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こだわる場所が違わないか?

ガラケーがガラパゴス化して滅んだように、昨今の日本はこだわる場所を間違えて失速することが多い様に感じる。物事の枝葉の部分のカイゼンには執念を燃やす日本人も、物事を本質的に見直す事はとても苦手なようだ。それは何百年も前の戦国時代から日本人は狭い国土の中で縄張り争いを繰り広げていたからで、わずかなこだわりの違いで領地を拡大することには執念を燃やしても、目の前に無限の荒野が現れて『西部開拓』をしろと言われると途端に尻込みしてしまう。

会社の中でも村社会の様に波風立てずに(失敗しないで)うまく立ち回る人が出世しやすく、本質的に組織を変革しようなんて人はありがたがられない。基本的に自分の確保した領地を誰かに奪われるのが一番嫌われることだから、『大改革』が大嫌いなのだ。組織は自分の領地を守るために在るのだから。

その点、欧米などでは組織は何かを実現するために在るもので、仕事が完了したらすぐに消滅する。会社だってそうだ。すぐに無くなってしまう。だから、社内の自分の領地なんていつ無くなるか分かったものではないから、むしろ大改革に合わせて自分の能力を高め、いかに良い経歴を得るかの方が大事なのだ。

この差が今の日本の根本的な停滞原因だと考える。『新しい何かを得る』ことより『今ある何かを失うのを避ける』ことを選んでいる。

カイゼンで世界の市場に行き渡っていた日本製の商品は今やどんどん隅の方に追いやられて行っている。今の世界は『カイゼン』より別の『新しい価値の創造』を優先しているのに、日本はなかなか『新しい価値の創造』を出来ないでいる。それは日本人の根源にある縄張り意識に端を発しているのだろう。

縄張り意識を捨てて『カイゼン』ではなく『西部開拓』に挑む勇気がいま問われているのではないか。戦後の動乱期、日本人は焼け野原を前に切羽詰まって『西部開拓』に挑む勇気を持てた。だが今はなまじっか『先進国の仲間入り』をはたして、その勇気をすっかり失ってしまった。縄張りをとられるのが怖いから、それを守るのに必死で大改革は出来ないのだ。

それで良いのだろうか?さてこれから日本人はどうするのだろう。




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