11/22文学フリマ東京開催!

おめでとうございます!

拙作ながら新作を作りましたので、サンプルを載せます。ネットを販売行う予定です

『  が死んでも』950円

Epilogue:月下の意識


目が焼けそうだ。
そう思うほどに鮮やかなマゼンタ色の骨を指でなぞる。しかしそこに温度は存在しない。勿論、焼けるというのは比喩でそんな眼球はこの世界のどこにも存在しない。
その骨に触れるためホルマリンに  の手が浸かっている。しかし骨を撫でてもさざ波一つ立たない、音もしない。ただ背骨の凹凸が  の人差し指にこつこつとぶつかる。その度に  の細い指先に淡々とした刺激を与えるだけだ。
の触っているそれはピンクサファイアとアクアマリンを削って作られた魚の形をした芸術品のようだ。骨と内臓を宝石で作り上げ、ホルマリンに漬けられたようなそれらは皆同じ顔をして、行儀よく並んでいる。雪のように柔らかな埃の積もった木製の戸棚の中で同じような骨を晒しながら。
実際、それはかつて生きた魚であった。今は透明な身の内に、シアン色の内臓とマゼンタ色の骨を有している。生きた宝石のような、生物が持てるはずもない体色。人間にとっては毒である化学薬品で無理矢理染め上げられたその色は、えもいわれぬ美しさを放っている。
「綺麗」
声は空気を震わせることもなく、留まった。骨から手を抜いて透明になったその身を指の腹でゆっくりと辿る。神経頭蓋、背鰭、脊椎骨、担鰭骨、尾骨、尾びれへ。
これらは着色された天然石とはまた違う。毒々しさと残酷さが薄皮を隔てて横にある、赤黒い血や黄色い脂肪薄桃色の筋肉と肉薄している。空中綱渡りのように一歩間違えれば気持ち悪さへと落ちる。そうすれば美しさも何もないただの標本にしかならなかったはずなのに。
そうでなかったばかりに、硝子瓶に閉じ込められて腐ることもないその体を晒し続けている。本来は生きたものが死んで肉が腐って土へ還る。その道理に反している故なのか、目が離せない。彼らは土ヘ還れない。
それら全ての要素がこれに美しさを感じさせる原因であろうか。
が見ているのは所謂、『透明標本』と呼ばれるものである。
生物の骨格を立体的に、微細な細胞を傷つけないようアルシアンブルーとアリザレンレッドで染められた骨。そしてトリプシン、水酸化カリウム、グリセリンを使い透明になった筋組織。
骨格研究の手法として確立された『透明標本』は、鉱物のように静謐で幻想的な美しさを持っていると  は思う。
の手は瓶をすり抜け、戸棚の硝子扉からするりと外に出た。まるで瓶も戸棚もホログラムであるかもように。だが確かに瓶も戸棚も質量を持って存在し、月明かりの下で影を伸ばしている。
ただ  は影を持っていない。それは  から永遠に失われたものだ。
は思う。自分の肉は焼けた。体は花の死体と、共に棺に詰め込まれ陶器を作る釜のような場所に入れられた。そうしてきっかりニ時間、高温で熱されて脾臓も膵臓も大腿筋も眼球も大脳皮質も全て水分の結合がなくなり、ただのCになった。そしてカルシウムの塊が残った。
つまり自分の血が通っていた肉の部分は透明になったようなものだ。もうその世に存在せず、誰にも視認できないのだから。でも骨は煤まみれにって、高温で焼かれたせいで骨本来の美を失ってしまった。モロモロと崩れる骨も焼かれすぎて消えてしまった小骨もあった。それを見てなんだが汚くて少し残念に  は思った。
死んでから不思議なほど  に感情の起伏がなかった。脳が死ぬと同時に感情も消えてしまったのかもしれなかった。だから自分の遺骨を見ても怒りや悲しみはなかった。ただ、自分の骨を、完璧に見る機会を失ったのは惜しいと思った。
突如、コツリコツリと警備員の革靴がリノリウムの床を規則正しく叩く心地よい音が響く。近づいてきた足音は標本の置かれた実験室の前で止まる。そして人工的な白い光で室内を照らす。その光は  を通り抜けて戸棚の瓶詰め達を照らし出した。そして部屋に何も異常がないことを確認してから、警備員は去って行った。
暗い中で照らされた骨は美しかった。自分の骨もこんな風に美しくして飾って欲しかったと  はぼんやりと思う。けれどすぎた願いだ。もう届かぬ願いだ。
人は生き返らない。
……せめて手だけでもピンクサファイアの様に、こうやって飾って欲しかった。そうすれば死んでも存在が確かに認識され続けるのに。忘れられることはないのに。
そう思いながら  は目を閉じた。決して眠れることなどないけれど。この夜は一人で過ごすには長すぎる。
   は不意に思い出した童話の一説を口ずさんだ。偶然思い出したそれがなんだか滑稽で  は少し口角を上げて笑ってしまった。

