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【短編ファンタジー小説】幻獣想譜(前編)

  ぼくの書斎にあるオークの書棚の引き出しのなかに、「幻獣夜曲」と名づけた絵がしまってある。
 A4のスケッチブックにパステルで描かれた、想像上の動物の絵。
 大好きな絵だが、同時に二度と見たくない、忘れられない想い出にも結びつく絵だ。

 1

「”にれ”さん、とお読みすればよろしいのかしら?」
 朽木夫人は、ぼくが差し出した名刺に目を落としながら、そう言った。
 薄紅色の眼鏡の金属フレームを指で差し上げ、ぼくの顔と名刺を交互に見比べる。そうすることで、映像記憶と文字情報を脳のなかで結び付けているかのようだ。

 思っていたより若い学生風の外見から、ぼくのことを頼りないと感じているのがわかる。
 着慣れないスーツ姿が板についていないのが、かえって逆効果だったかもしれない、とぼくは弱気になった。

 ぼくは、自分でもぎこちないとわかる笑みを浮かべて、彼女の問いにうなずいた。

 視覚療法士 楡 周一 

 ぼくの名刺は、グリーンの和紙に明朝体で名前と職業を横書きにしたもので、情報量わずか数十バイト程度の簡素なものである。
 恩師であり、視覚療法の権威でもある小諸教授は常々、肩書きなどは余計な先入観を相手にインプットするだけで、無用の長物だと言っている。
 もっともそうおっしゃるご本人の名刺は、わが国最高学府の名誉教授という肩書きに彩られており、言行不一致のそしりを免れないものなのだが。

 郊外の閑静な住宅地の一画にある朽木邸の応接間は、金のかかっていそうな調度品がちりばめられている。
 しかし家族の写真や、表彰状などはなく、主人である朽木氏や一人息子の冬摩との関係性を示すものはなかった。

 朽木邸の応接間には白いレースのカーテン越しに、透明な秋の午後の陽差しが差し込んでいる。
 小春日和のことを、なぜ”インドの夏”というのだろう、などととりとめのないことを考えていると、窓の外をなにかがすばやく横切った。
 一瞬だが、鳥にしては金属光沢のような、煌めきがあるように思えた。

「“しかくりょうほうし”というのは、国家資格ですか?」
 探るような目つきの朽木夫人に、ぼくは胸を張って答える。
「もちろん、薬剤師や理学療法士と同じく、一定の教育を受けて国家試験に通ることで認定される、ちゃんとした資格です」
 それでも彼女の目に浮かんだ猜疑の薄墨を、完全に払拭することはできなかったようだ。

 女性の歳を推し量るのは苦手なのだが、朽木冴子は四十の手前というにはやや軽く、三十の前半というにはお肌がくたびれている感じがする。
 会社を経営する朽木氏の後妻だが、ひとり息子の冬摩が実子なのかどうか知らなかった。

 十歳の子どもがいるにしては、唇の紅色が鮮やか過ぎ、マニキュアは血行の悪い肌のようなくすんだ紫。
 室内だというのに、紫色の派手なショールをまとっている。
 着衣の色使いを色彩心理学から判断すると、強い自己顕示欲がある一方で、意識の深層では防衛的な心の傾きが伺える。
 母性よりも雌性が優勢。

 香水に混じって、微かにアルコールのにおいを嗅いだ。
 それが彼女の根幹をなす性質なのか、たまたま今日がそういう日なのかはわからないが、発情期を迎えた草食哺乳類を思わせた。つまり頭の中は繁殖にかかわることで、いっぱいだということだ。

 お手伝いさんが、運んできた紅茶に高価そうなブランデーをとぷとぷと注ぐと、ぼくにも勧めた。
 ぼくは断った。
「……さんからご紹介されたものだから」
 ぼくは夫人の分析に心を奪われていたので、彼女の紅い唇から漏れ出した最初の言葉を聞き逃した。「精神分析」という言葉に偏見を抱いているらしい。

 息子のことを一通り話した。それは、だれかに相談するための繰り返した、慣れた常套句のように聞こえた。
 引きこもりは昨年の冬から。いじめはなかった、と学校の担任から説明された。   
 カウンセリングや視覚療法に期待していないことは、おざなりな説明からも窺えた。

「精神分析はよくわからないのだけど・・・」
 どうやら心理学の一種と想っているようだ。 
 そもそもぼくが行うのは精神分析ではないのだが、誤解をとくのも面倒なので紋切り型に、「直接お話ししたいのですが」とうながした。

