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いらない感情は捨てたいけれど。

感情といえば喜怒哀楽。でも、まだまだいろんな感情が人間にはある。愛しいとか、寂しいとか、羨ましいとか。

一つだけ世界から消せる感情の概念があるなら、あなたは何を選びますか?

私なら「嫉妬」っていう感情、ブラックホールに放り込んでしまいたい。性格上なのかもしれないけれど、嫉妬という感情が自分の中に浮かぶことが多い。

例えば、高校の卒業式の答辞を読んだのは私と同じ大学に進学したあの子だった。別に私はすっごく頭が良かったわけでもなかったけれど、それなりにいい子だった自信はあった。派手だったあの子より優等生だったのに。まぁ、私は途中で留学してクラスに半年ほどいなかったわけだし、しょうがないか、とも思ったり。

大学のクラスの仲間と5人で授業のフィールドワークのために出かけていた時には、私以外の4人がみんなでディズニーに行くことが発覚したり。その子たちは正直キャピキャピしすぎてて、合うタイプでもなかったのでいいのだけれど、単純に「自分以外の皆」っていう感覚が嫌だった。

他にも自分が6年間仲良かった子が、私以外の誰かと卒業式の後のご飯の約束しててもやっとしたり、私じゃない誰かがサークルで私より早く活躍しているのを見ると、悔しく悲しくなったり、、。

独占欲の塊というか、過度な完璧主義というか、欲張りというか、、。私自身を形容するとしたら、そんな生き物だろう。

だからやっぱり嫉妬はいらないと思う。私を醜くする魔法を持ってる。嫉妬している時の自分は、視野が狭くて、可愛くなくて、素直じゃなくて嫌いだ。

将来付き合う人の歴代の彼女の話とか聞いた日には、半世紀分くらい老けるんじゃないかってくらい、おぶすになっちゃいそう。はちゃめちゃに嫉妬しそうな自分が目に浮かぶ。変えられないことなのに、へこんでる自分が容易く想像できる。

これを嫉妬というのかわからないが、私は長年バレエをやっている友達のパフォーマンスを見に行くのが苦痛で仕方なかった。私も経験者だったのだけれど、英語のレッスンとバレエのレッスンの曜日が重なって結果、諦めざるを得なくなった。小学校3年生くらいの時だった。

一緒に習っていた子たちはどんどんうまくなって、トゥシューズとか履いてるんだろうな、とか時々考えた。風の噂で、当時の仲間の一人が先生にフランスに修行に連れて行ってもらったという話を聞いた。私は決して優秀な生徒ではなかったけれど、あの時続けていたら、何かしら得られるものがあったのかな、とかよく考えた。だから、幼馴染が煌びやかな衣装でステージの上を飛び回っていたのを見た時、なんともいえない気持ちになった。心臓をギュッと掴まれた。

あぁいう場面に遭遇すると、決まって私が言いたくなることがある。

「自己表現したい」

何を持って自己表現というかは人それぞれ違うと思うのだけれど、気づけば私は自分で何かを作り出すのがすごく好きな人になっていたみたいだ。

バレエ、新体操、ヒップホップという過去にしてきた習い事に加えて、歌やウクレレの弾き語りなどの趣味、そしてnoteというコミュニティ。自己表現って楽しい、自分ができることが目に見えて増えていくようで、私は好きだ。

こう振り返ってみると、嫉妬はもしかしたら、私がより成長するためのスイッチみたいなものになってきたのかもしれない。実際、あれだけ先生が怖くてやめたバレエ(もちろん英語の習い事の日が重なったのが1番の理由だけれど)を、私は大学生になってもう一回授業という形で学び直そうとしている。いわば、自分へのリベンジだ。

どうなるか分からない、だけど久しぶりに「踊る」という形で自己表現できる日が待ち遠しくてたまらない。

嫉妬はもしかしたら、「自分を変えたい、アップデートしたい」と思うことの裏返しなのかも?

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