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弱点は、愛されポイント

「彼は、タフかった!」

真っすぐな瞳でそう語るのは、戦いを終えたばかりの外国人格闘家(肝心な名前を忘れてしまった)。インタビュアーの投げかける質問に、通訳を使わず、一生懸命回答する姿には、心を打つものがあった。

けれど、更にグッときたのは、その真剣なまなざしとは裏腹に、彼の完璧ではない日本語だった。

対戦相手の選手に対してリスペクトを表して、「彼は、トッテモタフかった!」と力強く言い放ったのを聞いた瞬間、あまりにも可愛らしくて微笑みが溢れたと同時に、私の中で張りつめていた何かの糸がプツンと切れた。

「それでいいのかも。」

いや、

「それだからいいのかも。」

私は、今アメリカで生活していて、関わる人はほぼ100%ネイティブスピカーという環境にいる。

そうなってくると、際立つ自分の足らない英語能力。
日本にいる時は、英語はできた方かもしれないし、LAの語学学校に留学していた時は、クラスメートみんな英語が外国語の状態だから、あまり気にならなかった。けれど、ネイティブの中で生活していると、自分の英語力に対する劣等感を避けては通れない。

だから、自分の英語をなるべく完璧に近づけられるように、「普通」に「自然」に話せるように。完璧に話せない「出来ない」自分に引け目を感じながら、頑張っていた。

けれど、この外国人格闘家の「彼は、タフかった!」を聞いた瞬間、その考えが一蹴された。

だって、彼の話す日本語、完璧じゃないからこそ、めちゃくちゃ可愛らしくて愛らしかった。そして、自分の母国語ではない言葉で受け答えしている姿が、彼のストーリーを感じさせた。自分の慣れ親しんだ母国を離れて、いろんな困難なことを乗り越えて、難しい日本語も頑張って、今この人はここに立っているんだろうなって。

そう考えたら、私の完璧ではないちょっとおかしな英語も、そんなに悲観するものではないのかもしれない。「それでいいのかも。」そう思えたのだ。むしろ、私の愛らしい個性やストーリーにもなり得る部分なのかもしれない。「それだからいいのかも。」しれない。

ついつい自分の「出来ないこと」、「出来ない」自分にダメ出しをしてしまうけれど、それを悪いことだとジャッジしているのは自分自身であって、

「出来ないこと」「欠けている部分」「弱点」こそが、愛らしい個性であり「愛されポイント」なのかもしれない。
そう思ったら、心がホッと温まった。

もちろんどんなことも努力は続けていくけれど、「出来ない」自分を否定して苦しくなった時は、きっとまた彼の「タフかった!」を思い出すと思う。「出来ない」部分こそ「愛らしい」ってことを、思い出させてくれるから。

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