「『Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall.
Four-score Men and Four-score more,
Could not make Humpty Dumpty where he was before.』」
(ハンプティ・ダンプティが塀に座った。ハンプティ・ダンプティが落っこちた。八十人の男にさらに八十人が加わっても、ハンプティ・ダンプティをもといたところに戻せなかった)
第一章:透明な歯車


「ご臨終です」
医師の声を聞いて瑞稀は自分が本当に死んだのだと思ったが、それすらもどこか他人事じみて聞こえた。
テレビドラマで心優しいヒロインが死んだ方が胸にきた。良く知らない他人の死だったけれど。
瑞稀が死んだという事実は本能的な部分が確信を持って訴えかけるから、死んだ瞬間からもう受け入れていた。瑞稀の脳細胞が元通りに動かないこと、呼吸が再び自発的に行われることはないこと、心臓が脈打って全身に血液を送ることはもうないこと。
全て予定調和であると何故か瑞稀はとうに知っていて、受け入れていた。
純文学によく出てくるような喜怒哀楽に欠けた人間のごとく、何の感慨も湧かなかった。肉体がないからだろうか。脳が人間を支配しているとはよく言ったものだ。自分の死体を見ても、大きな人形が仰々しくベッドに横たえられているようにしか思えない。
暴力的で金で全てを解決できるという考えを持っていた父や、守銭奴で意地が悪いから嫌いだった継母が泣いていた。仲が良くて度々飲みに行っていた友達も何故か病院に集まっていた。ある奴は肩を震わせて泣いていた、嗚咽を零している奴もいた。
「瑞稀……なんでこんな……っ」
「先輩…………っ」
「うううぅぅぅぅ……」
一人一人が全く異なった嘆き方をしていた。それを見ても  は何も感じなかった。皆、自分の死体を見に来て泣いている。瑞稀はそんな事実しかなぞれなくなっていた。死んだときに大切なものも置いてきたような気がした。でもそれが何かは今の瑞稀には分からなかった。
 自分の終焉など最早どうでも良かった。自分が終わっても世界は正常に回り続けている。この世界は透明な歯車に支配されている。その一つが欠ければ埋め、壊れれば交換する。そうやって世界は上手く成り立っている。
自分も透明な歯車だったのだ。
それを確認することが出来て瑞稀は一種感慨深かったぐらいである。
怒りも悲しみも虚しさも心の内になかった。まるで自分がカメラやマイクといった観測機器になったような気がした。
いや、観測機械なのだ。今の自分はもはや観測機器。……否、人であるから観測者だ。
他人や物に影響を与えず、他人や物も自分に影響をあたえることはできない。それを観測者と呼ばずして何と呼ぶのだろう?瑞稀は自分の死体の横に腰掛けてそう思った。腰掛けてもシーツは皺にならないし、音を立てて軋むこともない。
「人は呆気ないな」
瑞稀はそう呟いて目を閉じた。

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