人間同士の安全な距離感
自然界では、どの個体も周りを見回し、つねに安全確認を怠らない。子育て中の母親はなおさらだ。猛獣といわれるライオンや豹でも、狩ってエサを確保するどころか、安全確保を怠ると狩りをする当の猛獣も、子供たちや家族さえも、天敵のエサになる恐れすらある。自然の掟は絶対である。いつも安全確認を怠らない。これはわれらがご先祖も同じだったはず。しかし、人類は異なった進化を遂げ、生命をおびやかされるケースが少なくなった。そのために人類は食べられないように安全確認をするメカニズムから、優先すべき注意事項が変わっていった。
自然界のルールに学ぶ、人と人の安全な距離感
近頃、報道される事件には、悲惨な結果に心が痛むものがある。人と人が交流する際のサインの理解や、周りの安全性を無視するような事態から陰惨な結果に及ぶ事件がある。報道は過熱し、マスコミに大きく取り上げられ、独り歩きする。現実と虚構がごちゃまぜになった記事や番組が多くの人に影響を与える。
ふるさとで育った頃のルールは、地域から離れ、都市生活や遠方に生活拠点を移すことでルールが失われ、生きるうえで最も大切なものを失ったのかもしれない。子供同士、学生時代、社会にでてからの職場の関係、近所や親戚とのつきあいなどにおいても、関わり方を見直す必要を感じている。わたしたちは自然界のルールから遠い昔に離れて、ヒトの社会を形成するようになった。それでも人間社会は群れという社会生活を営む自然界のルールを参考に、ヒトの暮らしにも生かせることがあればと思い、考えてみることにした。わたしは専門家ではなく、自然科学、社会行動学に通じているわけではないが、現象的に理解できることをみなさんと共有し、何かの参考にしていけたらと願っている。
電線に並んだスズメの安全な距離感ー社会行動学的ルール
群れの秩序:
鳥の群れは、個々の鳥たちが等間隔で並ぶことで秩序が保たれている。この配置には、群れ全体の統一感や安全性を維持する役割がある。等間隔に並ぶことで、鳥たちの間での競争や衝突が少なくなり、全体の調和を維持しやすくなる可能性があるといわれている。
視覚的コミュニケーション:
等間隔に並ぶことで、鳥たちは視覚的にお互いをより簡単に認識できる。このことは、群れの中でのコミュニケーションや協調行動を促進する重要な要素である。グループ同士を見分ける方法として、わたしたちの暮らしにも同様の様式があることに思い当たる。
リーダーシップと階層性:
群れの中には、時にはリーダーと従属者の関係がある。こうした群れの秩序は、等間隔に並ぶことでリーダーと従属者の位置関係が明確になり、群れ全体の指導や行動の方向性が維持されることがあると考えられている。この点についても、人間の社会にも、村や町の顔役、クラスの級長にあらわされる同様のシステムに思い当たる。
生態学的な要因:
群れの配置は時に生態学的な要因によっても影響を受けることがある。例えば、エサの分布や採食地の特性に応じて、鳥たちは等間隔に並ぶことで最適なエサの取得や防御行動を行うといわれている。
人間同士のパーソナルスペースで、安全確認。快適な人とのつきあいを…
空いている電車で等間隔に座っている人々の様子を見ると、それぞれが自分のスペースを大切にしようとしていることがわかる。行動社会学的にいえるのは、人と人との間にどれだけの距離が安全であり、かつ気持ちよく過ごせるのか、という点である。
人々が他者との間に保ちたい距離は、一般的には文化や個人の好みによって異なる。例えば、誰かと話すときの適切な距離感や、他者と身体が触れ合わない程度の距離を求めることがある。これは、個人が快適で安全だと感じる範囲であり、そのニーズは人によって異なる。
また、空間の状況も重要な要素である。電車のような公共の場では、自分のスペースを確保しようとするのは、他者との接触を避けるだけでなく、自分の快適さや安全を確保するためである。そのため、人々が等間隔に座っているのを見ることができるのは、それぞれが自分のパーソナルスペースを大切にしようとしている良い例である。
要するに、人と人との距離感は個人のニーズや文化的な背景によって異なるが、基本的には誰もが自分のスペースを守りながら、快適に過ごすことを目指しているのである。
その次の目標は、かつてのようなコミュニティによるなだらかなお互いへの安全確認である。それには相手からのサインに注意する必要がある。「わかって」とサインを出しているのに、それを受け止めることができなかったり、サインを読めないこともあるだろう。コミュニティではそうしたケースに安全確認をする大人や経験者がいたけれど、コミュニティを離れた場合にはどうできるだろうか。可能であれば、社会として安全確保できるルールがあればというところである。コミュニティ参加をすることで、こうしたまろやかな安全管理が互いにできる社会ができたら、と思うことがある。
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