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忘れ得ぬひとびと

いろいろ関連して思い出すことがたくさんあるけど、ちょうど「未来」でも回顧的な企画をやっているらしいし、「麗しい師弟関係」みたいなのを
体現している「未来」にいた歌人たちも知っている。

自分がこれから発展させたり、がんばらなければいけない短歌会の悪口ばかり言うのはとても気が引けるので、やや脇道にそれるけれど、ぼくが入会したての2006年頃の未来に、一体どんな歌人がいたかを思い出してみたい。「結社が悪」「師弟関係が悪」というイメージとはまったく違う、当時の未来短歌会の雰囲気をぼくは感じ取っている。お二人、物故された方の名を出してちょっと歌の回顧的な話をしたい。

松村あや先生


松村先生は「幻桃短歌会」という岐阜の地方結社というか、「未来」ともゆかりの深い結社なのだと思う。かの吉田漱さん(未来の表紙の絵を書いている)も「幻桃」の人だったらしいから、その関係は浅からぬものだったのだろう。未来は今の感覚だとわからないんだけど、たくさん「結社内結社」というのがあったらしく、細川謙三先生の「楡(エルム)」とか、ゆかりの深い方からいただいて私が保管している結社誌もある。

松村先生をなんで私が知っているのかというと、私が野口あや子さんの『くびすじの欠片』の批評会に参加しに名古屋へ行ったからである。そのときの松村先生の態度があまりにも衝撃的だったので、いまでも深く脳裏に焼き付いているのだ。

野口さんは十代から歌をやっていたが、もとは幻桃の歌人で、「短歌研究新人賞」受賞をきっかけに未来へ転籍したことは、私でも知っている。そしてその第一歌集の出版の批評会の席で、松村先生がどのような態度でいらっしゃったかというのを私は忘れることはできない。

松村先生は華奢な方だったけど、最後のあいさつのとき、あと懇親会の席と、とにかくひたすらに「野口をよろしくお願いします」と頭を下げていたのである。私にまでテーブルにこられて頭をさげられて「あ、いやいや、私まだ入会したてのひよっこで」と挨拶を返すのが精一杯だった。

そこには弟子を思う師匠の気持ちが溢れんばかりに滲みでていて、加藤さん「よろしくおねがい」されるなんてすごいなあ、と思っていたけど…。

いまどうなってるんですかね…。

いま「よろしくお願い」されてしまった選歌欄の一員だったものとして野口さんの身を案じているけど…。不義理をするとあとが怖いなあと思っている。

2018年に松村先生は亡くなられたが、それまで私のようなものにまで、律儀に歌集をお送り頂いていた。

夜の川暗く流るるその腹に万の魚を抱きておらん 

松村あや「あらせいとう」

見事な写生+αの歌である。夜の川にはたくさん魚がいるのだろうけど、それを見ているのではなくて「川が魚を抱いている」ととるこのやや幻想っぽい写実の感覚が松村短歌の信条なのだろうと思う。

あと松村先生の時代では「植物の表記がカタカナ」という「納得はできる」んだけど、当時の近藤流なのかなという歌も多くある。トケイソウなら「時計草」と書いて漢字のイメージを借りたり、カラタチは「からたち」と書いてひらがなにしたり、なんとなく文字のイメージを借りようとするのがぼくの感覚ではあるけど、松村先生はそんなことはなさっていない。ちょっと基準がわからないけど、植物を書くとき漢字にするかカタカナにするかひらがなにするかの選択の基準が、全然わたしたちと違うのであった。

カラタチの新しき刺にてのひらを押せば生命線のあたりくすぐる
湿りもつかかみ野の土黒々とニンジンを播く長駆の青年

松村あや「あらせいとう」


有名・無名関係なく「お世話になった人」を忘れてはいけない。ほんと頭を下げるって大変なことだと当時のぼくは深く思った。

米田律子先生


米田先生はぼくがはじめて工房月旦を担当することになって、たまたま担当欄に割り当てられたのだけど、「露禽集」という選歌欄を岡井先生の一個前に持っておられた。初読、「あ、これは俺が変なことを言っていい欄じゃないな」と思った。なぜなら、その門下の方があまりにも歌がうますぎたためである。

一度も意識してお目にかかることはなかったけど、選歌後記含めてあの当時は未来をよく読んだ。「決して短歌は口語短歌だけじゃないぞ」ということを隣で見ながら歌を作るのだから、入会当時のぼくは甚だやりにくかったと思う。

そんなことを思い出していたらたまたま古い「短歌研究」がぱらっと落ちてきて、巻頭にいきなり米田先生の歌があったので驚いた。

門(かど)鎖(さ)して人影絶えし家に咲く萩の紅きに手触れにけり

秋の蚊を打つに思へば銃口に捉へて由なき人撃つに似む

「虫の音ぞ秋」米田律子「短歌研究」(2008年11月号)

びびる。これもう、いまピンと来ない人いるかも知れないけど、まず漢字の使い方がとても冴えてて、イメージがぱっとたってくる。

「門が閉ざされていて人がいない家」とかくとめちゃくちゃ散文的なんだけど、古語と漢字を使うだけでいきなり歌の格調ががらっと高くなる。

そして見立ての眼目は「紅い萩」である。これが冒頭にぽんとあったら、読者には「萩」という花がどんな花かわからなくても、「紅」という色の印象が鮮烈に残る。こういうのを自然とできる歌人だ。

二首目に選ぶ歌も迷ったけど、秋の蚊というのはよく「哀れ蚊」というんだけど、ちょっと季節に遅れた蚊を手で叩いたのである。その感じから、銃口をむけて人を撃つ様を感じ取った。季節感からここに飛ぶのかというくらい飛躍はあるけど、文体はしっかりしている。

歌柄で言えば、ぼくは岡井先生の次だと米田先生が一番好きかも知れない。

・季節感
・漢語のかっこよさ
・歌の姿の良さ

これはもうかなわないなあと思っている。心が整う歌であった。

米田先生は2019年、つい最近までご存命であったが亡くなられた。
京都にお住まいとのことで、一度ご指導を仰ぎたかったが、叶わぬことであった。

今回はこれで終わりです。

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