見出し画像

【エッセイ】窓辺のハル

  
 私は、映画が好きだ。
 公開が待ち遠しい映画のチケットを買う。席をどの辺りにしようか迷う。上映時間より少し早く映画館に着いて、売店に並び、カフェラテやポップコーンを買う。上映開始十分前に入場して席に着く。場内の明かりが消えて、近々公開予定の映画の予告が流れる。この映画は面白そうだから観にいこうかなと未来の楽しみが生まれる。
 そして、本編が始まる。
 それは時に、人間の一生を二時間程の短い時間にまとめたり、人類が到達していない何光年も先の宇宙へ旅をしたりする。人間が考えうる全ての夢や可能性を垣間見れる。良い映画に出会うと、意識や肉体が物語の世界へと入り込み、不自由な現実から解放されて感動を覚える。
 私は、そんな体験を得られる映画が大好きなのだ。
 
 二〇二三年十一月六日。
 CG技術を駆使した大作邦画を観るために、新宿歌舞伎町にあるTOHOシネマズ新宿へ行く。
 売店でカフェラテを買ってから、上映開始十分前に入場して、通路側の席に座る。しばらくすると、会場が暗くなり、巨大なスクリーンに、映画の予告が流れる。
 予告が終わって本編が始まったかと思うと、暗闇の中、スクリーンの明かりに照らされた一匹の猫が通路を歩いているのに気づく。その猫は、立ち止まって、私を見ながら一度、鳴く。十二年間、何度も聞いていた懐かしい鳴き声だ。彼の事を抱きたくなる。彼がいなくなる訳ないと現実から目を背けたいと思う。
 彼との最後の日々が、鮮明によみがえる。
 
 彼は、東日本大震災が起きた二〇一一年に我が家の家族になった。
 元々「クー」という名のアメリカンショートヘアの女の子を飼っていたのだが、ある日、母親が二匹の子猫を連れて帰ってきた。クーを含めると三匹になる。三匹も家で飼う事が出来るのかと戸惑いながら、母にどうしたのか尋ねたところ、職場の同僚が関西へ旅行か何かで行った際に、捨てられていた二匹の子猫を保護したらしい。その同僚は、既に複数猫を飼っていため、同じく猫を飼っている母が引き取れないか相談をされて連れて帰ってきたとの事だった。
 三匹になって一体どうなる事かと心配だったが、すぐに可愛らしい子猫の虜になった。名前は、妹がインターネットで猫の名前人気ランキングを調べて、上位にあった「ハル」をキジトラの男の子に、「モモ」をシャムミックスの女の子の名前にした。
 ハルとモモはとても仲が良くて、よく一緒に寝ていたり、じゃれて遊んだりしていた。本気の喧嘩もよくしていたが、すぐに仲直りをして、また一緒にくっついて寝ている様子を見ては気持ちの切り替えの早さに関心をした。
 良い事ばかりでもなくて、ハルが二、三才の頃、一度マンションの部屋から脱走して、何故か下の階のベランダで鳴いている事があった。外の世界への興味から冒険したは良いが、見知らぬ世界が怖くなって動けなくなったのだ。そのベランダの部屋は空室になっていたため、隣の部屋の住人に協力してもらい、救い出す事が出来た。
 時折こんなトラブルが起こりつつも穏やかな日常を送っていた。
 そんなハルが十二才になり、急に食欲と元気がなくなったのが、二〇二三年七月下旬の事である。
 私は既に実家を出て東京で暮らしていたが、月に一度はハル、モモ、クーの様子を見に帰っていた。七月下旬にも実家に戻っていたのだが、昨日くらいから食欲がない、いつものドライフードを食べないと母から話があった。ハルの表情を見てみると確かに元気がない。しかし、よく歩いているし、「ニー」と猫の鳴き声を真似して呼ぶと、普段通り太い鳴き声で返事をしてくれた。猫風邪にでも感染したのかと楽観的に考えた。それは後に大きな間違いだと分かるのだが、とりあえず母が仕事を休んで一応通院する事になった。
 自宅に帰って、八月初旬に予定していた北海道旅行の準備を進めたが、ハルの体調が気になってきた。猫風邪だろうと思ったが、やはり猫が食欲をなくすというのは一大事である。しかし、これまで大病等せずに元気に十二歳まで生きてきたハルが、まさか命に関わることになる訳ないと自分に言い聞かせて、不安を紛らわせる事に努めた。
 
