止めろ2。
短歌を、一言でいうか。
うーん。西洋的な言葉でいうと、まあ、認知。とか。把握。
っていうね。
でも。東洋には。もっといい言葉があって、みんな歌を詠む、っていうんだけど、把握が一番近いのかな。それを、自分で、別のものに見立てる。みたいな一瞬の動きのことを言うんじゃないかと俺は思ってる。
見立て。
だよ。
見立てる、っていう言葉、がなんであるのか、っていうのを、直感で日本人はわかるんだよね。
なんか、今のイメージでいうと、たぶん、札遊び。
トランプとか。
絶対子どもの頃やるじゃん。
あれに似てる。
短歌をカードゲームにしようというのは、めっちゃ間違ってないの。
短歌そのものの把握として。
それ、一瞬、把握して、別のものに見立てて。て、出す。
みたいなスタイルってあるじゃん。
それが一番、短歌に近いのかな。
見立て。っていう言葉が、すごいイメージに合うんだけど、ぱっと日本の伝統文芸である短歌には、見立てとか。日本らしい表現が似合うんだよね。
一瞬で感得するのが望ましい。
って誰かが言ってて。感得。はスゴイいい言葉。
感受性。
っていうじゃん。
感じる。んだよ。
観。
もあるって。
それをいろいろな、感じて想ったら感想でしょ。
その見立てをみて、いいかわるいか、を見て解るかが、見解だよ。
比喩はオーケーみたいな話よ。これ東洋の中国由来の言葉なんだけど、
で、日本にない原文の言葉を翻訳する過程で、どんな喩かを漢字で訳しだす時点で、詩人は日本にない概念を、輸入する過程でいろんな喩をいおうとするんだけど、みんなぎこちなくて、だめなのよ。
吉本さんとかと岡井さんが何を話してたか一瞬で、わかんないんだけど。
だれかが短歌的喩っていいだして。
んーーー。
みたいなのは、短歌をやってる人ならわかるの。日本人ならみんなわかる。
短歌のような喩って、それ短歌じゃん。
うわー、だっさーーーー。
日本人はよく
だせえ。ていうじゃん。
そのいみって、江戸っ子が、粋だね。っていうのとすごい似てるんだよ。
いまだと、通、って言葉があって。知ってるね。みたいな。
食通。
とか。
わかってても言わない。ていうのを、みーーーーんな。
やってて、そいつの良さとかを言うのを、通とか粋で表現する、これを逆に英語にトランスレイトできるんですか。みたいな話だとおもうんだよ。
日本の把握って、日本語の美しさにすごいつうじてて。日本人って動作しかなくて。動作をいう言葉ってめちゃくちゃ多様なんだよね。
俺は、「把握」だけぎりぎり訳せるかな、みたいな意味で使うんだけど。掴む。これは、いろんな意味。まず、把握するんだよね。手に取る。
で。それを見る。
そして、別のものと交換すると言うか、今、ゲームのトランプの話みたいな感じで、別のものに見立てて言う。みたいな。
其の動作を、見立て、とか。いうじゃん。
別のものに言い換えるでしょ。言葉で其の言葉をどういうふうに置き換えるかっていう見立てがそもそも遊びなんだよ。
だから、喩が嫌いとかじゃないんだよ。
喩がいろんなものに変わる可能性を見立てなれてる。
だから、文語的な把握がすごい多様っていうか、象徴性が生まれる。
さっきの王の話みたいに。
詩人はさ、それがどういうモノなのか。ということの流れを漢字で言いがちだから、すごい難しそうになると言うか。ダサい。
詩人の漢字がダサいのは、日本人はどう把握したか。を説明しないんだよ。西洋ではすごいどうみたかを説明したいんだよね。
日本はもともと、掴んでて。別のことで言い換える、みたいな作業は、なれてる。
短歌がそれに立脚してるのは俺はそう、見立ててる。
って話。で。
