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心動かされる体験が溢れる世界だからこそ

珍しくテレビもYouTubeも流さずに
癒されたい時によく聴いているスピッツを流してごはんを食べたある夜

豆乳鍋のスープの後味に、生姜が効いていておいしい...!
自作のお鍋🍲にちょっと感動。

その時ふと、
もしかしたら普段、こういう些細な感動に気づけていないことってあるんじゃないかな
と感じました。

食事の時間は大事にする派なので、
いつもおいしいなあと思いながら食べてはいるのですが
メディアを流しながら食べていると、
メディアから与えられる面白さや感動に飲み込まれ
ここまでちゃんと「おいしい」という感動を噛み締めたり、言葉にしたりしていないんじゃないかと思ったのです

昨今は体験価値に目が向けられていることもあり
当たり前に感動体験が溢れている。
「泣ける映画」と評された映画なら大体泣けるし
イルミネーションを見に行けば綺麗だなと感動できるし
ディズニーに行けばワクワク感を味わえる

そんな今だからこそ、
誰に与えてもらっているわけではない、
日々の中で自分が心を動かされている瞬間にもっと敏感であるべきなのではと思いました。

今日も香水が良い匂いだとか
お鍋の風味が良いとか
この本のこの言葉が素敵だなとか

密かに動いている心に気づけていない
気づこうとできていないのがもったいないのではないか。

自分で気づいて見つける感動と、感動体験から得る感動との差がきちんと整理しきれていないのですが、この気づきは一旦定点観測として書いておきました。

ここまで書いて、感動体験の中でももう少し分解できる気がしてきました。能動性と受動性的な...ああ一旦もういいや😌笑

とはいえ私はアイドルのライブとかよく行くので
わかりやすく感動体験を享受している1人だとは思うんですけれども...

かく言う私はいろんなことを一気にやってしまう癖があり、そのせいで自分の認知からこぼれてしまっている感動があるような気がします。

もう少し目の前のことにゆっくり目を向ける時間も大事にしないとな、と反省しました(-_-)

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