 八月初旬。
 北海道旅行の二日前に、母がハルの通院結果を知らせてくれた。
 腎臓病だった。最も恐れていた結果だった。血の気が引いて、頭が真っ白になった。
 病院で、点滴と注射を打ったところ、食欲が少し出てきた事、食べることで腎臓の値は良くなっていく事、現時点ではそれほど酷い状態ではない事。以上の話が医師からあったそうだ。
 猫の死因の第一位は、腎臓病である。
 治す術はない。
 ハルは、もうすぐ死ぬ。
 いやそんな訳はない。
 ハルが、死ぬはずがない。
 身体が不安と緊張で動かせなくなった。
 嘘だ。これは本当の事ではない。悪い夢を見ているのだ。と思いたかった。
 感情が溢れてきた。
 自分を制御する事が出来なくなった。
 母からは、明日も点滴をしないといけないとの話もあったので、私が実家に戻ってハルの通院をする事にした。
 医師から直接、ハルは今どんな状態なのかを聞いてみたかった。
 
 翌日の午後に実家に戻るとハルはいつもと変わらない様子で、私の部屋にある猫用ベッドで横になっていた。食欲が出てきたと言っても元気な頃と比べたら非常に少なく、朝にドライフードを少しとチャオチュール一本のみを食べた。
 ハルを通院させるためのキャリーは、常に私の部屋の床に置いてある。以前は、ハル、モモ、クーの誰かが通院した後、見えない所にしまっていたが、実家を出てから私の部屋に置かれるようになった。そのおかげで、キャリーを出す時の物音で病院に連れてに連れていかれると恐れていた猫達が、キャリーの存在に慣れていき、今では自らキャリーの中に入ってくつろいでいる事すらある。
 ハルに「大丈夫だよ」と声をかけながら抱き上げてキャリーに入れる。病院に連れていかれると察して嫌がり、何度も不安そうに鳴き声を上げていた。私はこの声を聞く度に、酷い事をしている気分になり罪悪感に襲われた。
 ハルが入ったキャリーを肩にかけて、動物病院まで十分程歩く。玄関扉を開けると迷い猫やインコの張り紙が三、四枚貼られていた。飼い主の気持ちを考えるとやるせなくなった。
 待合室のソファに座って、ハルの表情を確認したり、小声で名前を呼んだりしていると診察室へ呼ばれた。
 獣医師は、猫喘息と心雑音を持つクーを診てもらっている四十代後半くらいの女性だ。時に飼い主へ厳しい言葉をかけてくるが、それだけ動物の事を思っている証拠だ。常々、頼りになる獣医師だと思っていた。
 ハルに点滴を打ってもらいながら詳しく話を聞いてみると次の通りであった。
 ・腎臓の働きを助ける薬を朝晩飲ませる。
 ・吐き気等、様子に異常が見られたらすぐに電話で知らせてほしい。
 ・腎臓機能は二十%しか残っていない。
 昨日、母からは、それほど酷くはないと聞かされていた。しかし、腎臓の機能が二十%とは、かなり病状が進行しているということだ。積極的治療をする段階ではないのだろう。入院治療はせずに、通院での点滴や注射で様子を見て行くことになった。
 二日後には、北海道旅行が控えていた。 
 