 *

 朽木冬摩のこども部屋は、二階の南側に面した明るい一室で、学生時代にぼくが過ごしたアパートの三倍はあろうかという広さだった。   
 スリッパが埋まってしまいそうなほどふかふかの、草色の絨毯が敷き詰めてある。案内してくれた夫人によると、勉強部屋だということで、寝室はこれとは別にあるらしい。

 まるで視覚管理士が処方したかのような、無機質な十歳の小学生にふさわしいとは思えなかった。
 ぼくは妻帯していないし、十歳の子どもの嗜好を肌で理解しているとは言いがたい。でもテレビゲームかアニメキャラのカード、ヒーローか乗り物のフィギュアなどがあってもよい気がした。

 部屋の中央にある座卓に向かって、若い女性がひとりぽつねんと座っている。   
 朽木夫人がその女性に話しかけた。  
「あら、冬摩は?」
 彼女は黙ったまま、窓のほうを指さした。

 開け放たれた窓か続くバルコニー、風になびくレースのカーテン越しに、透き通った青い空が漏れてくる。   
「何しているのかしら?」
「観察しているのだと想います」
「そう」朽木夫人は無機質に頷いた。「ご紹介するわ。こちら、冬摩の家庭教師をお願いしている間宮優子さん」

 女性はぼくを見て挨拶するでもなく、絵画のようにそこに存在しているだけ。大学生だろうか? 
 彫りが深く白い肌はなめらかで、日本人ばなれした容貌は彫像のように美しい。視覚療法士でなくとも興味を惹かれるだろう。
 しかしその深くて暗い瞳は、なにも写していないように思われた。

 バルコニーに向っていた朽木夫人が、ふと足を止めてぼくのほうを見た。
 ぼくは中腰になり、部屋を見回していた。
「ご気分でも悪いの?」
 ぼくに向かって問いかけた。ぼくは中腰のまま答える。
「こどもの目の高さから、部屋を見ているのです」

「子どもの目線で、というのは比喩ではなく」小諸教授の受け売りだ。「視覚療法士は、対象が無意識に目にするものをサンプルとして的確に切り取る必要があるのです」

「意外な風景が見えてくるものですよ。子どもの高さから物事を見ると」
 そう言う、ぼくを女性ふたりは冷ややかに見下ろした。
 朽木夫人はベルコニーの先へ向かって、声を掛けた。「冬摩!」
「ご挨拶なさい」
 ぼくを新しい先生よ、と息子に紹介した。

 少年は、ぼくを見てぺこりと頭を下げた。簡素なTシャツにジーンズ。
 十歳ならば、小学校の四、五年生だろうが女の子のような端正な顔立ちだ。   
 不登校で引きこもっている、と聞いて想像していた子どもとちがい、人見知りする様子は見られない。
 歳相応にシャイではあるが、社会への順応性を欠くようには見られなかった。

「冬摩くんは、何をしていたのかな?」
 勉強机の椅子に腰を下ろした冬摩に、尋ねる。
 朽木夫人にお願いして、冬摩とふたりきりにしてもらった。
 視覚療法を効果的に行うには、親が同席しないほうがよいのだ。机の上には、中学生のための学習参考書、最新のタブレットなどが整然と並べられていた。

 朽木冬摩は、ふたりきりになっても、とくに不安そうな素振りは見せなかった。
「それは、なんの絵?」
 机の前、蛍光灯の下に貼られている画用紙に書かれた、不思議な動物について尋ねた。
 ぼくは子どもたちの間で流行っている、アニメキャラに疎かった。

「エコウ!」視線をそらせながら答えた。
 見知らぬ大人に対して警戒心はあるが、決して心を閉ざすタイプには見えなかった。
「エコウ?」
 今流行りの、テレビゲームとタイアップしたアニメのキャラだろうか?
 それにしてはデフォルメされておらず、生々しい海の香りがした。ぼくの記憶の底に、よく似た魚が浮かび上がった。
 中腰になった子どもの目線。
 そうだ、この角度から見た映像。

「空を飛ぶさかな」ぼくがなにか口にする前に、「トビウオとはちがうよ」 
 利発な子だと思った。 
 相手の考えることを押し計る能力がある。これは大事なことだった。自己と他者の感覚との距離感を理解している。   

「トビウオは、胸びれが発達して翼よ役割を果たしている。これはエイに近いね」
 冬摩は困惑したように頷いた。
「ぼくも見たことがあるからね。似た魚を」
「・・・?」
「赤茶けた色だったけど」
「それもエコウの一種だよ」
「エコウという名前だとは知らなかったけどね」
「ぼくがつけたんだ」

