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【ミステリ小説】セイレーンの謳う夏(11)

(本作の短編バージョン「夏の終わりのマーメイド」は完結していますので、ラストを知りたい方はぜひ! )

(あらすじ)民宿兼ダイビングショップ『はまゆり』でバイトする(顔のない)ぼくは、お客さんが不思議な生き物と遭遇したことを知る。
 『はまゆり』美人姉妹の妹、夢愛(ゆめ)さんは鋭い推理力の持ち主。ぼくはそんな夢愛さんが、駅前で男と言い争うのを目撃する。
 
 八月の最終金曜日午前――
 翌日の金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のためぼくらは、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかを担当することになる。

 物語は、3つに別れたぼくの視点で語られる。

 「遊泳監視」を担当したぼくは、龍ヶ﨑突堤に駐まっている不審な車を調べに向かう。 
『カモメ荘』バイトである「もーやん」と共に車のところに行き、車内に倒れている人を見つけた。
  
 しかし、救護員を連れて車に戻ると中の男は消えていた。

「水中ゴミ拾い」を担当したぼくは、自分の病気である「相貌失認」について思いを馳せる。 
 潜りながらゴミ拾いするぼくの耳に、携帯プレーヤから助けを求める声が聞こえ、ぼくの目の中に、人魚の姿が飛び込んできた。
 

 くじ運の悪いぼくは「駐車場整理」に割り振られた。 
 その後夢愛さんと遭い、モノフィンを使って海を泳げば、脚の悪い夢愛さんでも、短時間で湾を行き来できるトリックを見抜いた。

 3つの視点から得られた情報から、物語の謎が解かれていく。

 8月最終金曜日、ぼくは夢愛さんに請われて、彼女のお母さんの
お墓参りの運転手を務めた。
 その帰り道、竜ヶ崎神社に立ち寄ったぼくたちは、ドローンを見た。
 ぼくはドローンの操作者が、盗撮を目論んでいたことを見破る。再度沼の上を飛ばせたドローンには、あるモノが映し出された。
 事情聴取ののちに『はまゆり』に帰ったぼくらは、お客さんのひとりが失踪したことを告げられる。
 失踪したのは、三人娘のひとり野々宮みさをさんだった。
 翌日、ぼくと夢愛さんは駐在所に出向き、龍神池で溺死体を見つけた経緯を聴取された。


7 人魚の告白

 誰かが呼んでいた。
 たまっていた疲れがどっ、と出たのか、まだ時刻も早いのに寝込んでしまったらしい。
 起きなければ、と思うが体が言うことを聞かない。民宿バイト共用の宿泊所は海岸から離れているのだが、ダイブ・フェスの歓声が聴こえてくる。

「ズッキーのDJターイム」秋月店長のノリノリの声が響き渡っているのを、脳の一部が微かに意識している。
 駐在所から帰ったあと、夢愛さんは、「疲れちゃった、今日はもうなにも聞かないで」と言って、自分の部屋に引っ込んでしまった。
 疲れたのはこっちのほうだ、という内心の声はもちろん外には出さなかった。

 宿泊施設では四畳半の個室があてがわれているが、部屋の中にはなにもないので寝るしかない。
 冷房が弱いため、ゴミ捨て場にあったものを再生したエコ扇風機を回す。万年床の布団のうえに転がるなり、意識が飛んだ。
 パトラッシュ、ぼくもう、疲れちゃった。ぼく眠いんだ。天使が舞い降りてくる。
 パトラッシュ、一緒に天国に行こう。

「誰がパトラッシュか!」
 毛布を引っぺがされた。パトラッシュではなく、夢愛さんが手を腰に当てて立っている。
 慌てて生理現象で膨らんだ前を隠す。
 バイト部屋は、一応個室のはずだが。
「あら、いっちょまえに朝勃ち? まだ朝じゃないよ」

 局部をのぞき込むようにしてからかわれた。こんな辱めを受けては立ち直れない。
 体をエビのように曲げて涙ぐむぼくにお構いなしに、夢愛さんは、
「寝てる場合じゃないでしょう」
 体内リズムが狂ったせいか、頭がぼんやりする。今何時ごろだろう?
 あたりは薄暗い。朝立ちじゃなく、夜立ちか。脳内情報を上書き修正する。