 朝六時過ぎ、羽田空港。不慣れな搭乗手続きに戸惑いながら無事にJAL便に搭乗した。安定したフライトで一時間三十分程で新千歳空港に着陸し、JR快速エアポートで札幌へ向かった。予約していたホテルに荷物を預けた後、札幌市営地下鉄に乗って円山公園駅で降りた。
 目的地は、札幌市円山動物園。アジアゾウ、ホッキョクグマ、ゴマフアザラシ、キリン、そして私の大好きなネコ科動物のユキヒョウ等を見て、鬱々としていた気持ちが癒された。
 三泊四日の滞在であったが、有名な観光地やグルメは二の次で、おたる水族館、ノースサファリサッポロ等へも行って、生き物を主に置いた旅行となった。
 しかし、生き物を見ている時は気が紛れるのだが、ハルの事が気がかりで仕方なかった。
 母に連絡してハルの体調を確認した。点滴や服薬による効果が出ているのか、悪くはなっていないとの事だった。とりあえず安心はしたが、インターネットで「猫 腎不全 ステージ」と検索をすると平均余命、百日前後だとか、最後は痙攣発作で死ぬだとかの暗澹たる気持ちになる情報が溢れていて辛くなった。
 
 三泊四日の北海道旅行が終わり、東京に戻ってきた。
 ハルはというと、食の好みが変化して、これまで好きで食べていたドライフードを口にしなくなった。試しに別のドライフードに変えてみると、今の好みに合うようでよく食べた。
 医師からは、腎臓病の猫は食の好みが変化するから、人間が食べる物も含めて色々試しても良いとの話だった。
 とにかく体重を維持する。それが最も優先すべき事なのだ。
 その後もハルの様子を見ながら、ドライフードの種類をその都度変えたり、週に二〜三回程通院して点滴と注射をしたりする事で、腎不全と診断されてから十日程で食欲は以前の八割くらいまでは戻ってきた。実家に帰ってハルがご飯を食べているのを見るだけで感動した。もしかしたら、このまま持ち直して一年くらいは大丈夫なんじゃないかと希望を持った。
 
 八月中旬。
 ハルの体調は改善が見られて点滴の必要がなくなり、通院も週に一回に減った。ハルは、室内で生活してきたので、知らない場所に連れていかれるのを極度に恐れる。病院の診察室では、緊張のあまり身体を硬直させるが、処置の途中から診察台から降りたいと私に迫ってくる事もあった。それが気の毒で仕方なかったが、治療を続けなければ死んでしまうので通院させていた。そんな恐怖でしかない事が減るのだから、ハルのクオリティオブライフは向上するはずだ。体重は、六キログラム前半から四.八キログラムへと著しく減少していたが、良い方向へ向かっていると思っていた。
 
 九月。
 ハルの体調が維持出来ているため、獣医師から注射を二週間に一回の頻度に減らして様子を見ていくとの話があった。
 私はここで不安を覚えた。
 ハルにとって更に通院頻度が減るのは良いことかもしれない。しかし、一ヶ月近く血液検査をしていないし、発症当初に腎臓が二十%しか機能していないとの説明があった。いくら今、元気そうな様子を見せていても、進行した腎不全だという事に変わりはない。母と話し合ったが、結局、ハルの精神面の負担を考えて、二週間に一回の通院に変更された。
 
 十月。
 ハルの通院、注射の回数を減らす事に納得していない私は、二週間程、母と連絡を取らなくなり、実家に戻ることもなかった。
 久しぶりにハルの顔が見たくなり、十月中旬頃に実家へ戻った。玄関の扉を開けると、ハルは廊下にある椅子の上で横になって私のことを見ていた。顔や背中を触ると目を細めて喉をゴロゴロと鳴らした。
 母に、最近のハルの事を聞いてみると、体重が更に減っているが、食べる量自体は変わりなく、来週に血液検査をするとの事だった。
 自分の部屋で夕飯を食べていると、ハルが半開きの扉を頭で押し開けて入ってきた。狭い部屋に無理やり置いたキャットタワーを登り、窓辺前の高台に乗り移り、お気に入りの猫用ベッドに腰を下ろした。柔らかくて気持ち良いのか、間もなく微睡んで瞼を閉じた。
 この十二年、見続けていた光景だ。
 儚い日常の繰り返しに安心した。
 