見て解る。とか見解。
感じて想う。とか。感想。
そう。心の中の何も言えない動作をそもそも日本人って自然に漢字にしてんの。
大辻さんはすごい一流の理論家なんだけど。永井さんをいうときに、すごい哲学の話するじゃん。
一点固定した目線が近代的な視点みたいな。でそこからゆらゆらみたいな流れを言うのが日本の視点の移動とか。
それは、すごいなんかかろうじて言えてる感じなんだけど、
やっぱり哲学的なもののみかた。感じ方。
だよなと想う。
日本には備わってるのよ。もともと。
文学が、ある種楽しいというのを、理論で言わなくても、別に、みんなやってるんだよ。
特別なことしなくていいの。置き換えとか。言い換えとか。
あなたやってるから。
ほら。
で、ここからが、すごい複雑なんだよね。
さっきの品とかの話になるよね。
で、それをジェンダーとか、フェミニズムの言葉でなんか言うんだよ。
ダサい。
致命的にダサいのよ。
女性らしさって、女性にこうなれっていうふうに言ってるんじゃないじゃんん。
もともと備わってるものを、たとえて、こうだよねー。感じで、備わってるものをいってるだけじゃん。らしさって。
だから、感じ方とか見方を、人にやれと言われて、変えられない。
坂井修一さんが、「器」に女性を例えた歌があって。
アカリウムにタカアシガニを見てゐしはいつかだれかの子を産む器。
見立てなんだよ。
備わってるよね―。みたいな話なんだけど。
この器っていう形容が許されない。
っていう話なの。
大森さんがすごい返歌してるんだよ。
産めば変わるみたいなのを許さない。わたし陶器なので。
みたいな。
美しいよね。陶器だって。
でも、器にたとえることを。産めっているんじゃないじゃんみたいな。
そうせよ、っていうんじゃない。主義じゃないの。それ。
イズムじゃないの。
備わってるの。女性らしさとして。
だから、短歌怖いんじゃなくて。俺が特殊なんじゃないんだよ。
みんな、瞬間で感得して見切れるんだよね。
見切りをつけるっていうじゃん。
おれが、こいつダメ、っていうとき。上から言うんじゃないんだ。
そのひとのことを言い得るじゃなくて。
俺の見切りだから。
ここまで様式化して言って、わからんない人とか、嫌いな人は、多分他のジャンルやったほうがいいんじゃね。て話。
すごいい言葉ある。
女性を器っていうのはちょっと今ださいんだったら。
別の例えしてんじゃん。日本人。
色。
色気。とか。
何色。ってきくのって、女性らしいじゃん。
めちゃくちゃ。
で、またこれもグチグチ言い出すやつがいるんだけど、幼稚園で男が水色で、女が桃色なのをけしからんみたいなやつ。だよ。
それは、日本の色がどのくらいあってそれが多様なのかっていうのを、いえないんだよ。
で、たぶん西洋でそういう色を性で例える概念がないだよ。カラーを。日本だけの発想なんだよね。
で、だから、子どもたちに選ばせればいい。嫌だったら。
でも、色を選ばせるのは、すごい大変で。
良いサイトあるんだよ。
日本らしい色の美しさっていうのを、みんな言えないんだよ。
其の多様性を。ここまで色を細かく言える民族ってすげーな。みたいな話をすると、なんかそれ認めないとか。じゃないから。
主義で認知するんじゃないんだよね。
備わってるものを、承認するだけ。
みたいな話。
おれ、短歌やってて、すごいめちゃくちゃ色の歌がいっぱいあることに。
俺知らないんだよね。
色の多様さとか。
うすいろ。
とかそもそも何色なん。
それ知ってるの岩尾さんとか、広田さんとか関西の女性なの。
大森さんもちょっと知ってるかな、
その陶器。何色ですか。
言えるーーー?