  冬摩は机の上の本棚からスケッチブックを取り出し、ぱらぱらとめくった。
 そこには、さまざまな動物、この世界に存在し得ない動物の絵が、パステルで精緻に描かれていた。
「どれか一枚もらえないかな?」
 冬摩はしばらく考えていたが、首を縦に振らなかった。

「だめ。空想で絵を描くのは、良いことじゃないって。。。」
「これは空想なのかな?」
 冬摩は首を振る。大人びた顔と子どもらしい顔が、交互にのぞいては消える。
「本当に見たんだろう? 信じるよ」冬摩は一瞬、疑わしそうな視線を投げてきた。「ぼくも昔、似たような見たことがあるからね」
「ホント?」
 ぼくは頷いた。
 冬摩は、中程のページをびりびりと破って、差し出した。

 のちに、ぼくが「幻獣夜曲」と名付けた一群の絵の、最初の一枚。夜と思しき暗い海の上を滑空する、エイのような不思議な物体とその影が織りなす独特のリズム。
 それは確かに、冬摩との友情の証なのだと思った。

 ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?
 朽木邸を出たところで呼び止めたぼくに、間宮さんは視線だけで答えた。
 ジーンズに錆び色のハイネックシャツといった、簡素なスタイルが似合い、絵から抜け出したように美しい。
 声を掛けられることも多いだろうが、気をゆるすタイプには見えない。瞳にはうっすらと警戒の色が浮かんだ。

「冬磨君のことでお伺いしたいことがあって」
 慣れないスーツにネクタイ。精一杯のビジネススタイルが、警戒心を解くのに功を奏したようだ。
 軽く頷くと、なんでしょう? と言った。

 緩やかな下り坂が、駅まで続く。
 道の途中にある美容室、ネイルなどのこじゃれたお店の並びに、ハロウィンとクリスマスがごっちゃになったような、統一性に欠ける構えのお店があった。

『ケサランパサラン』という名前の喫茶店
 金曜日の午後、店内には想ったより多くの客がいて、おざなりに流れている有線の音楽に溶け合っている。 
 奥まった席に間宮さんを誘うと、店内の視線が一斉に集まる。
 スニーカーを履いた間宮さんは、ぼくと同じくらいの背丈があり、ぼくなどはるかに及ばないオーラをはなっていた。 

 カプチーノをふたつ。
 暖かいカップが届くまでの間、若干居心地の悪い思いをしながら、ぼくは尋ねた。
「冬摩君の家庭教師は長いのですか?」
「家庭教師と言っても、形だけです」
 ずっと遊び相手で、いつから家庭教師なのかしら、と言った。

 S大英文科の二回生で、朽木家の遠縁に当たるらしい。
 細身のジーンズに、スニーカー。高価ではないようだが、上品な指輪、イヤリング。
 ピアスではないのでほっとする。血を見るのが苦手なぼくは、体の一部に穴を開ける世の女性たちの習俗になじめないのだ。

「どの教科を教えているのですか?」
「国語、算数、理科、全般ですね」
「冬摩君は、その・・・」
 言い淀んだぼくの意図を見越して、
「算数と理科は、もう中学レベル」

 ぼくは、冬摩の部屋に中学生の参考書があったのを思い出した。
「社会は、興味がないようです」
「年頃の、そう、テレビゲームなどは?」
「興味がないようですね」

「友だちはいますか?」
 今度は間宮さんが言い淀んだ。
 注文したカプチーノが運ばれ、救われたように口をつける。

「なんと言えばいいかしら、閉じこもっているというのとも違うし」
 自閉症という言葉はあいまいだ。器質的疾患により他人との関係性構築に難があるケースなど、典型的な例はむしろ少ない。
「冬摩君の不登校に関しては、どう想います?」
 直球を投げ込んでみた。
「いじめや家庭の問題はありません」

 本当にそうだろうか?
 朽木夫人のあの状態を見て、問題なしとは思えなかった。

「視覚療法って、何なのですか?」
 逆に質問された。
「バウムテストをご存知ですか?」ぼくは、ポピュラーな心理テストを持ち出した。
 被験者が描く絵は、心象を表す。
 逆に視覚情報が人の心に与える影響を評価し、さらには心の治療に生かす、のが視覚管理士と視覚療法士の仕事だ。

 「図像学とはちがいます」
 図像学は、こめられたメッセージを読み解く学問だが、視覚心理学は個人を対象に心理療法を施すことを目標にする。  

 「たとえば、青色が食欲に与える影響をご存知でしょう?」
 青は食欲を減退させる。だから青色の食材は少ない。
 青は腐食であって、経験的に刷り込まれた危険信号なのだ。
「ブルーのサングラスを食事時に着用することによって、ダイエットが可能です」