 一週間後の十月二十二日に、母からハルの血液検査結果についての連絡がきた。
 腎臓の数値が悪化しているため、週に二回の通院、注射をする事になった。三日後の二十五日には、食欲が全くなくなり、つい数日前までよく食べていたドライフードを全く口にしなくなった。何かを食べて栄養を摂らなければ死んでしまう。チャオチュールを医療器具のシリンジに入れて強制給餌を始めた。
 ハルの介護を母一人に任せる訳にはいかない。すぐにでも実家へ戻りたかったが、二十六日から仕事で茨城県へ行きそのまま泊まる予定があったため、二日後の二十七日の夜に戻る事にした。
 
 二十六日の夜、仕事中に母から着信があった。
 明日、早めに戻って来れないかとの相談だったが、元々泊まり明けで普段より早く退勤する事を伝えると「助かる」と安心したようだった。しかし、私はとても心配になった。ハルの体調が非常に悪いから、母は連絡をしてきたに違いない。明日、一分でも早く帰りたいと焦りを覚えた。
 
 翌二十七日は、予定通り仕事を早く済ませて実家へ戻った。 廊下の椅子の上に、ハルの姿はなかった。
 自分の部屋に荷物を置きに行くと、ハルは窓辺前の高台で横になっていた。
「ニー」
 咄嗟に呼ぶ。
 ハルは、私のことを一瞥するだけだった。いつも太い鳴き声で返事をしていたから、この様子だけで弱っている事が分かった。
 頭や首をさすってみても、喉を鳴らさない。いったん離れて様子を見る。しばらくしてハルは立ち上がった。高台の前のキャットタワーを一段一段慎重に降りていく。私には目もくれずに部屋を出て、母の部屋へと入った。そこには、モモとクーが寝ていたが、視界に入っていないのか一点を見つめていた。水を少し飲んだ。もう私の知っているハルではなかった。ここから持ち直すことはないだろうなと思った。
 母が仕事から帰ってくると「全然いつもと違うでしょ? 今朝はベランダに出る元気はあったけれど更に悪くなってる感じだね。明日も通院するから」と言われたので「一緒に行く」と答えた。
 
 二十八日。
 ハルを通院のためにキャリーに入れた。元気だった頃は体重が重くて、動物病院まで十分歩くのが大変だった。体重が激減して楽に歩ける事が悲しかった。
 動物病院に着いて、診察室へ入った。ハルをキャリーから出して診察台に乗せた。体重は更に減少していた。何も食べていないから当然だ。
「とにかくなんでも良いから食べる事が大切です。シュークリームとかスイカの汁とか。最近、うちに来た子でカップラーメンを食べたなんて事もありました。本当になんでも試して良いですよ」
 以前の通院時にも話された事だ。獣医師に言われて思い出した。私がヨーグルトやアイスクリームを食べていると、ハルがすぐに寄ってきて舐めようとする事があった。
 注射と点滴を終えて、診察台から逃げようとするハルをキャリーに入れた。
 帰路、コンビニでバニラアイス、シュークリームを買った。
 実家に戻って早速、シュークリームを割ってクリームをスプーンですくう。そのクリームを私の部屋にいるハルに与えようとすると、鼻をピクピク動かして臭いを嗅いだ。そして、恐る恐るクリームを舐めた。久しぶりに、自ら食べ物を口にしたのだ。私も母も声を上げて嬉しがった。水もあまり飲まなくなってきていたので、シリンジを使って強制給水させた。口を開けさせた時の口臭が強く、症状が残酷にも進行している事を実感した。
 午後に、五年程前から参加している読書会を予定していた。
 ハルと顔を突き合わせて「またね」と声をかけた。ハルは、苦しそうに横になっていた。今日は、自宅へ帰って、明後日の三十日に、また戻ってくるからそれまで生きていてねと祈った。
 読書会では、見知った友人達や新しい参加者と話して良い気分転換になった。鬱々とした気持ちの時にこそ、人との関わりの中で救われるのだと思った。
 読書会後に、時間がある面子でハンバーガーを食べた。美味しかった。目も見える、ハンバーガーの臭いも分かる、会話も聞こえる、物に触れた事を認識出来る。私の五感は正常に働いていた。
 