あなた、そもそもそれ器っすよ。
みたいなね。
だめなんだよ。大森もまだわかってないんだ。全然だめ。
俺遊んでるんだけど、でもフェニズムを批判してるんじゃないんだよ。
イズムを、どう見立てるか。
を、問うてるんだよ。短歌で。
それを岡井隆はめちゃくちゃうまくできるんだよ。
意志をいえるんだよ。
あなたどういう態度で望むんすか。みたいなことを言えちゃうのがすごいのよ。
だから、もうここまで様式化して言って、その手付きをうまくいえないやつは、ダメだ。っていうのを。
俺は遊んで言うんだけど、ダメって。
それが許されないんだったら。
やっぱりみんな、何を見立てていうのかっていうのを、感じたほうがいいんじゃない。
永井さんはすごいものに沿って、まあ即物的に言う人だから。
それは、日本の多様性を奪うって話をしてるんだよ。
一個が一個に対応するんじゃないの。
その把握がダサいっていうことを、
堂園さんとか五島さんが言っちゃってて。
めちゃくちゃいい歌あんのね。
美しさのことを言えって冬の日を輝く針を差し出している
これはむちゃくちゃ、どう見立てたのか、感得するかはむずかしいよ。
あなたの感想は聞かないけど、どう感得したのか。だけ教えてくれ。
一言で言うよ。
この歌がそもそもあなたがどう言うかに対する「問い」なんだよ。
指示なの。
言えって言ってるんだから。コレめちゃくちゃ短歌的だよ。
で、冬の日の輝く針。
って。これをどういうか。言えって指示してる歌。なの。しかも。美しさをいえ。それが短歌なんだ。短歌への問いかけなんだ。見立てて返してくれてことなの。
だから、あなたはこの歌を感得したイメージを、言葉で言うんじゃなくて。歌で返してくれ。
が正解。
で、五島さんにもめちゃくちゃいい歌あって。
蝶の覚悟をわかる歌。
誰か教えてくれ。蝶が羽根を伸ばす覚悟のことがわかる。
永井さんは見立てはそもそもしないから、スゴイ即物的に、おれはこうするよってことを態度でいうんだよ。
だから、なんか。穂村さんが絶賛してて。
月をみつけての歌。
月いいよね。
じゃあまたね。って、すごい態度なんだわ。永井さんの。
それを、永井がスゴイっていうんだけど。
おれなんか、永井はそのことしか言ってなくて。ダメなの。
堂園と五島が上なの。
おれらは永井の態度をきくんじゃなくて、
堂園の見立てとか、仕掛け。
言え。ていう。
すごい仕掛けてるんだけどあなたに、ていうのを。
すごいとおもうわけ。
うわマジで。これ俺歌で返さなきゃいけねーじゃん。みたいな。
土岐さんの第一歌集はわかったひとがすごいいないんだけど。
実は存在を知らない人がいるのよ。
書肆侃侃房じゃないの。
それは史上初なの。
電子書籍なんだよ。あの年代で。
全部光森裕樹さんが仕掛けて、サイトで閲覧できるようにした。
ブルーベリーみたいなタイトルの歌集を。
評したんだよ。彗星集で。土岐さんの前で。
おれ、その印象っていうか、その史上初に、土岐がすごいというより、
光森さんすごいな。
っていうのを。想ったわけ。
土岐、大森の評価は俺はそれ全然あがらないよね。
仕掛けたのは光森さんだから。
おれんなかで、光森さんの評価だけめちゃくちゃ上がってて。
お互い光森さんと俺だけわかってる。
光森裕樹という歌人の凄さを、みんな忘れたのか。
この世代はすごいんだよ。
仕掛けることができんの。メディアで。電子で。
把握もすごい。
俺と堂園の二人で、空の壁紙を、ふたりでやったのよ。
さまよえるで。
みんな、なつかしい。
あの人の把握はすごかったよ。
六面のうち三面とか。
バスが有る歌とか。
おれがさ。別に複雑なことをやってないのわかる?