「あの男が、何か隠してた場所を探ってみようよ」
 あの男とはだれだっけ? ああ、龍神池で死んだ男か。
 夢愛さんに手を引かれるように連れて行かれたのは、『はまゆり』の前にある護岸から海に向かって伸びた西突堤の先だった。
 まん丸い月が浮かんでいる。満ち潮で波は穏やかだった。ダイブ・フェスの余韻からか、去りがたく佇んでいるカップルも遠くにちらほら見える。

「このあたりに、何か隠すようにしていたのを前に見たことがあるの」
 ぼくは階段を降りて縁から身を乗り出し、護岸のコンクリの亀裂に目を凝らす。
「もっと下の方」
 言われるがままに上から亀裂に指をはわせ、湿り気を帯びた周囲をまさぐる。
「あ、そこ。もっと下。あ、いいわ――」
 なまめかしい声で夢愛さんが指示を出す。内側に何がいるかわからない真っ暗な亀裂のなかに手を入れるのは、気持ちの悪いものだ。
 フナムシが側をごそごそと這い回っている。

 ぼくは身を乗り出して中を見ようとした。
 そのとき、後ろから背中を押されバランスを崩して海に落ちた。飛沫があがり、ごぼごぼと目や鼻に水が入る。
 嬉しそうな笑い声が降ってきた。
「何するんです」
「アタシのこと、変なふうに疑ったバツだよーん」
「そのことなら、謝ったじゃないですか」
「だめ」夢愛さんは言った。「乙女心は、ふかーく傷ついたのよね」
 サイテー! 水を掛けてきた。

「気分はどう?」
「気持ちいいです」
 満潮のため足が届かないほど深くなっているので、諦めて泳ぐ。Tシャツに短パンなので服は軽い。
 水をかくたびに、夜光虫がきらきらと体を縁取った。
「きれいでしょ」
 ほら! ぼくが差し出した手の中に光のかけら。
 夢愛さんは、興味をもって身を乗り出してきた。ぼくは目を瞠る夢愛さんの手をつかむと、水の中に引き込んだ。彼女は純真な女の子のような悲鳴を上げて、落ちてきた。

 飛沫がさらに上がった。
「なにすんのよ」
「気持ちいいでしょ」
 遠くで打ち上げ花火の音と光。本来は禁止されているが、フェスの余韻かもしれない。
「信じらんない。足が不自由ないたいけな女の子を海に落とすなんて」
 ぼくが先に護岸に上がり、彼女を引っ張り上げた。服が濡れていても、彼女の体は細身で軽かった。

「メイク落ちちゃったじゃない」ぶつくさと文句を言う。「女子にとって、ノーメイク顔を見られるのは裸を見られるより恥ずかしいの」
「夢愛さん、いつもノーメイクみたいなもんじゃないですか」
 ぺったんこの胸がわずかに隆起して、透けて見える。順調に育ってくれて、お父さんはうれしいよ。
「すけべ。いま変なことを考えたでしょ!」

 『はまゆり』の食堂は閑散として人が見当たらない。野々宮さんからは今日も連絡がなく、行方の見当もつかなかったので警察に捜索願いを出した。
 シャワーを浴びたままバスタオルをかけた夢愛さんは、慣れた手つきでシュポッ、とビールの栓を抜いた。
「お店の商品を勝手に開けると、軍曹に叱られますよ」
 永遠さんは在庫管理に厳しい。

「じゃあ、あげない」
「ごめんなさい」
 ぼくは即座に降参した。彼女はノーメイクのようだ。
 ぼくには裸を見られてもいいらしい。気を遣うほどの相手と思われていないのだろう。
「アイツ、永遠ちゃんの元亭主なの」
 唐突に夢愛さんが言った。ほんのりと赤く染まっていることは、相貌失認のぼくにもわかる。それがアルコールのせいか、話題のせいかはわからなかった。

「アイツ」とは、もちろん車の男のことだろう。背は高くなかったと思う。やせ形で三、四十歳か。ダンディなおっさんだった。ひと昔前に流行った、ちょい悪親父といったところか。
「離婚した元の旦那で、加納雅臣っていうの。ちょっとは名の知れた陶芸家だって」
「なんで、夢愛さんと会ってたんですか?」
「接近禁止命令が出てるから、永遠ちゃんには連絡できないもの」