 二十九日。
 自宅で家事を軽く済ませてから昼食を食べた。食休みをしてから、近所のミスタードーナツへ行った。ハロウィンの時期限定で販売される、お化けのキャラクターにコーティングされたドーナツを食べた。やっぱり、美味しかった。
 ハルの五感は失われようとしていた。常に吐き気がして、美味しいと感じることも出来ないから食べれないのだろう。可哀想で仕方がない。
「ハルちゃん、ハルちゃん、ハルちゃん」と心の中で呼んでみた。ハルと自分を安心させるためのおまじないだ。「ハルちゃん、ハルちゃん、ハルちゃん」といつまでも呼び続けた。
 
 三十日。
 月曜日だったので、本来、私は仕事なのだが、職場環境が原因で精神に不調をきたしていたため、長期の休みを取ることにした。偶然にもハルと一緒に過ごす時間が作れるようになった。
 午前中に、実家に戻った。
 ハルは、生きていた。
 しかし、この日からトイレへ向かう途中で、間に合わなくて床に排泄するようになった。母とオムツを試してみることも検討したが、ハルの強いストレスになることが予想出来たため、床にペットシーツを敷いて対処する事にした。
 ふらつきながらも立ち上がるハルは、お気に入りの寝床を回っていた。この頃から、今まであまり行くことがなかった風呂場へ入ることが増えた。何年も前の出来事だが、ハルは湯船にたまっていた冷めかけの湯が気になるのか中を覗こうとして足を滑らし、湯船の中に落ちた事があった。それから風呂場に入る事はなくなった。こんな感じでちょっと抜けているのがハルの好きなところだった。
 そんな過去を思い出しながら、風呂場に入ったハルの様子を見ると、風呂桶にたまっていた水を眺めていた。試しに新しい水に入れ替えると、またしばらく水を眺め、少しだけ舐めていた。
 食べ物は、やはり何も口にしないため、チュールをシリンジに入れて強制給餌を継続した。
 夜になり布団に入ってみるが、私の部屋の窓辺にいるハルの容態が気になって中々寝つけなかった。
 
 三十一日。
 中途半端な睡眠であったが、陽が登れば自然と覚醒した。
 ハルはというと、相変わらず
 私と母の部屋、風呂場、玄関、リビング等の好きな場所を転々としていたが、歩行時のふらつきが酷くなっていた。
 引き続き、服薬、強制給餌、給水を母と一緒に行った。
 ハルが体調を崩して、私の部屋で休む事が増えてから、クーとモモが以前にもまして部屋に近づかなくなった。しかし夕方になると、クーが珍しく入ってきて、キャットタワーの頂上まで登った。窓辺で横になっていたハルは、クーが近づいてきたタイミングで立ち上がり、体勢を変えて再び横になった。クーは、そのままキャットタワーで横になりたかったみたいだが、ハルが近くにいるのが気になるのか部屋から出て行った。十二年もの間、ハルとクーは一緒に家で過ごしている。良い加減、互いに家族として認識し、身体を寄せ合って寝ないのかと思うが、猫には猫の考えがあるだろうと尊重する事にした。
 自宅に用事があったため、私は夕食を済ませて帰宅する事にした。
 
 十一月一日。
 休職中の私は、普段ならとっくに通勤をしている時間に、洗濯や床掃除を軽く済ませた。少し動悸がしたので、ベッドで横になって呼吸を整えた。人生に不安はつきないなと悲観的にもなったが、頓服薬を飲んで一時間程、経つと回復した。
 昼食に、インスタント麺を食べてから、気を紛らわすために映画館へと出かける事にした。
「月」というタイトルの相模原障害者施設殺傷事件を扱った映画を観た。
 あまりに重いテーマの映画ではあったが、見応えのある内容であることは間違いなかった。 上映中、ハルの事を考えていたからか、暗闇に包まれた通路に猫の姿を見た。きっと現実ではない。病んだ私の脳が見せる妄想だろう。ハルは、こんな所にいない。病に侵され苦しんでいる。
 帰宅した後、母にハルの容態を確認した。
 昨日まで出来ていた、キャットタワーの登り降りが出来なくなったとの事だった。お気に入りの窓辺の高台まで、自力で行く事が出来なくなったという事だ。
 昨日まで出来ていたことが、今日には出来なくなる。
 ハルの事を想うと不憫で仕方ない。感極まってきたため、気持ちが静まるのを待ってから寝床についた。
 