 色彩心理学などの要素を含み、さらに発展させた理論体系と言えるだろう。小諸教授によれば、進化形ということになる。

 人間の視覚情報は、機械的な映像解析ではありえない。  
 映像を脳が処理する過程で、行動様式にまで影響を及ぼす。

 だまし絵などは、情報処理の盲点をつくものだ。
 たとえば、顔型の意匠の優先的認知により、時には心霊写真などの恐怖体験を与えることができる。
 つまり意図的に特定の心理状態に誘導することができるのだ。 
 これを治療に応用するのが、視覚療法だ。

「信じられないわ」
「あなたは、子どものとき、暗闇が怖くなかったですか?」
 生物の幼生は捕食者にとって格好の獲物であり、親としては巣から離れてもらっては困るのだ。
 そのため、夜間に単独行動をとらせないよう魔物を見せる。それは子どもにとっては真実なのだ。

 大人になるとその様式はなくなる。そして、子どものときに見た怪物の姿を忘れる。
 なぜわたしは、あんなに怖がったのだろう、と想うようになるのだ。

 ぼくにとって暗闇の化け物は、まっくろな案山子の形をしていた。暗闇の化け物は、現実の生き物なのだ。

「すべての子どもは、我々が見慣れているこの世界とは、全く異なった現実のなかに生きている。けれど成長過程で、忘れてしまいます。
 大人になっても暗闇が危険であることに替わりはないが、捕食の必要が生ずるためです。だがある種の子どものなかには……、」  

  ぼくは彼女の反応をはかりながら、カバンの中から出したカラーコピーをテーブルの上に広げた。
 パステルで描かれた、奇妙な動物が描かれている。 
 げっ歯類、カワウソ、魚類、哺乳類、どの種に属すかわからないもの。

 「とても十歳の子どもが描いた絵に見えないでしょう?」
 ぼくは彼女の反応を見たが、その表情には変化は現れなかった。

 「この絵が特別である理由は、たとえばこの手です。五本の指がきちんと描きわけられていて、水かきまで判別できます。
 ふつう子どもが人や動物の絵を描くとき、手の指などは単純化して描くものです。たとえばあの有名な猫型ロボットのように、単なる○に省略されることも多いのですが」

 ぼくは、1枚の絵を指し示した。
「この動物は、水のなかを泳いで、小魚や貝などを捕食する。嘴は捕食以外にも、なにか別の機能があるようだ」

 湿地帯を流れる河が合流する場所、まわりは丈の高い草に囲まれている。「同じ世界に住む動物です。幻獣と呼んでいますが。
 描いた絵の中の生物。これらの生き物が住まう世界、生態系には、ある種の一貫性があります。
 まるで生物学者が観察したノートのように。実際系統樹を書くことすら可能です」

 ぼくは一気にしゃべった。
「視覚療法の基礎となるべき視覚心理のサンプル収集過程で、このような  動物たちを描く子どもたちの存在がわかってきました。
 これらの動物を、我々は幻獣と呼んでいます」

  間宮さんはまだ、疑わしそうにしている。
「教えてほしいのです。情報に含まれるノイズを除くためにね。冬摩君は動物園か水族館でカワウソや」
「いいえ、夫人はニオイが嫌いだから、私が知る限り」

 本棚には動物図鑑があったが、図鑑などに描かれる宇現存する生物とは一線を画している。
「彼の好きなアニメやマンガのキャラクターに、似たものはありませんか?」
 間宮さんは、絵を見ながら首をふった。   

「ぼくは、冬摩君は本当にこの動物を見て描いたのだと思っています」「比喩的な意味かしら?」
「いいえ。言い換えましょう。これは、進化の別系統に属する存在しえたかもしれない動物群なのです」

「ひとつ教えて欲しいのだけど」間宮さんの美しい目に射すくめられる。  「これは冬摩君のためになることなの? あなたはなにをしようとしてるの?」
 彼女の問いに答えず、名刺に電話番号を書いて渡した。「なにか変わったことがあったら、連絡してください」
 ラインのIDを訊くと、手の込んだナンパと誤解されそうだった。
「気になることがあるんです」首をかしげる間宮さんに言った。「実は、我々が調べていた、このような絵を描いた子どもたちは、みな失踪しているんです」
 
 間宮さんが、息を呑むのがわかった。
(【短編ファンタジー小説】幻獣総譜(後編)に続く)

#ファンタジー #小説 #創作 #幻獣

 

  


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