 DV(ドメスティック・バイオレンス)か。訳ありとは思ってたけど、それが永遠さんの離婚原因だったなんて。
「感情の起伏が激しくて、永遠ちゃんが体調が悪くて夜の方拒否したりすると、殴ったりしたらしいの」
 永遠さんのそんな姿を想像するのは辛かった。そう言えば、うちのとーちゃんとかーちゃんが離婚れたわけを、ちゃんと聞いたことがなかった。

「ケダモノ! サイテーよ」
 姉の永遠さんになぜかよそよそしい態度をとってはいるものの、嫌っているわけではないらしい。
「ケダモノはそんなことせーへんよ」
 夢愛さんが嫌いな ”せーへん”のフレーズと共に もーやんが厨房の中から顔を出した
「ゴメンやけど。立ち聴きするつもりはなかってん。醤油切らしてもーて、借りに来たら声が聞こえて」

 もーやんは空のコップを手に、ぼくらのテーブルにやってきた。
「昔、血統書付きの犬を交配させるバイトしたことがあんねんけど」
ぼくらのビールを勝手に注ぐ。ブリーダーのバイト募集に応じたらしい。ほんと、何にでも手を出す男だなあ。
「交配のためにお見合いさせるんやけど、主導権を握ってるんは雌犬のほうや。気に入らん相手やったら雌はぺたんと座り込んでもうて、そうなると雄犬はなんもできひん。悲しげに鳴きながら回りをまわるだけや」
 かわいそうな雄犬。お預けをくらって、辛いだろうなあ。

「繁殖に重要なのは雌性のほうなんや。種の保存のため体を大事にせなあかんと、本能にすり込まれてる。
 相手の意に反してオスが暴力で思いを遂げるのは、人類と動物園のような特殊な環境に置かれた類人猿ぐらいや」
 もーやんはうまそうにビールを飲み干すと、
「せやから、そういう粗暴男を”ケダモノ”言うんはまちがいです。”人間的なひと”、言うべきやねん」

 きょとん、とするようなうんちくを披露してくれた。
「というわけで、ケダモノに謝ってください」
「ケダモノさん、ごめんなさい」
夢愛さんは酔っているせいか、意外に素直に謝罪の言葉を口にした。
「そうだ聞いてください、もーやんさん。ひどいんです、この男」
 夢愛さんも、もーやんの名前は知っていたらしい。ウルウルした嘘泣きの仕草で、さっきまでの顛末を話す。
 だまされるな、もーやん。この女は関西人に偏見をもった差別主義者(レイシスト)だぞ。

「ひどい男やねー」
 ぼくの内心の声を無視して、もーやんは言った。
「君の推理には大きな欠点がある」
 ぼくは少しばかり動揺した。
 夢愛さんが、モノフィンを使って昨日の朝、加納氏に会いに行き、繊細な芸術家である彼を無神経な毒舌で傷つけたために彼が自殺を図った、とするぼくの考えはそれほど的外れでもないはず。
 加納氏と夢愛さんの関係性だけが異なっていたが。

「こんな可愛い女性が、そんなひどいことするはずないやろ」
 まあ! 夢愛さんが目を輝かせる。
「さすが、もーやんさん。よーわかってはるわ」
 変な関西弁で応じると、もーやんは、でへへ、と相好をくずした。ばかばかしくなって、尋ねた。
「何があったんですか? 昨日の朝」
「私のスマホにメールがあった」

 永遠さんへは、電話やメールも禁じられている。加納氏は、永遠さんとヨリを戻したがっていた、とのことだ。
「前に駅でその話をしたの」
 自分は変わった。だから永遠さんに戻って来て欲しい。加納氏はそう言った。
 夢愛さんは、永遠さんに代わって彼女の気持ちが変わらないことを伝えた。ぼくが言い争いと思ったのは、そのときのやりとりだった。

「永遠ちゃんには、もう心に決めた人がいるの」
 どきりとした。永遠さんにそんな人が? 
 昨日、夢愛さんが加納氏から受け取ったメールは、自殺の予告ともとれるものだった。
「ぼくの気持ちが、本当だと証明してみせるよ」
 はた迷惑きわまりない、甘えた考えを伝えてきた。