 十一月二日。
 ハルの顔が見たかった。
 早起きして急いで実家へと戻った。
 ハルは、私の部屋にあるキャリーの中で休んでいた。喉をさすってみると反応して私の顔を一瞥した。呼吸をしていた。首が動いた。生きていた。キャリーの縁に何か汚れがついていたため母に確認した。昨日、通院した時に採血をしたが、すぐに血が止まらずキャリーに付着したらしい。血が止まらないのは、生きている証だ。
 その後、ハルは風呂場や母の部屋等へ行きたいのか、キャリーの中から立ち上がるが、一歩進んで出る事が出来なかった。キャットタワーの登り降りどころか、歩く事すら出来ないのだ。ハルの身体を支えてみると、歩けないのに足を動かして進もうとした。母の部屋の方へ向かかおうとしている気がした。ハルの身体を抱き上げて、母の部屋の布団まで連れて行った。ハルは横になって、動こうとしなかった。行きたい寝床に着いて満足したのかもしれないと思った。
 しばらく休むと、またハルは足を震わせながら立ち上がって、何処かへ行こうとした。次はおそらく風呂場だろうと思い、脱衣所まで抱いて行った。室温が低くて気持ちが良いのだろう。しかし長時間いると身体が冷えてしまうため、少し経ってから抱き上げて私の部屋のキャリーで横になった。
 一日を通して、私と母がハルの介助をしながら行きたそうな場所へ連れて行った。ハルの「好きな場所へ行きたい」という強い意志が、私と母を従わせたのだ。
 そしてここで、強制給餌を止める事にした。最早、ハルが少しでも嫌がる事はしない方が良いと思ったからだ。僅かな給水と服薬だけは続けた。
 夜になり、私は入浴を済ませて寝床に入った。すぐ横で、ハルがキャリーの中で休んでいた。眠りに入るまで、愛おしい小さな寝息が聞こえた。
 
 十一月三日
 朝四時頃、近くで異音がしたため目が覚めた。
 ハルが、キャリーから出ようと立ち上がっていた。しかし、四本の痩せ細った足をふるわせて一歩も進めないでいた。身体を窓辺の方へ向けていた。抱き上げて、窓辺の猫用ベッドで横にさせた。ハルはもう、身体を動かす事は出来ないようだった。こんなに酷い容態になっても動きたいという強い意思があるのだ。
 ハルの首が小刻みにふるえているが、呼吸は落ち着いていた。私が小一時間、再眠したところで、母が起きてハルの様子を見にきた。
「なんでハル、窓辺に居るの?」と驚いていたため経緯を説明した。
 改めてハルの様子を確認したが、首の震えは止まっていなかった。
 ハルの介護で疲労が蓄積してきていた私は、自宅へ一日だけ帰る事にした。
 しばらくして身支度を整えたが、その間ハルは身体を全く動かさなかった。
 実家を出る前に、部屋のゴミをまとめていたら、ビニール袋がこすれる甲高い音をきっかけに、ハルのふるえが首から身体全体へと激しく広がった。同時に意識もなくしたようだ。私は、ハルの身体に触れて支えて良いものなのか、それとも見守るだけの方が良いものなのか分からず、結局見守る事を選択した。母が異変に気づいて現れた頃には、ふるえはおさまり意識も戻っていた。
 私や母の顔の方に視線を向けたハルが鳴き始めた。体調を崩してから、鳴かなくなっていたのに、何度も何度も鳴いていた。
 首のふるえはなくならず、小さな物音にでも反応してそのふるえが大きくなった。しかし私は、よく鳴いている事もあって、一旦落ち着いたように見えた。
「ハルの事は大丈夫だから行ってきな」
 と母は言った。
「うん」
 と私は答えた。
 実家を出る直前、窓辺で横になるハルの姿をスマートフォンで動画撮影した。また、何度も鳴いていた。私が誰なのか分かっているのだろうか。誰か分からなくて怖いから鳴いているのだろうか。分からない。ハルの言葉を理解したいと思った。
 ハルから離れて良いのかと逡巡したが、「じゃあね。またね」と声をかけて、実家を後にする事にした。
 
