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異次元空間、おじいちゃんの実家

牛首という地名だった。祖父の実家だというところ。あれは2年生の夏休みだったと思う。電車でもよりの駅についたあと、古いバスに長々と乗ったように思ったが、実際の所要時間はわからない。印象的だったのは、バスが止まり、降りるところに川があり、そこで洗濯している数人を見た。あっ、あれだっ、声にださず、心の中で叫んだ。「おばあさんは川で洗濯」のホンモノを見て、ここは物語のところかと不気味に思った。父母と一緒に来たが、2人は「川で洗濯」を見ても、何も気づかない。わたしだけが真実に気づいたことにエッヘンという気分だった。バスを降りると急な坂道を上っていく。どうも谷底のような地形だと気づいた。父母は何も気づかないまま、すたすたすたと歩いていく。父母は気づいていないんだ、ここがどこかを。異次元な空間だということに気づいたのはわたしだけ、と思った瞬間、強い風がぴゅーと吹いて抜けていった。

異次元空間ーカエル、牛、ヤギ、ねこをわたしに連れてきた

翌日、母と一緒に親戚の家にお土産を届けに行く途中、特大サイズの大カエルが母の足元を跳んでいた。ウシガエルか、ガマガエルか。京都にはそんなカエルはいない、少なくともわたしが住んでいるところには。近くを通りかかったおっちゃんが、でっかいカエルを鍬でどけくれた。「ありがとう」とあいさつした。これだ!ここは異次元空間だから、何があってもおかしくない。母はここに一冬閉じ込められたことがあると話してくれた。冬休みに遊びに来た時、例年にない大雪が降り、外に出る戸が雪で閉ざされた。外に出ることができない状況で、家に閉じ込められた。その時、この辺りの住人は緊急事態の時は2階から出入りすると知った。そうか、母が中学生の頃から異次元空間は存在したのだ。単に母が認識してなかっただけなんだ。

親戚の家に行てお土産をみなに配った。母が懐かしい親戚や祖父の妹、ばーばと昔話している間に、その家の子供、わたしより3つ年上の正ちゃんに案内され、牛やヤギと対面した。どちらも角があり、当時のわたしは苦手だった。けれど正ちゃんがなでると、赤ちゃんのように喜んでわたしにもなついてくれた。しばらくして正ちゃんとあの川に沿って山の方に歩いていくと、小猫がいた。わたしたちに驚いてフーフ吹いていたが、パニックになり、突然走り出した瞬間に、川にまっ逆さまに落ちた。わたしはショックで声が出なかった。これが異次元空間ではないか。その瞬間、正ちゃんが何も言わず恐ろしい高さから静かに飛び込んだ。…3分、4分、5分…猫を抱いて、正ちゃんがあがってきた。「正ちゃん…すごい!」「へへへ」猫はずぶぬれで震えていたが、大丈夫そうだった。異次元空間を抜けて正ちゃんが小猫を助けた。わたしはこの不思議な出来事のただ一人の目撃者だった。家では母が「そろそろ帰る時間よ」と待っていたので、わたしが報告すると、母はやさしい顔つきになり、正ちゃんを思いきりほめ、ねぎらった。

受け入れたら助けてくれた。異次元は自然のやさしさ

来た時と同じ道を帰っていくと、あのでっかいカエルがいたところに差し掛かった。気のせいかひんやりとした空気が流れた。母が「うっそー」と大声を出すので声の方を見たら、母が地面を指す方を見ると、あの大きいカエルが何かにひかれたように、ぺったんこに干からびていた。母はわたしの手を握り「今日はいろんなことがあったなねー」母の手をきゅっと力を入れて握り返した。「うん、来てよかった」と言ったが、母に優越感を感じていた。この異次元空間はわたしと牛、ヤギを仲良く取り持って、あの小猫を助けてくれた。異次元空間はこわいことをするだけではなく、受け入れたら助けてくれる。わたしだけがそれを知っている。成長してわかったのは、それは自然のやさしさをはじめて感じた瞬間だった。



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