でも理解してるでしょ。
穂村さんより。
それはセンスなの。
光森さんが、すごい世界を工学的に把握してるんだよ。
あかねさすグーグルアースとか。
コレは叶わん。
見立ての凄さで、世界を言い換えられないよ。これからの時代の到来を予見できないよ。
って話よ。
光森裕樹の凄さを語れるのは、石川さんと俺の間と、たぶん花山さん忘れっぽいから、理解してくんないよ。
で、この見立てを説明できた俺を評価して暮れた光森さんが、
俺がブログでめちゃくちゃストロベリーカレンダーを探してるのをみて。
俺にくれたんだよ。
西田さんのストロベリーカレンダーの初版本をだよ。
えええええええっ。って。
あなたいいのこの価値すごいよ。って。
光森さんニコニコしながら。
あなたにあげるっていうの。
そういうことなの。
解るのみんな。
見立ててるってことを感得できるひとが同世代にいないので、
みんな去ってくのがかなしいんだよ。
俺は二冊の本を持ってる。
ひとつは、光森さんがくれた、西田さんのストロベリーカレンダーの初版です。
塚本さんの。書肆季節社からだしたやつ。
もうひとつは、サイン入りの新響十人だよ。
筆頭は、石川さんで「きのこ」のサインが入ってて。次生沼さん。カランさんと笹さんのサインがあるんだよ。十人分集めるつもりで、松村さんとかにも頼もうと想ったんだけど、忘れてて。
二人は歌やめててみたいな。
島田さん。
そうなんだよ。島田幸典さん。
で。俺の文学的な出発。初めて実物であった歌人って石田さんなんだよ。
石田さん。石田ひろしさん。
島田さんの牙の先生。酒の席で。
岡崎さんとふたりで、面前に座らせられて。
俺歌が何もわからない状態で、石田さんのこと。大会で初心者が、石田さんの前にすわったことの意味なんだよ。
で、俺は石田さんを知ってるのは、穂村さんをだめ、っていうのを。
一瞬で感得して。覚悟をいっていったことなんだよ。
俺は、その面前で腹を切るみたいな態度の話で、穂村さんが震え上がった話は俺を知ってて。
で、俺は初めて書いた文で、書け。っていわれるの。
牙に。いきなり。
残ってるのか島田さん。俺の書いた文。
俺はその時、穂村さんをめちゃくちゃ擁護して。
ごめん石田さん。
俺はなんていったか。
穂村のよさがわからないなら俺が腹をきるって石田さんに向かって書いたの。
その男的武士の凄みをだれもわからなくて。
ああ、石田さんがわかってないこいつ。態度をこんなかんたんに振りかざすもんじゃないよ。って。言われて。返事なかった。
初心者だから。
結果的に石田さんが正しくて。
そうなんだよ俺の見解は。穂村は見立てを見切る能力がない。
それはおろか。
仕掛けることの意味がわかんない。読者に。
そして、
仕立てる、とか仕上げるとか。もう和裁とか洋裁の話なんだけど。
凡人はみんな推敲っていうんだけど、歌人は推敲なんてダサくて言わないんだ。
ますのさんが一生懸命仕立ててるの歌を。仕上げてる。
その凄さを、穂村は、見て言い換えるしかわかんね。
枡野と穂村を並べたら、枡野さんが絶対上。
仕立て方がめっちゃスゴイ。
仕上げ方。
見立てを見切るのも、コレは好みかもしんないけど、永井さんの態度表明っより五島さんの覚悟とか、堂園さんの仕掛けのほうが、上なの。
そのエピソードを知ってるでしょ。牙の人なら。
穂村がだめっていうのは、俺が言ったんじゃないんだ。
石田さんがいったんだ。
で、その人の前で、俺初心者で。
石田さんが歌集あげるっていうだけど、石田さんから返事ない。まだ。
やっぱり石田さんが正しいんだと思うよ。
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