観ること、洞察(智慧))
これらは、ひとつずつ、自然に起こるものなのだ、と言った。

このピースフルな環境のなかで、安らぎ、リラックスすることができて、ようやく、マインドフルネスの「いろはのい」を受け容れられるところに来たのだと思う。

これから、心悩まされる出来事や、悲しみや怒りに出会うこともあるだろうし、マインドフルネスがフォーゲットフルネスになってしまうことも多々あるだろう。


だからこそ、初めてのプラムヴィレッジでの体験を、今ここに記しておこうと思う。ここで何があったのかを忘れないために。

「一瞬、一瞬をエゴで曇らせない」

たくさんの素晴らしいお話を聴いたり、ふれあいがあったり、超カッコいい般若心経チャンティングなど、心に残る場面は本当にたくさんあるのだけど、最後の二日間のどこかで聞いたブラザー・サンライトのこの言葉が、今、わたしには、最強のマントラになってる。

(この記事は2019年1月9日に書いたものを少し修正しています)



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