「突堤の先端の車の中で、永遠を待つ。もし来なければ海に飛び込んで死んでしまうよ、って」
 夢愛さんは誰にも報せず、モノフィンを履いて湾内を横断した。
 今までも加納氏は似たような騒ぎを引き起こしており、警察に通報するとあとが厄介だと思ったからだ。家族にも報せたくなかった。

 メールの通り、突堤の先端に彼の車があった。近くで見ると、中で加納氏が俯せになっており、ワイパーには遺書ともとれる紙片が挟んであった。
「そんなものあったの?」
 もーやんに確認すると、彼も首を横に振る。
「破いて海に捨てた」
 夢愛さんが、吐き捨てるように言った。自己中な理屈で、永遠さんを非難するような内容が書かれていたらしい。

 茶番だ。本当に死ぬ気があったかも疑わしい。
 ちゃんと間に合うよう夢愛さんにメールを入れているのだから。自分が傷ついていることをアピールするポーズなのだろう。
 その後、夢愛さんは声色を変えて、漁労の事務所に連絡を入れた。
「あいつが死のうがどうしようがかまわないけど、ここで死なれるのは嫌なの。私たちや永遠ちゃんの心に罪悪感を植え付けたまま、のうのうと逝かせたりしない。あいつにそんな権利はないの。そんなの赦さない」

 怖わ。語調の激しさにちょっと、とまどう。
「ちょっと待って。そのとき、加納さんは車の中におったんやね?」もーやんが確認する。「何時頃のこと?」
「八時四十分くらいかな」
「加納氏からのメールは取ってある?」

 夢愛さんは、自分のスマホを出して見せた。そこには彼女の言う通りの文面があった。時刻は昨日の六時四十五分。
「整理してみよか」
 もーやんの発案で、各自の情報に基づいてタイムテーブルを組んだ。

 赤い車が東の突堤に侵入したのが、六時三十分頃。その直後の、
 6:45 夢愛さんのスマホにメールが入る。
 8:00 夢愛さん家を出て、モノフィンを使って湾内を横断し、東の突堤に着く。
 8:40 夢愛さん、車の中の加納氏を確認。手紙を破棄。
 9:30 夢愛さん、漁協に電話。
 10:00 頃。無人の車を確認し、レッカー移動する。
 この日、午前中にぼくが加納氏と遭遇。スマホを拾う。
 16:00 過ぎ。加納氏、龍神池で遺体となって発見さる。

「加納氏が亡くなったことを永遠さんは?」
「昼過ぎに警察から連絡があって、遺体の身元確認に行った」
 ぼくが寝ている間にそんなことがあったのか。
「じゃあ警察は、死んだのが永遠さんの元の旦那である、加納さんだと把握してるんだね」
「あたしが今日駐在所で言ったしね。レッカー移動した車の所有者と適合するし、なによりあたしも永遠ちゃんも遺体を確認したから」

「永遠さんはショック受けてた?」
 ぼくの問いに夢愛さんは、
「死んでる人を見たら、誰だってショックでしょ」
 言外にそれ以上の感慨はない、と言いたげな口調だ。
「少なくとも加納氏は昨日の午前中、車を離れたあとも生存が確認されてるから、その場で海に飛び込んだりしたわけではないんやね」

 ぼくが彼の姿を目撃している。
 相貌失認、という疾病の頼りない目撃者だが、そのとき彼が所有していたスマホを拾っているから、持ち主を照合すれば彼が生きていたことはわかるだろう。
「県警からは、刑事部捜査課の人間が担当してたって? だとしたら事件性があると思てんのかな?」

「どういうこと?」
「いや」もーやんは口を濁していたが、「加納さんてのは自殺するような度胸もなくて、ポーズで同情を引くような男やろ? 
 急に自死する根性が出た、と考えるより、永遠さんの新しい男のとこに行ってなんらかのトラブルを引き起こした、とは考えられへんか?」
 もーやんはそう言って、夢愛さんのほうを見た。
「永遠さんの想っているひとって誰?」
 もーやんとぼくの視線を受けて、夢愛さんの口がゆっくりと動いた。
「セイレーンの謳う夏」(12)に続く)

#小説 #ミステリ #ドメスティック・バイオレンス #創作

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