 自宅へ帰る前に、映画館によった。所謂、ミニシアターという形態の映画館だ。観たかった映画が二本あったので、二枚のチケットを購入した。
 上映時間の十分前に入場した。席数は少なくこじんまりとしているが、美麗でシックな内装で、スタッフの映画愛を感じた。
 席に着いてしばらくすると暗幕が降りた。
 チリのストップモーションアニメーション「オオカミの家」の上映開始だ。
 恐ろしい寓話のような内容だったと思うが、ハルの事が気になって理解が追いつかなかった。本当に、映画を観ていて良いのだろうか。今日、自宅へ帰って大丈夫なのだろうか。映画の不気味な表現も相まって不安が強くなった。
「オオカミの家」が終わり、場内が明るくなった。硬まった身体をほぐしたかったため、尿意はなかったがトイレへ行った。
 次の映画の上映時間が迫り、再び席に着いた。
 ウェス・アンダーソンの最新作「アステロイド・シティ」だ。「オオカミの家」とは打って変わって、明るい色味と美しい荒野を舞台とした映画だった。
 中盤に入った頃だと思う。
 暗がりの中で佇む、猫の姿を確かに見た。こっちに来て、こっちに来て、身体に触れさせてと強く思った。感極まりそうになったため堪えた。
 映画が終わった。
 トイレを済ませてスマートフォンを確認すると、一時間程前に母からメッセージが届いていた。
「ハルなくなった。今ね」。
 堪えきれなくなった。
 そうかと私は思った。
 一時間前といえば、ハルが私の前に姿を表した頃だ。
「わかった。色々とハルの世話をしてくれてありがとう」と返信すると、すぐに母から着信がきた。
「もしもし」
「うん」
「ハルは?」
「一時間くらい前に部屋覗いたら痙攣が止まらなくなって。吐いたり、おしっこしたりして。まだ温かいけど」
「分かった。今からそっち戻るよ」
 速い足どりで駅へと向かった。
 
 実家に着くと、ハルはお気に入りの猫用ベッドで横たわっていた。お腹を触ってみると温かい。まだ、僅かにハルはここにいると思った。
 十二年の生涯だった。
 母の元同僚が、ハルを保護していなかったら、成猫になる前に亡くなっていたかもしれない。だからきっと、長生き出来たのだと思うようにした。でも、もっと長く一緒にいたかった。
 ハルの口臭と腎臓病との関連性に気づいていれば、あと二、三年は生きれたのではないか。映画なんて観に行かなければ看取る事が出来た。思い返すと後悔は尽きなかった。
 そして最も大切なのは、ハルが幸せを感じながら生涯を全う出来たのかという事だ。
 私は、幸せだった。
 ハルの言葉を、気持ちを分かりたいと、何度も思うのだ。
 猫用ベッドは尿で濡れていたので新しいものに替えてから、ハルの身体を窓辺へ移した。
 二日前に、ハルにもしもの事があったら依頼しようと決めていたペットの火葬、葬儀屋に電話をした。担当者と話をしながら、また堪えきれなくなった。なんとか明日の夕方に火葬する事を決めた。
 電話を切った後、窓辺にいるハルを見た。
 もう二度と動かない。
 現実が信じられない。
 甘えん坊のハルは、これからも好きな場所へ自由に行けるのだろうか。
 
 十一月四日。
 窓辺のハルの身体に触ってみると冷たかった。
 もう此処にはいない。
 業者と予定していた時間が迫ってきた。
 昨日、実家に戻る途中、スーパーで手に入れた段ボールを広げた。母が、硬直する前にハルの四肢を折り曲げてくれていたため、大柄な身体が段ボールに問題なく入った。
 段ボールの中に、ハルの好きだったドライフードや猫草、そして兄妹のモモの白い毛を切って入れた。モモの臭いがすれば、ハルはきっと安心する。
 ハルの毛も切って大切に保管しておく事にした。いつか、モモが逝った時に一緒に燃やせば再会出来るかもしれない。
 母が、モモを抱き上げてハルの前まで連れてきた。最後の挨拶だ。モモは、鼻を動かして臭いを嗅ぐとすぐに顔を背けて、その場から離れてしまった。
 インターフォンが鳴り、玄関扉を開けると眼鏡をかけた男性が待っていた。ペット火葬、葬儀の業者だった。
「この度は…あっ! 猫ちゃんいる。かわいいですね。シャムが入ってるのかな」
 業者が笑顔を見せながら言った。
 廊下には、業者の事を観察するモモがいた。
 初対面ながら、生き物に優しくて猫が好きな人なのだなと思った。
「この子は亡くなった子の兄妹なんです」
「そうでしたか。かわいいですね。亡くなった子は、キジの男の子ですよね。私も二十年飼っていたキジを亡くした事があって、その一ヶ月後に別の猫も亡くして、もう一年くらい駄目でしたね」
 私は、悲しみに暮れていたが、家族以外にも理解してくれる人がいたのかと思い救われた。
「近くの駐車場で火葬の準備をしているので、最後のお別れが出来たらお越しください」
 業者がいなくなり、ハルの顔やお腹をさすってみる。ふさふさの毛、冷たい身体、肉球、腎不全特有の体臭。全てが愛おしかった。
「今までありがとね、ハル」
 
 ハルを入れた段ボールを担いで駐車場へ向かった。
 ペット火葬車のトランクが空いている。中を覗くと人間のそれと比べると小さくも重厚な火葬炉があった。
 火葬炉の前には、遺体を乗せて火葬炉へと送る台があった。段ボールの中のハルを抱き上げて、その台へ移した。
 業者に用意してもらった花やドライフード、モモの毛等をハルの周囲に置いた。
「身体大きいですね。イケメン君だ」
 業者の一言に感極まった。
「肉球の型を取りますね」
 事前にお願いしていた肉球の型取りをしてもらった。一週間程したら、肉球の型とハルの写真を入れた額縁が送られてくる予定だ。
「それでは、最後のお別れになります」
 ハルを乗せた台が動いて、ゆっくりと火葬炉の中へと入っていった。
 火葬炉の扉が閉まるその瞬間まで、ハルから視線を逸さなかった。その姿を目に焼き付けた。人生で初めて亡くした愛猫。ハルちゃん、ハルちゃん、ハルちゃん。また、会いたい。ハルは、永遠にうちの家族なのだ。
 
 十一月六日。
「ハル」
 心の中で、呼んでみる。
 映画館の暗がりの中にいる猫が、特徴的な太い声で何度も、繰り返し鳴いている。
「ハルだ」と私は思う。
 こんな所にいたのか。
 映画館なんて不慣れな場所だから不安で仕方ないだろう。
 芥川賞作家、町田康の「猫にかまけて」というエッセイを思い出す。保護猫を亡くした町田康の妻が、生まれ変わったらまた拾ってあげるね、と深い悲しみの中で発する言葉があった。
「ハル」
 いつまでもこんな暗い所にいないで、明るい所に行って早く生まれ変わってきて。そうしたら、また家族にもなれるし、私の部屋の窓辺で眠る事も出来る。
 ハルの鳴き声が止んだ。
 ただ、暗闇の中で佇んで、私の事を見ている。
 いつまでも、そこにいる。
 スクリーンに視線を移す。
 人々の悲鳴や街が破壊されていく激しい音が聞こえてくる。
 視界が酷くぼやける。
 まるで水中に潜っているようだ。
 私は今、何の映画を観ているのか分からない。


うちに来たばかりのハル(左)とモモ(右)
仲良く寄り添うハルとモモ
一番綺麗に撮れているハルの写真



 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?